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陽だまりにて待つ!  作者:
第4章 点と線
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想いの先へ(1)

 


  

 コトリ。

 軽い音を立てて最後のファイルを上段の棚に並べ終え、彩香はキャビネットの互い違いのガラス戸を閉じた。

 元どおり、どうにかスッキリ整頓されたミーティングルーム内を振り返って、ようやく静かに息をつく。  

 今は誰も居なくなった室内を見回すその表情から、神妙な色はなかなか拭い去れはしないが。  


(……()()()、何があったんだろう?)


 初めに目にした部屋の中は、普段からは考えられない荒れようだった。


 どの部も使える部屋だからこそ、その権利が無くならないよう皆注意を払って整理整頓を心掛けてきた。使った日は使用者が元どおり綺麗にして帰ったものだ。

 もちろん陸上部も。

 これまで、あの几帳面な柚葉があんな状態にしたまま帰ってしまったことなども、当然のことながら一切、無い。

 ……はずなのだが。

 彼女がこの部屋を飛び出していった直後、あの酷い有り様だったのは確かなのだ。


 パイプ椅子は無残になぎ倒されたものや、長テーブルのコの字型から大きく外れてあらぬ方向を向いていたものが数脚。

 見慣れた陸上部のバインダーやファイルもテーブルの上に出しっぱなしだったり酷い状態で床に散らばり落ちていたり……と、誰が見ても乱雑どころではないだった。  


 そして。

 同じくここにいた、あの男子二人。   


「……」


 ほんの数分前、確かに何かがあったはずなのだ。この空間で。

 そうでなければ説明がつかない。

 柚葉の涙と、あの二人――早杉翔と沖田侑希を取り巻いていた、どこか重々しい他人行儀な印象さえ感じさせたあの雰囲気。

 視線を彷徨わせて少しだけ過去に思いを馳せながら、彩香はくしゃりと前髪を掻き乱していた。







『何か……あったの?』


 無言で立ち尽くす彼らの間に何かを感じ取り、思わずそう口を開いてしまっていた。


『早杉さん?』


 より近くにいた長身を振り仰いで訊ねるも、


『…………』


『え……ちょっ、あ、あの――』


 無言で、今度は目も合わせず歩き去られてしまった。


 そ、そういえば数時間前またしてもおもいきり引っ叩いてしまったのだった。

 それが原因のシカトだろうか……と冷や汗とともに一気に青ざめた。

 悪態を付き合うことはあっても無視まではされたことが無かったため、さすがに気落ちしかける。


 が。そっ、そんな場合じゃない!今は柚葉のことを確かめねば! と無理やり気分を立て直して、すかさず室内へと意識を向けた。

 

『え……お、沖田く――何? ねえ、何があったの!?』


 脇目もふらずに侑希の元へと歩を進め、気付くと彼の両腕を掴んだあげく強く揺さぶっていた。


『沖田くん!』

『――――』


 逸らし気味の表情を微かに歪め、彼が口を開いたのは数秒後。


『…………だ……』


『え?』

『滅茶苦茶だ、俺』


 やり切れないといった表情で目を伏せながら、侑希。

 腕に掛かっていた彩香の手をそっと引き剥がしたかと思うと、


『――ごめん』


 一言だけ残して、前の二人と同様に立ち去ってしまった。







(……わかんない。わかんないってば)


 片付け終わった部屋と、何の説明もくれずに皆出て行ったドアを見つめてきゅっと唇を噛む。


(あれは、何に対しての『ごめん』?)


 こんな自分にわかるわけがない。

 たったこれだけの状況と少ないヒントだけで。

 でも予感がしたのだ。よくない予感が。


 逸るような気持ちで、入り口近くの床に置いた荷物に歩み寄る。 


(このままにしといちゃいけない……!)


 膨れたスポーツバッグと学生鞄を一気に抱え込み、気が付くと勢いよくミーティングルームを飛び出していた。







 ◇ ◇ ◇ 







「え……っ? まだ、帰ってないん……ですか?」


 胸の前で大荷物を抱えたまま、彩香は気の抜けたような声を出していた。

 電車以外はまたもや走り通しだったため、息だけはこれでもかというほど上がっている。

 あれから時間にして約三十分。

 場所は柚葉の家の玄関先である。


「特に電話も無かったし、もうじき帰ってくると思うけど……。何やってんのかしらねえ、あの子ったら。ま、上がって待ってなさいよ彩香ちゃん。お茶入れるから」


 それほど心配しているふうでもなく、すっかり馴染みの柚葉の母親――千草がにこやかに言う。

 ……が。


(まだ帰ってない、って……え? いつもの道通ってきたよね、あたし? まさか途中で追い越して気付かない、なんてことは……)


 何か反応があったりしていないか、と念のため手元のスマホを手早く操作して覗き込む。

 ここに至るまでに数回コールしてみたりメッセージを送ったりしてはみたのだ。


 案の定、画面は先ほどから何ら変わっていない。

 最後の発信送信はどちらも自分、だ。

 もしかして柚葉は画面を見てもいない――?

 いや、そもそも手元に無い……とかだろうか?


