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陽だまりにて待つ!  作者:
第4章 点と線
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待たせてごめん(2)




 数十メートル先――人通りもまばらな薄暗い商店街を、見慣れた背中が猛スピードで駆けて行く。

 しとしとと降り続く雨や視界の悪さをものともせずに。

  

 少しでも気を抜くとあっという間に開いてしまいそうになる距離に眉をしかめ、彩香は必死で後を追った。

 いや、気を抜いているつもりは毛頭なかったのだが……。


 目の前を走るのはあの沖田侑希で、おまけに後続の自分たちは二人で一本の傘を共有――ともなると、どんどん引き離されていくのも無理はなく。

 さらにタイミングの悪いことに、


「あ……っ」


 駅前のロータリーまであと二区画を残すのみとなったところで、運悪く信号に引っ掛かってしまった。

 横断歩道前で足止めをくらうこちらを振り返ることなく、侑希は邪魔そうに傘を畳みながら最後の区画を走り抜け、駅へと続く角を折れて行った。


 仕方がない。

 近くに車影や歩行者は見当たらなくとも、焦らずあわてず赤信号に従うことにする。

 その隙に少しでも呼吸を調えたい、というのもあった。

 ここまで来たらとりあえずの目的地は駅で間違いないだろう。

 電車に乗って、その後――どこへ向かうのかは未だ不明だが。


「あ……早杉さん、もう傘大丈夫です。ほぼ止んでるし……。ありがとうございました」


 膝を支えて上がった息を調えながら、横に立つ長身を軽く振り仰ぐ。 


「あ、ああ……」


 まったく気付かなかったとばかりに少しだけ焦ったような声を上げてから、翔は紺色の傘を畳んで軽く車道側に振った。


 本当は――

 走り出した直後から必要ないと、構わず自分だけ差してくれと訴えかけていた(すでにびしょ濡れだし、傘など差していたらあの黄金の脚を全速力で追うことなどできない)のだが、そんな人でなしなことできるかとばかりにずっと傾けてくれていたのだ。

 そうなるとせっかくの気遣いを無下にもできず、ここまでこうして並んで走り通すことになってしまったというわけである。

 

 それほど栄えているわけではないこの辺りは、夜ともなるとそれなりに物寂しい雰囲気が漂う。

 駅前通りとはいえ店先に明かりの灯った営業中を示す建物は半分にも満たず、悪天候も手伝ってか普段より人影も少なく、いっそう暗く感じられた。

 ――が。

 薄暗く視界も悪いとはいえ紛れもなく学校の最寄り駅周辺であり、同校生徒たちの通学路でもあるというこの界隈で。

 モテ族の一人とこうして並んで信号待ちをしている状態なんて、誰にも見られていないといいのだが。

 なぜか牽制してきているらしい「彼女」――篠原瑶子あたりには特に……。


(はっ! い、今はそんなこと――!)


 少しだけ別の心配も浮上しかけ、今はそんな場合ではないとあわてて頭を振って思考を掻き消す。

 そう。今目指すべきは、確かめたいのは――柚葉の居場所と無事な姿。



 およそ十分前、あわや大事故大惨事になるところだったあの洸陵高校裏門前で。

 お互い大きなケガはしていないと確認するや――

 「たぶんあそこにいると思う」とだけ言いおいて、突然駆けだしたのだ。自分と同じようにすっかり濡れネズミと化したあの爽やか王子が。

 誰のことを指しているのかはすぐにわかった。わかったが……。

 行き先も聞かせてもらえず、あわてて追わなければならなくなったこちらの身にもなってほしかった。


 なにせ相手は県下随一のスプリンター。

 ここまでは地理的なことも手伝ってどうにかなったが……。

 電車を降りるなり雑踏に紛れられたり、またこうして目的地も告げずに全力疾走されようものなら今度こそ間違いなく見失ってしまうに違いない。

 駅で合流したら最終的に目指している場所だけでも聞いておかねば、と強く決意する。


 そして。

 目的地それについてももちろん気になってはいたのだが――。


「……」


 決して小さくはない気掛かりがもうひとつ。


 「柚葉に何した?」だの「許さない」だの一方的に酷い言葉を浴びせて走り去った自分を、そうとうな危険を冒して侑希は助けてくれたけれど。

 その彼自身は本当に大丈夫なのだろうか?


