想いの先へ(2)
スマホの音楽再生を一時停止させ、早杉翔は寄りかかったローベッドにごろんと後頭部を投げ出した。
考えごとの邪魔になって音を消してはみたものの、今度はやけに静まり返った自分の部屋に妙に違和感を感じる。
落ち着かない気はしたが、あえて再びタップすることをやめ、抜き取ったイヤホンをそのままスマホごと頭上に放り出した。盛大なため息付きで。
帰宅後夕食までのわずかな時間、いつもなら一つでも課題を片付けておこうとするところだが、今日はまったくと言っていいほど机に向かう気にならない。
混乱と疑心、加えてひたすらため息の元となっているその理由を思うと、どうしても平静ではいられなくなる。
あれからずっと胸をざわつかせているのは――脳裏を駆け巡って止まないのは、幼馴染のあの信じ難い言動。
――『そんなに思い出してほしい? ……そうすれば俺なんか気にしないで堂々と西野が好きだと言えるから? だから?』
――『あの事故からずっと俺に気を遣ってばかりで……。翔、俺に本当の自分で接してくれたことなんてないんじゃない? 俺ってそんなテキトーな存在? 本気で当たる価値もないって?』
(なんで侑、あんなこと……)
確かに、彼に気を遣ったことなどないと言えばそれは嘘になる。
けれど本当の姿で接してない、というのは――
(違う。それは完全にあいつの思い込みだ)
つい先日、あとは忘れていくだけの面白くもない過去を掘り返して瑶子に対する思いを明かしたのも、なぜだと……何のためだと思われていたのだろうか。
訊ねられたからというのもあるがそれ以上に、信頼に足る相手だからこそ――彼であったからこそ、今まで誰にも話してこなかったことを打ち明けたというのに。
それが侑希にはまったく伝わっていなかった、ということか。
またひとつ大きなため息を吐きながら、思わず両手で額を覆っていた。
八歳の時に近所に越してきて以来の仲だが、彼のことはよく知っていたつもりだった。
幼いころから真面目で温厚で、誰に対しても優しく誠実で。
周りへの配慮もしっかりでき、よほどのことがない限り滅多なことを言う奴ではない。
だからこそ、この耳を疑った。
――『じゃなきゃ瑶子先輩と付き合ってるって噂、否定もせずに俺に安心させておいて――その実、西野との距離を縮めてた?』
大事なイトコだからこそ言えずにいること、とれずにいる行動を――
これまでの自分の迷い、葛藤、決心といったものすべてを蔑ろに……粉々にされた思いだった。
あの瞬間、自身の中に渦巻いていたのは、未だかつてあの相手に対して感じたことのない憤り。
信じられなかった。
胸ぐらを掴んで揺さぶって、引きずり回してでも確かめてやろうと思った。
吐いているのは本当に侑か?……と。
でも彼は確かに言ったのだ。
まるで瑶子との噂を利用して安心させておいて、その隙に彩香に巧妙に近付いているようだと。
いったい、侑希に何があったというのか。
いや何があったとしてもあんな――相手の怒りをあえて買って確実に関係を悪化させるだけのような、あんな物言いをする人間ではない……はずだ。
何が彼をそうまでさせた?
この自分の態度が、彼にとってはそこまで疑われ責められるようなものだったとでもいうのか。
――『むしろもう一回言おうか? それで翔の本心が聞けるなら』
(俺の……本心?)
あえてそれを問うほど、侑希にあんな態度をとらせるほど、気持ちを偽っているように見えた……ということだろうか?
(俺が、よりによって瑶子との噂を利用して彩香と……?)
いや、そんなワケはない。
誰が何と言おうとそれだけは違う。
瑶子を――あの従妹の気持ちをそんなふうに扱えるわけがない。この自分が。
同い年で親戚の中でも最も身近に感じられてきた従妹。
彼女の望みなら、自分にできることであれば何でもしてやりたいとは思う。思っていた。あんなことになる前から。
――実際は、あんなことがあった後でさえ……望みを少しも叶えてやれてはいないのだが。
軽く目を伏せると同時に、薄っすらと自嘲の笑みがもれていた。
そばにいてほしいと瑶子は言った。
「翔なら大丈夫だから」と。
他に誰もいないなら、本気で好きな相手が現れるまででいいから――とも。
どういう意味かわからないわけではない。
うなずけはしなかったが、強く拒めもしなかった。
そうなったのは――瑶子が酷く傷ついたのは、自分のせいなのだから。
少しでも償いになるのなら……。
そう思ってうなずきそうになったことも、実のところ無いわけではなかった。
「……」
どうにもやるせない思いが膨れ上がり、握り拳を当てた下で強く目を閉じていた。
そうして浮かんできた泣き顔を無理やりにでも掻き消していく。
付き合う、ことならできる。
そういう意味ではまったく彼女を想っていないこの気持ちを無視すれば、だが。
でもそれでは意味が無い。
何の償いにもならない……ような気もする。
それがわかっているから動けない。
動けない、のに。
迷ってばかりで少しも動けないでいる――にもかかわらず、瑶子と付き合っているという噂にだけはなぜかしっかりなっているらしい。しかも侑希の話ではそうとう広まっているのだとか。
現にそう思い込んでいたらしい彩香に「彼女がいるくせにフラフラしてんじゃねえ!」的なセリフを吐かれたあげくに、おもいきり引っ叩かれたし。
それはもはや疑いようもなく確かな情報なのだろう。
(何やってんだ、俺……)
瑶子を完全に受け止めてやることも切り離すこともできずに――。
そう思えば当然ため息も深くなる。
これでは彩香に「女たらし」「女の敵」と叫ばれても、ある意味しょうがないではないか。
――『気の遣い方、間違えてるよ! 俺にも、瑶子先輩にも!』
先ほど侑希にまで言われてしまった。
あまりに的確な指摘に、完全に虚を突かれていた。
彼に言われたとおり、瑶子のためにならないどころか……かえって残酷なことをしているとも思う。
自分にその気がない以上変に期待を持たせるべきではないし、その間――というかこうしている現在も含めてだが――彼女の時間を刻一刻と無駄にさせてしまっているようなものなのだから。
けれど。
傷ついた彼女がそう望むなら……。
こうして償っていかなければいけないほどのことを自分がしたのなら。
せめて瑶子の傷が癒えるまでは、彼女の望みどおりそばにいてやらなければならないのではないか。
望まれてそういう形になっただけだとしても。
たとえひたすら申し訳ないと思いながらだとしても。
そう思う自分がいるのも確かなのだ。
いっそ何も気付かず深く考えず、あのまま瑶子を好きになれていたら……。
「……」
それこそ考えても仕方のないことだ。
やはり『仮定』に意味なんて無い。
気持ちばかりはどうにもならない。
親戚以上の感情を持てないのも事実なのだ。