「でも珍しいわね。今日は帰り、柚葉と一緒じゃなかったの?」


 眉根を寄せ本気で考え込んでいる娘の親友の様子にはまったく気付かず、千草が嬉々としてスリッパを並べてくれている。

 あの大喧嘩によるここ一週間の断絶状態は知らないらしい。


「え……あ、はい。ちょっと……あたしのほうが用事あったんで」


 言いながら、何気に背後の暮れかけた空を見上げる。

 柚葉のほうがそれこそ本当にどこかに用事があって寄り道してる――とかだろうか。

 ……でもどこに?


(っていうか、あの状態で?)


 大泣きで酷く取り乱して逃げ去った様子を思い返して、すぐにハッとする。

 やっぱりおかしい。

 あんな状態でどこかに立ち寄っているとはとうてい思えなかった。


「あ、お茶はいいです。柚葉探してきます。後で取りに寄りますんで、玄関ここに荷物、置かせてもらってもいいですか?」


 返答を待たずにすでに荷物を下ろしにかかっている彩香。


「え? それはもちろん構わないけど彩香ちゃん傘持っ――――……てる? 雨降るらしいわよ、って言いたかったけどやっぱりもう居ないか」


 荷物を置くやいなや一目散に玄関から駆け出していき、遠くの方ですでに点にしか見えなくなっている後ろ姿に、「毎度のことだわね……」と千草は穏やかに微笑んでいた。 







 ◇ ◇ ◇







 歩道橋の上を足早に行き交う人の数が増えた。

 そんな天候を気にして家路を急ぐ人の流れには乗らずに、制服姿の女子高生がひとり、欄干に両肘をついて佇んでいる。

 クセのない長い黒髪がわずかな風にサラリと揺れた。

 

(もうそろそろ降り出すのかもしれない……)


 ぼんやりと考えて、柚葉は流れ方の速くなった仄暗い空を見上げる。 

 いつもならまだかなり明るさの残っている時間帯なのだが、さすがに迫りくる雨雲には勝てないらしい。

 そういえば傘も何も持っていないし、どうしよう……?と、今さらながら気付いてしまった。

 というか、よく考えたら鞄も部室に置きっぱなしなのだった。


(……でも、いっか……。もうどうでもいい)


 どこかしらに雨避けはあるし、ひどくなったらどこかの店にでも駆け込ませてもらおう。

 最悪、どこにも避難できなくても濡れるだけだ。


 眼下には家路を急ぐ車の列。

 横断歩道前で信号の変わり目をまだかまだかと待つ人の波。

 目に映る何もかもが、ひどく現実離れしているようだった。

 あまり馴染みのない駅前通りだから、という理由だけではないことも重々承知している。


 どのくらいの時間、こうして歩道橋の上に立ち尽くしていただろうか。

 もう涙もすっかり乾いてしまった。

 ただ――――今は何も考えたくない。

 それだけだった。


 ふいに、軽い振動をポケットの中に感じる。


 先ほどからもう何度もやり過ごしてきた、スマホの着信を知らせる震えだ。 

 長い……。今度も電話のほうか。

 もう困惑したような表情がちらつくことも、焦りに似た感情に苛まれることもなくなっていた。

 申し訳ないという気持ちだけは、根付いているものの……。


 身動みじろぎひとつせずに、柚葉は振動が止むのを待った。


 誰からなのかは見なくてもわかる。確認するまでもない。

 あんな号泣状態の――取り乱した姿を晒してしまった後だ。

 電話に出ず、返信しないどころかメッセージを読みもしないでいる自分を心配して、あの親友がとにかく接触を図ろうとしてきているのに違いない。


 心配ごとがあると居ても立ってもいられなくなるあの性格と行動力からすると、もしかしたらすでに自宅にまで駆け付けているのかもしれなくて――。


(でも……)


 どう考えてもどんなに気を奮い起たせて頑張ろうとしてみても、笑うのは無理そうだと判断したから、自分は今こんなところにいる。

 今、何でもない顔をして彼女に相対することだけは、とうていできそうになかった。  


 やがて。

 名残惜しげに振動が途切れた。


(ごめん彩香……。今は無理……)


 明日にはちゃんと……何でもない表情ができるようにするから。

 どさくさに紛れて仲直りもする。思う存分アイスクリームショップにも付き合うし、何でもいくらでも愚痴も話も聞くから。

 だから―― 


(今だけ……今日だけは――。放っておいてほしい。待っていてほしい……)


 切に願った。

 そして。

 今会ったらきっと、またヒドい態度をとってしまう。そんなつもりがなくても、きっと……。

 そういう恐れもあったからだ。


 これ以上最低な自分を見せたくなかった。

 自分はもう……いろいろと駄目だろうから。


 もう、この気持ちも沖田侑希本人に気付かれてしまっただろうし……。

 頑張れそうにないのだ。

 見ているだけでいいと思っていたはずなのに、それさえも無理な気がする。

 キレイな思い出も「侑くん」に対する想いも、もう……きっと抱き続けてはいけない。


 しばらく乾いていた瞳が、あっという間に潤み始める。


 このうえ、大切な親友まで失いたくはなかった。


(だから……今は――)  


 すっ……とペンキの剥がれかかった薄汚れた欄干から離れ、柚葉はうつむいたままゆっくりと歩道橋の階段を降り始めた。








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