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陽だまりにて待つ!  作者:
第4章 点と線
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待たせてごめん(5)

 




 二駅区間だけ揺られた電車から、ドアが開ききるのも待ちきれず沖田侑希は勢いよく飛び出した。


 I駅。

 地下鉄の路線も乗り入れ快速列車も停まる、学校の最寄り駅より遥かに規模の大きな駅――自身にとっては少しだけ懐かしくもある場所だ。


 乗降客でごった返すホームでうまい具合に人の流れを読んで余裕のある空間に身を滑り込ませ、一時も立ち止まることなくそのまま改札口への階段を一気に駆け降りる。


「おわ……っ、す、すいません。おい、侑!」

「お、沖田くん待っ――わぷ!」


 他の客とぶつかりでもしたのだろうか、やや後方で翔と彩香の焦ったような声や気配を感じ取れてはいた。

 ――が。


 悪いが待ってはいられない。

 電車内で行き先は伝えてあるし、彩香にとっては一応地元でもある。

 最終的に同じ場所にたどり着けるなら、ここではぐれたとしても問題はない。

 そう判断して振り返ることすらせず一人先へと急ぎ、北口から外へと出る。


 夜闇に浮かび上がる駅前の街並みは、蘇ったばかりの記憶とは少しだけ違った様相を呈していた。

 今は驚きも懐かしさも感じている余裕はないが。

 早く行かなければ……という思いだけが今の自分を突き動かしていると言っても過言ではなかった。

 少しの間止んでいた雨がまた静かに降り始めていたが、借り物の傘を開く手間さえ惜しんでひたすら夜道を走り続ける。


 一刻も早くたどり着きたい。

 たどり着かなければならない。

 これ以上待たせてはいけない――待たせたくない相手の元へ。 


 もう、待ってくれてはいないかもしれないが。


(いや)  


 容易に、責めるように浮かんでくるのは

 数時間前のあの泣き顔と後ろ姿。


(いや、実際に待って――――はいないにしても、きっとその心は……)


 思い上がりだろうか?

 今でもその心の内が少しも変わっていないかもしれないと思うのは。


 昔の大事な子に特徴が似ているのではないか、とそういえば翔に言われたこともある。

 名前が違うからと、その時はあっさりと可能性を捨ててしまったが。

 でも、思えばいつもひっそりと様子を気にして応援してくれて、どんな不調も一番に気付いてくれていたのがだった。

 やはりそうだった。

 高瀬柚葉こそがまさに「あの子」だったのに――


(なんで……俺……)


 こんなに近くにいたのに少しも気付けずにいた自分が心底情けない。

 やわらかな微笑みや控えめな気遣い、大粒の涙を思い返すとあっという間に胸が詰まる。


 可愛くて泣き虫で、でもいじめっ子たちにまで手を差しのべてやるような気持ちの優しい女の子。

 他を向いてほしくなくて自分だけを見てほしくて、意地の悪いことを言ってしまったこともある。


 それでも、黒目がちの瞳を細めて嬉しそうに指きりに応じてくれる「彼女」が大好きだった。

 大げさではなく、ずっとずっと一緒にいたいと願っていた。


 そしてそうできるという自信もあった。子供ながら、バカだとは思うが。

 一度は離れても絶対忘れたりなんかしないと、自分を好きでいてくれるかぎり必ず迎えにいって絶対一緒にいよう、と。 

 そんな強い想いがあったから。


 それが――――本当にどうして、と思う。

 彩香に言われたとおりだ。

 こんなに強い気持ちを、ずっと一緒にいたいと思っていた相手を、なぜすっかり忘れ去っていられたのか――

 ヤワな自分が腹立たしくて堪らない。


 引っ越して以来久し振りに会えたのに、すっかり忘れ去って何の反応も示さない自分に、彼女はさぞや落胆しただろう。

 悲しくなかったはずがない。 

 それでも、そうとは言わず決して表には出さずに、今までずっと一人で抱え込んで……。


 自分はどれだけ彼女に寂しい思いをさせてきたのだろう。

 不甲斐ないにも程がある。

 柔な記憶のせいでこれほどまでに大事な子を待たせてしまい、あげく泣かせてしまった。 


 胸をかきむしりたくなる衝動をこらえ、唇を噛みしめて走り続ける。


 今……彼女はどんな気持ちでいるだろうか。

 今さら何だと、都合がいいことを言うなと、怒って……困った顔をするだろうか。


 また泣かせてしまうだろうか。


(それでも……)


