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陽だまりにて待つ!  作者:
第4章 点と線
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待たせてごめん(3)




 自分のせいなのだと、あきらめたように辛そうに語っていた……その出来事のことだろうか。 


「今度こそあいつが――おまえらが、目の前で車に――って思ったら……。すげえ……怖かった」


(あ――)


「また俺だけ何もできねえうちに……おまえらが死ぬかも、って思ったら……」

 

 抑えられた声もゆっくり吐き出される息も、差し出された左手も……すべてが震えていた。

 苦しいほどに。泣きたくなるくらいに。


 怖くない――わけがないではないか。そんな現場に遭遇したら。

 幼少のころのそんな悲惨な現場を重ねさせてしまったら……。


「あ……あたし」


 一気に涙が込み上げた。

 自分は本当に……何てことを――してしまったのだろう。

 バカとか役立たずとかそんな生ぬるい言葉ではもはや片付けられない。

 最低だ。

 最低で最悪で過ちだらけなこんな自分なんて今すぐ消えて無くなればいいとすら思った。


 いい気になって、何かしてやれることはないだろうか……なんて、こんな愚かしい至らない自分がどうして思えたのだろう。

 辛い思いをしてほしくないと、罪悪感なんて消し去ってほしいと強く願っていたくせに。 

 願っていたつもりで……また――いや、それどころかもっと凄惨な思いを味わわせてしまうところだった。 

 むやみに車道に自分が飛び出したりなんかしたせいで。


「ご、ごめんなさい……」


 気付いたら翔の左手を強く握りしめていた。

 両手で包み込むように。 


 この震えは――恐れは自分のせいだ。

 なんとか抑え込んであげなければと、植え付けてしまった不安と恐怖を少しでも和らげてくれればと……。その一心で。 


「ごめ……あ、あたし早杉さんに……本当に、ごめんなさ……」


 自分の浅はかな行動がこのヒトを――これまでも一人で苦しんできたこのヒトを、さらに深くくらい悲しみに突き落としてしまうところだった。

 大好きなひとを。


 ようやく自分がしでかしてしまったことの重大さに気付いた時には、とめどなくあふれる涙をもうどうすることもできなくなっていた。

 申し訳なさすぎて、顔を上げることさえままならなかった。


「……ホントだぞ?」


 そんな自分の頭上に穏やかな声が降り注ぐ。 


あいつじゃなかったら絶対ぜってー間に合ってなかったからな? もうあんな無茶すんなよ?」

「ごめ……なさい、ごめんなさ……っ」


 謝って済むことではないのは百も承知だが、今はそれ以外の方法なんて思いつかない。

 いつの間にか自分のほうがひどく震えていた。

 自己嫌悪でいっぱいでとにかく申し訳なくて、相手の手をがっちりと包み込んだままうつむいた顔も上げられずに。


 チビ女が長身イケメンの手を握ってしゃくり上げながらひたすら謝罪を繰り返す――そんな様子がぽつりぽつりと行き交う人にどう見られているのか、考える余裕もなかった。


「もう泣くな」


 ため息混じりにぽつりと翔がつぶやく。

 少しだけ笑ってさえいたようだった。


「……元はと言えば全部俺が悪いんだから」  

「そんなこと……!」


 違うとばかりに見上げてつい強く振った頭を、空いた片手ですかさずホールドされる。

 勢いで傘が取り落とされていた。


「あんま振るなって。……そうなんだよ。偉そうに言ってっけど俺も似たようなこと…………や。俺は飛び出してねーけどな?」

「……」


 一瞬だけいたずらっぽく口の端が持ち上げられるのが見えた。

 少しだけホッとするも、絶賛大懺悔大反省中の身としてはそれを言われると……黙らざるを得ない。


「小学校ん時にな、何人かで帰ってる途中で脇見運転の車に突っ込まれたんだ」

「!」 

 

「さっきほどスピードも出てなかったのに、俺一歩も動けなくてさ……。ビビってパニくってたんだろうな」

「……」


「そこに……そんな俺の前に、侑が……。どう助けようと思ったのか、あいつ迷わず走り込んできたよ。信じらんねえ瞬発力で。その結果が……まあ、こないだ話したとおりだ。病院で目ェ覚ました時にはもう、あいつ何も憶えてなかった」


「そん――で、でもそれって別に、早杉さんのせいってわけじゃ……」

「他のヤツらはちゃんと逃げれたのに、か?」

「……」


 静かに、穏やかに笑って翔は言う。

 ひねくれた物言いをするでもなく開き直っているわけでもなく、純粋に……心の底から。

 ただひたすら自分だけが悪いのだと――


「俺を庇わなかったら、あいつはまともに吹っ飛ばされることもなかった。頭ン中まるごと消えちまうことも……。そもそも俺がちゃんと逃げれてたら、あんなことには……。だから――」


 ――『だから言ったろ。俺のせいなんだよ』


 クラブハウス裏での辛そうな眼差しが重なる。蘇る。


「あいつが大事なことずっと思い出せずにいたのも、高瀬に長い間キツい思いさせてきたのも……今こうしておまえが泣いてんのも……。元をただせば全部俺が原因っつーことだ」


