想いの先へ(7)
「……あんまり言いたくないんだけど、翔ってなんで自分のことにはそんな……」
「え?」
「いや……なんかこれ言っても無駄そうな気がしてきた。いい。じゃあ質問変える。西野のこと嫌いか?」
「や。嫌い、とは――」
そう。いつからかはわからないが、さほどあの喧しさもワケわからなさも癇に障る――というか気にならなくなってきてはいた。
つくづく妙ちくりんな女だとは思うが。
反応が納得いかないものだったのか、さらに眉をひそめて侑希が一歩近付いた。
傘の端がぶつかっていようがお構いなしらしい。
「じゃあ瑶子先輩に対しては?」
「はあ?」
何でここで瑶子?と続いたであろう心の声を察したのか、黙れとばかりに手のひらで制して侑希。
「いいから。まず真っ先に思い浮かぶ感情といえば、どんな?」
「『悪い』……かな」
申し訳ない、という気持ちに尽きる。気がする。
いろいろな意味で。
過去においても、これから先を考えたとしても。
「はい。じゃ例え話ね? 西野が今急に目の前に現れて、翔のこと好きって言ったら……どう思う?」
「ど――」
不覚にも固まってしまった。
頭の中が真っ白になるとはこういうことか。
どう解釈したのか「ほらみろ気になってるじゃん」とばかりに完全に爽やかにドヤ顔されて、思わず我に返った。
「い、いやいやいや待て待て……。んーなワケねーって。その仮定、無理がありすぎ」
「なんで?」
「なんで」も何も……ありえなさすぎだろう、と思う。
あの鉄砲玉がこんな自分を好きになるワケがないことを知っている、としか言いようがない。
「無理……なんてことないと思うけど。現に翔、何度か西野に『カッコいい』って言われてるじゃん」
「そ……っ、や。いや、そ、それは関係ねーっていうか……。第一あいつ、見た目で惚れたりはしねーらしいぞ」
「へー、そうなんだ? で?」
「『で?』……って。それにあいつ、俺のこと『女の敵』くらいにしか思ってねーもんよ」
何かといえば喚き散らして引っ叩いてくるし。
話があるからとせっかく捕まえても、隙を見ては離れたがる。
思えば最初の出会いから「変態」だ「タラシ」だと叫び散らされていたし、よほど嫌われているのだろう。
おまけに――
どうも自分はよほど気が回らないのか、気付かぬうちに地雷らしきものを踏んでしまってもいるらしい。
半分泣きそうになっている顔も何度目にしたことか。
そういえば塚本と何か通じ合っていた話も、結局自分にだけ教えてもらえなかったし。
「……うん、やっぱそうだ。ぜってーすんげー嫌われてんぞ。デリカシーねえだの、もっとヒトの気持ち考えろだの、もう散々言われてんし」
「まあそうだね。翔はもっと相手の気持ち深く慮るべきだね。……っていうか、違う! それ以前に今は自分の気持ちだってば! 翔ってこんな鈍かったっけ!?」
「はぁ?」
ああ結局言っちゃった……とぶつぶつ言いながら侑希が頭を抱えている。
「だって、瑶子先輩の気持ちには応えようって気にならないんだろ?」
「まあ…………んだな」
「じゃあそんな瑶子先輩がさ、さすがにあきらめて涙ながらに去って行ったとしたら、翔追う? 今度は追いかけたくなる? どう思う?」
「追っかけはしねえ……だろな。最後まで『悪かった』とは思うだろうけど」
「だよね。じゃあ翔に告白しにきてフラレて泣きじゃくって逃げてく他の女の子たちは? 引き止めようと思う? まあそんな翔の姿、今まで見たことないし想像もできないけど」
「ねえな。基本『去るもの追わず』」
「じゃあ、何も言わないで西野が急に泣き出して走り去ろうとしたら?」
「『待てコラ何だそりゃ』っつって首根っこ引っ掴む」
「ほら」
「『ほら』って……。おまえの例え、さっきからおかしいだろ……」
思わず脱力しかけ、前のめりになったまま呆れ顔で幼馴染を睨んでやる。
そもそも前提や状況の仮定にまるで公平さがないし、何をどう比べさせてどう考えさせたいというのか。
というかそもそも何を言いたいのだ、侑希は。
「おかしいのは翔だってば。そこまで言い切れるのに何で気付かないの? ここまで鈍いとは思わなかったよ」
「はあぁ?」
「っていうかさ」
抑えられた声音とは裏腹に、突然、鼻先にビシリと人差し指が突き付けられた。
「俺のキレ気味な問いかけにびっくりして迷ってばかりでまともに答えられなかった時点で、普通気付くでしょ? 自分の気持ちに」
「――」
確かにまともに応えられなかったし、そういえば否定もしなかった……。
が――。
「他の誰とも違うじゃん。翔の西野に対する態度」
「…………え」
「『え』!? 『え?』って! うわあぁぁぁ……鈍い。鈍すぎる! 翔、バカなの!?」
突然、静かだった雰囲気を何もかも打ち壊すような侑希の叫び声。
「信じられない。お話にならない。それでよくヒトのこと『バカバカ』言えたねー、先輩? 逆に尊敬するわー」
ひとしきり冷ややかな目で見据えてきたかと思うと、構ってられないとばかりにまたズンズン先を歩き始めた。
「や……ま、待て。だからってなんでそれで俺が――。わかんねーんだ、っつの」
「あーもーそのくだり飽きた。一人で取ってくるからしばらくそこで頭冷やしてて、バカ先輩。寄られると鈍感が伝染りそう」
年上を年上とも思わない、身も蓋もない返答がすでに遠い声となって返ってくる。
「……んだよ」
突然バカバカ連呼したうえに頭を冷やせとは何たる言い草であろうか。
良い関係を壊したくないと真摯な態度で頭を下げ熱く叫んでいた先ほどの姿は何だったのだろう。
とは言えまったく心当たりが無いわけでもないため、やや憮然としてボリボリと後頭部を掻きむしる。
――でも……と、翔は未だ激しく降りしきる暗い雨空を見上げた。
(俺が、彩香を……?)
ここに来ても多くはわからないままだが。
一つだけはっきりと自覚したことがある。
「申し訳ない」としか思えず気を遣わずにはいられないあのイトコに対する思いとは、確かに全然違うのだ。彩香に対するこの気持ちは。
未だはっきりと掴みきれていない現在の思いでさえ、そう自覚させるに足るものだ。
確かに、自分はあの小うるさい年下の彼女を気に入っている。
怒られても殴られてもつい構ってしまうほど――。
けれどもそれは単に、自分が償うべき幼馴染の想い人である彩香への好奇心からきているものだとばかり……。
そうではなかったと――いうことなのだろうか?
「……」
結局のところ、すぐには答えが出そうにない。
あきらめたように軽く頭を振って侑希の後を追い始める。
帰りの道中も「鈍い」だの「バカ」だのと罵倒されるなこれは……と、あきらめとともに妙な笑いが込み上げてきた。
ふいに。
クラブハウス側ではない正面のグラウンドに続く通りに人影が見えた――気がした。
目を凝らしてその影を正視して、思わず目を瞠る。
降りしきる雨の中に立つあのシルエットは……
「――彩……香?」
数十メートル先で、傘も差さずに呆然と佇んでいた小柄な制服姿の女子。
「は……早杉さ――」
訝しげにほとんど独り言のように発した声が奇跡的に届いたのか、たまたまこの姿が視界に入ったのか――
ゆらりと反応したように顔を上げたのは、紛れもなく西野彩香本人だった。