 かなりの衝撃でブロック塀にぶつかっていた、ような気がする。

 見た限りでは降りしきる雨をものともせず脇目もふらず猛スピードで駆けていたし、大丈夫であると信じたいが……。


 車と接触寸前のあの瞬間を思い出すと、今さらながら震えがくる。

 愚かとしか言いようがない自分は、ひき止める声も聞かず周囲の状況を一切見ず、ただ怒りに任せて――

 気付いたら車の前に飛び出してしまっていたのだ。


(どうしてあたし、あの時あんな……)


 後悔と自己嫌悪のレベルも尋常ではなかった。

 自業自得のこの身はともかく、他人まで巻き込んだとんでもない大事故を引き起こすところだったのだ。


 とにかく本当に身体のどこも何ともないか、落ち着いた状況であらためて侑希に問いただして無事を確認しなければ……。

 そんな思いが先ほどよりずっと頭の中を駆け巡っていた。

 あちこちにできた擦り傷やびしょ濡れの制服なども当然構っていられない。

 

(早く早く、早く……!)


 もどかしい思いで祈るように見つめていた信号機が、ようやく待ち望んだ色を示した瞬間。


 再び勢いよく踏み出した足が――――体が、違和感を察してすぐに止まる。


 そして思わず振り返ってしまった。

 共に走りだすと思っていた早杉翔が白線の前で微動だにしないどころか、うつむきがちな虚ろな表情でその場に立ち尽くしていたから――。


「早杉さん?」


「え……あ、ああ……」


 青に変わったことに気付いてさえいないようだった。

 ハッとして顔を上げてくれたはいいが、依然翳りを帯びたままの表情に、ふいに言いようのない不安が押し寄せる。


 そういえば彼は、ここに至るまでもほとんど無言だったのではなかったか。

 ものすごく今さらだが。


「…………どうしたん、ですか?」


(あ)


「や……悪い。何でもねえ。行くか」


 口に出してまともに訊ねてしまってから、気が付いた。

 何かに耐えるように強く握り込まれた翔の拳に。

 伏せられたままの目線と、無理やり浮かべられたようなどこかぎこちない笑みに。 


(もしかして……沖田くんの記憶のことで?)


 ――そうだ。

 あれほど仲の良い幼馴染の――沖田侑希の過去に対して負い目を感じていたヒトが。

 今しがた大きく揺れ動いたこの状況にまるで動揺せずにいられることなんて……当然あるはずがなくて――。


(あたし……また――)


 どうしてこう気が利かないのだろうか。

 また自分のことだけでいっぱいいっぱいになっていた。

 好きな人がこんな状態になっているのも気付かずに、何をやっていたのだろう。

 つくづく自分が嫌になる。  

 そうして内心で激しく叱咤しながらも。


「だ、大丈夫ですよ、早杉さん……!」


 うつむきがちに追いつき通り過ぎようとした翔の左腕を、気付いたら両手で引き留めてしまっていた。


「え……」


 今は長く立ち止まっていられる状況ではないと、早く沖田侑希の後を追わなければと、わかってはいるけれど。

 その沈んだ心の内を、動揺を……平気でさらけ出せるヒトではないだろうことも知ってはいたけれど。

 それでも――!


「沖田くんちゃんと思い出せたみたいだし……。だから、もう――大丈夫だから……っ」


 もうそんな表情かおも辛い思いもしなくていいのだ、と。

 重い罪悪感から解放されていいのだと、言いたいのに――。


「――」


 なぜか途方にくれたような翔の表情に、胸が詰まった。


 状況は好転したはず――ではないのか。

 わずかに濡れた長い前髪の隙間から見え隠れする彼の目が、なぜこうも力なく沈んだ感じになっているのか、わからなかった。


「え……えと、だから……つまり、ですね」


 わからないなりに、とにかく今はバカを言ってでも、口から出るどんな言葉ででもいいから元気付けなければ!と思い至る。

 意気込み、掴んだ腕をさらに引き寄せ――――かけて。


「――」


 またしても彼の異変に気付いてしまった。


 気付いて、そしてつい力を弛めて離してしまった腕が――

 クスリと笑う声とともに、あらためて正面から目の前に差し出される。


「情けねーだろ……。笑っていいぞ?」


 胸の高さまで持ち上げられゆっくり開かれた翔の手のひらが、自分以上に震えていた。


「……ダメなんだ。なんかさっきから……止まんねえ」

「早杉さ……」


「昔、あれと似たような――――……や。もっと酷い事故があってな」


(……もしかして)


 九年前の、侑希の記憶が無くなった原因――?







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