 万が一、愛想をつかされてしまっていたとしても

 それでも自分はたどり着かなければならない。







 閑静な住宅地の中ほどにある公園を前に、乱れきった呼吸を調えながら侑希は立ち尽くした。


 軽く目線を動かすだけですべて見渡せてしまうほどこじんまりとした公園――幼いころよく遊んだ彼女との想い出の場所。

 間違えてはいない。確かにこの場所のはずだ。


 静かに降り続く細かい雨の中、人の気配のない公園内に注意深く視線を巡らせながらゆっくりと足を踏み入れていく。


 明かりは中央に立てられた街灯が一本きり。

 すっかり濡れそぼったブランコやシーソーが、その微かな光を受けながらかつてと同じ場所でなお細い雨に打たれている。

 ――が。


 昔はもう少しだけ違った風景が広がっていたはずだ。

 自分がこの辺りから引っ越して九年の間に、色とりどりの花を咲かせていた花壇は姿を消し、代わりにチューブスライダーなどの立体遊具が場を占めたらしい。

 自分の中には今も、蘇ったばかりの記憶とともに鮮やかな花が咲き誇っているというのに。


 そして、その花よりも何よりも…………


 濡れそぼった前髪から雨雫が不規則に滴り落ちていく。

 振り払おうと無造作に前髪をかきあげ、さらに奥へと歩を進めた。

 ただ一人の姿を求めて、視線を巡らせながら。


 ここには来ていないのだろうか……という不安もよぎる。


(でも)

 

 パシャン……。


 避けたつもりの水溜まりにわずかに踵を落としてしまった。 

 構わず、花壇に取って代わったアスレチック遊具へと近付く。


 上下左右にうねるように伸ばされ張り巡らされた筒状のカラフルな壁に、入口のようなもの(スライダーだから出口というべきか)は見当たらない。

 では向こうはどうかとぐるりと反対側にまわる、と。


「――」


 トンネル状になった緑色のスライダーの出口に、洸陵制服の少女が膝を抱えて座り込んでいた。 

 数時間前ミーティングルームで見た時と同じポーズで座り込むのは、紛れもなく高瀬柚葉である。


 眠っているのだろうか……。

 膝の上に顔を伏せたまま微動だにせず、こちらの気配にも少しも気付いていないらしい。

 ずっとトン()ネル()で雨をしのいでいたのだろう。髪も服もまったくと言っていいほど濡れたような形跡(あと)がない。


(こんな時間まで……こんな暗いところで……)


 だが一連の行動がすべて自分のせいだと思うと、心配をかけるなとは言えない。

 胸に苦いものを感じながら、さらに一歩二歩と近付く。


 と。

 何かの拍子に、彼女の乾いた黒髪がさらりと肩から前方に流れ落ちていた。

 それほど間をおかずに動いたところを見ると、どうやら眠ってはいなかったらしい。

 億劫そうにその長いストレートをかきあげかけて――

 遊具の外に佇む人間の気配にようやく気が付いたのか、柚葉がハッとしたようにこちらを振り仰いだ。


 黒目がちの大きな瞳がさらに見開かれていく。

 どうして……と消え入りそうな小さな声も絞り出されていた。


「ゆ……お、沖田く……」


 言いかけたまま呑み込まれるかつての呼び名。


 あどけない声と笑顔で嬉しそうに呼んでくれていたあのころから、九年も待たせてしまったのだから無理もない……が。


 目の前で揺れながら見る間に潤んでいく瞳に、心臓は握り潰されたようにさらに苦しくなる。

 そうとう辛い思いをさせてしまっていたのだと、弥が上にも思い知る。

 せめてまずは誠心誠意謝らなければ、と思い口を開きかけた時。


 ついにこらえきれなくなったのか、柚葉が逃げるようにするりと遊具から飛び出してきた。

 そのまま真横をすり抜けさらに駆け出そうとした――その手首を。

 気付いたら苦もなく、ほとんど間をおくこともなく捕まえていた。


「え……」


 身をこわばらせ、なぜ?とばかりに眉を寄せて振り返った表情にさらに胸が締め付けられる。

 柚葉は涙ぐんだままなぜか不安そうに、震えているようにさえ見えた。


「あ……あたし、誰にも言わないから……。だ、だから……っ」

「え?」


 だから放してくれと言わんばかりに弱々しい力で腕を引き、なおも柚葉は後ずさろうとする。


 ――何を、誰にも言わないと……?


「お、沖田くん……彩香のこと――」


「――」


 あの時も今も……涙の理由を、自分は本当の意味で何もわかっていなかった。

 あまりの愚かさに愕然とした。

 何かに強く頭を殴られたような気がして――――


 その後はもう、自分の中では何も揺らぐことはなかった。


 元より放すつもりのなかった手をそっと引き寄せ、肩ごとしっかりと腕の中に閉じ込める。


「沖……」

「ごめん」


 驚いて身を固くしつつもまだ逃げようとするその細い体を――

 さらに強く抱きしめていた。


「遅くなってごめん。

「――」


「思い出したよ、やっと」

 

 逃げる気がなくなったのか動きが止まってしまった体をそっと、少しだけ離して見下ろすと、すっかり目を見開いたままになっている柚葉。


 その手をとり、そっと小指を絡めてやる。

 あのころのように。


 懐かしさと喜びに、不覚にも目の奥がどんどん熱くなった。

 けれど、もういい。

 涙がこぼれようが引かれるほど感情があふれようが、もうどうなっても――。


「ゆ……侑くん……?」


「うん」


 やっと戻って来れたのだ、ここに。

 彼女()の元に。 

 これ以上に大事なことなんて何もない。


 自分を見上げ、信じられないとばかりに見開かれた目から、ついに大粒の涙があふれだした。


「うん……迎えに来たよ。柚」


「――」


 震える手で口元を覆って静かに涙をこぼしつづける彼女を、気付けばもう一度――強く強く抱きしめていた。







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