 翳りゆく表情に、声に、胸が苦しくなる。

 あの時と同じ、やるせない思いばかりが込み上げてくる。

 わからないわけではない。

 けれど――


「ごめんな? 俺さえ居なかったら、ってマジで思った」

「――」


「俺さえ居なかったらおまえらみんな……誰も泣かずに済んだんじゃねえかなって」


 ――辛い、苦しい気持ちはわかるけど。

 でも、そればかりではないのも事実で――。


「まあ、そう思ったところで今さらどうにもなん――」


 べちっ。


 ため息とともに頭部からそっと離れていこうとした右手を、白刃取りの要領で捕まえてしまっていた。

 響いた音から察するに少しばかり痛かったかもしれない。

 が、今は知ったことではない。


「……何、言ってんですか」

「――」


 急に自由になった左手を宙に置き忘れたまま、驚きに目を瞠る翔。

 そんな彼にはお構いなしに、新たに捕まえた右手のほうを今度は強く握り込んでやる。


「何言ってんですか? 別にあたしが泣いてることなんて……。さっきのなんてどう見たってあたしが一番バカで最低で……あたしだけが最悪だった。それだけじゃないっスか! なんっっでそれも早杉さんのせいになるんですかっ! 違うでしょっ!? 自分さえ居なかったらなんてそんな――なんでそんなふうに思っちゃうんですかっ! 早杉さん実はアホですかっ!?」


「アホ――」

「さっきのあの熱い告白聞いてなかったんですか! 早杉さんのコト昔から大好きだったって、沖田くん言ってたじゃん!」


 涙で濡れたままの顔を遠慮なく歪めて怒りまくし立てるさまを、翔は目を見開いて見下ろしている。

 真正面に見上げていながらそんな彼の様子も、さらにはそんな二人の様子を通りすがりのサラリーマンやら買い物帰りのおばさまやらが怪訝そうに眺めていくのさえ、まったく気付いていなかった。


「『ド忘れ沖田め!ほんっとムカつく!』って今まで思ってたけど。大好きな幼馴染にそんなふうに思われていつまでも気を遣われて、沖田くんも実はそうとう辛かったんじゃないか、って……今なら思えます。いい加減そこは察してあげないとですよっ!」

「……」


「っていうか沖田くん無事に――ぶ、無事にってワケじゃないけど……お、思い出せました! もう何も問題ない! もう悩む必要も一切ないんですよ!? だから……だからもう大丈夫! もうそんなカオしなくていいんですっ! 辛い思いから解放されていいんですっ!」

「――」


「いつもどおり変態でチャラ男で女の子好きーな早杉さんらしく、ヘラヘラして威張ってれば! でしょっ?!」


 何やら一部蛇足的な表現があったような気がしないでもないが、とりあえず言いたいことは全部言えた!言ってやったぜ!――と気付いたら謎の満足感に浸っている自分がいた。


 ――が。


「『でしょ』って……」


 そんな余韻もそれほど長くは続かなかった。

 

「おまえ、俺をいったいどんな人間ヤツだと……」


 ポツリとため息混じりに、やや呆れたように翔が笑う。

 辛さ満載の翳りのような類はどこかへ押しやられ、取り巻く雰囲気も声音も……徐々にいつもどおりの色合いを帯びてくるような――。


「なら、さっきからその()()の手を熱く握りしめてるおまえは何なんだ?」


「へ……」

「しっかり左右ともに握られてんぞ俺。意外に大胆だなおまえ」


 呆れるようなからかうような笑いが注がれるなか、なぜか思考に生じていたタイムラグ。

 熱く手を――――って、あ。


「泣いて謝ってたかと思えばガチで怒り出すわ、無意識にセクハラするわ……。ほんっと予測困難で理解不能」


 「ホレ、現行犯」と握られたままの手をクイと顔の高さまで上げて見せ、整ったカオにいつもの不敵な笑みが浮かべられた。


「う、うぉあっっ!? ま、またここここの手がっ――この手が勝手に! す、すみませんでしたー!」


(うっぎゃあああああ! あ、ああたし何やってんのー!?)


 が。

 がばっと放すなりバンザイしかけた手が、難なく掴まれてあっという間に元の位置に戻される。


 なぜか今度はすっぽり包み込まれる側になっている自分の両手。


「……って、えっ、は、早……っ?! てて、て手――!」


 ここここれはどういう状況だろうか!?

 散々セクハラ(違う!)しておきながら、いざ握られる側となると免疫ゼロな雑魚キャラはあっという間にゆでダコに大変身、である。  


「もう少し――」

「え」


「…………まだ収まってねーんだよ。怖え思いさせた責任とって、もう少しこのままでいろ」


 ぶっきら棒ともとれる命令口調とは裏腹に。

 ようやく心の底から安堵できたような翔の表情には、やや伏し目がちの穏やかな笑みが浮かんでいた。

 






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