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陽だまりにて待つ!  作者:
第4章 点と線
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決壊(4)




 十数秒――――もしかしたら、ほんの数秒だったかもしれない。

 時が止まったかのように、室内は静まり返っていた。


 今の今まで自分が何をしていたのか。

 どうしてこんなところで隠れるように膝を抱えてしゃがみ込んでいるのか。  

 ともすると思い返すことさえ億劫になるほど、精神こころが――意識が……緩やかに現実から離れかけていたことに気付く。


 決して目を逸らせはしないのに。

 衝撃的な事実を……知り得てしまったというのに。


(でも、よかった……。大丈夫みたい)


 ほっと胸を撫で下ろしているつもりの自身の表情がどこか虚ろであることに、高瀬柚葉はまだ気付かない。 

  

 うつむいたまま目線を足元のすぐ横へと流すと、床の上でチャーム付きのボールペンがこれでもかと言うほど存在を誇示していた。

 そうだ。これを落としてしまったせいで、自分がここに居ることを知られてしまったのだった。

 そういえば……名前を呼ばれていたような気もする。

 

 働かない思考を置き去りにし、ひどく緩慢な動きで手を伸ばしてそれを拾い上げる。


(――大丈夫。涙は出てない……。なぜか少し……息苦しいだけで)


 それだけぼんやりと再確認して、ようやく柚葉は膝から顔を上げた。


 ぎこちなく振り返った先の室内――入り口近くには、何も発さず動かず凍り付いたようにその場に立ち尽くしている男子生徒二人の姿。

 驚いた顔で数歩分だけこちらに歩み寄りかけた沖田侑希と、うつむきがちに目線を逸らし壁際に立ちすくむ早杉翔。

 言い争う声と何かが激しくぶつかったような物音が響き渡っていた先ほどに比べれば、今現在彼らをとりまく雰囲気は静寂そのもの――であるはずなのに。


(そうだ……。早くここを出ないと……。こんな空気になってるのに……あたし何を――)


 張りつめた空気と二人の強張ったような表情に、にわかに息苦しさが増した。

 二人とも驚いて、きっとこの上なく迷惑してるはず。

 自分なんかが大事な話を聞いてしまったりしたから――


「高瀬……」


 再び侑希の口から掠れたような声がもれ、思わずハッとする。


「あ……」


 小さく肩を震わせて我に返ったとたん、自身の置かれた状況をあらためて把握した。

 何をのんびりしていたのだろう。こんな体勢で。


「ご……ごめんなさい。す、すぐ帰るから……っ」


 震えそうになる声を必死で堪らえながら、立ち上がる。


 意図して、ではなくとも結果的に盗み聞きをしてしまったようなものだ。

 誠心誠意謝って、一刻も早くこの場を立ち去る以外にできることはない。

 今この状況で自分は余計な――邪魔なものでしかないのだから。 

  

 踏み出す一歩一歩にわずかにふらつきが残るのは、長くしゃがみ込みすぎたせいか。

 それとも動揺している気持ちのせいだろうか……?

 もつれそうになる足をどうにか動かして元いた長テーブルへたどり着き、顔を上げないまま筆記具とファイルを纏め始める。


 震える指先が思った以上に使い物にならない。

 もどかしく思いながらもどうにか卓上で崩れたものを片し終え、ふと床に散らばり落ちていたファイルや倒れたパイプ椅子の惨状を目にした瞬間。

 椅子やテーブル――おそらくは人もぶつかり合ったのだろう、あのけたたましい物音が頭の中で蘇っていた。


(……聞かなきゃよかった……)  


 気が付くと視界が揺れていた。


 少しずつじわじわと波打って……目の奥がどうしようもなく熱い。

 聞きたくはなかった。あんなこと――。

 下手にあんな隙間に隠れたりしなければ……。

 空模様を心配してあのまま家に帰ってさえいれば――


 知らずに済んだかもしれない事実をあらためて思い返せば、止めようもない程さらに涙が込み上げてくる。


 やはり、完全に忘れられていただけではなく……

 彼が――()()が好きなのは彩香だった。  


(ダメ……泣いちゃ……)


 ここで自分は泣くべきではない。泣く権利などないのだから。

 彼らに気付かれては……気を遣わせてはいけない、と焦れば焦るほど我慢の甲斐なく涙はこみ上げ、ますます顔を上げられなくなる。


(大きな音がしてた……。あのままいけば掴み合いのケンカになっていたかもしれない。ううん、仲の良い彼らにしてみればこれはもう立派な――)


 ――『言っていいよ。言うべきだよ、俺も西野が好きだって!』


 ふいに思い起こしてしまった侑希の声。

 喉元を鷲掴みにされたように一気に息苦しさが増した。


 ――――大丈夫……などと、どうして思えたのだろう。 


「……っ……」


 そう気付いた瞬間、床に透明な雫がぱたぱたとこぼれ落ち、締めつけられるように痛む喉からは微かに嗚咽がもれ始めていた。

 もう顔を伏せても手のひらで覆っても――――何をしても無駄だと悟った。


 傍では微かに息を呑むような気配。

 うつむきがちな顔を上げ、わずかに身動きした侑希の姿が視界の端に映り込んだ……ような気がした。

 まともに振り返れるわけもないが。

 泣いていることはもちろん、彼へのこの想いまで気付かれてしまったかもしれない。


 けれど、もう抑えられなかった。


 ――『むしろもう一回言おうか? 何度でも言うよ。それで翔の本心が聞けるなら』


 鼓膜に残る侑希の言葉。

 冷たささえ感じさせる静かな声。

 ずっと一緒だと笑い合った笑顔も、繋いだ小指と優しい面影の記憶もますます遠のいていく気がした。


 いや……もう――

 とっくの昔に遠のいてしまっていたのだった。


 わかっていたはずなのに。


(――そんなに……)


 堰を切ったようにあふれてくる涙をもうどうすることもできず、とうとう二人の横をすり抜けて駆け出していた。

 部屋の出口を――この場から逃げ出せる唯一の扉を目指して。


(そんなに彩香のことが好きだったの……? 侑くん!)


 勢いを抑えることなくドアを押し開けて、そのまま駆け出そうとした――――次の瞬間。



「え……うわっ!」



 外へ一歩踏み出したところで、ちょうどこちらに向かっていた誰かとおもいきり衝突してしまっていた。


 自分は開け放したドアに支えられる形となったが、ぶつかった相手は跳ね飛ばされるように地面に尻餅をつく。

 尻餅どころか――学校指定鞄も陸部バッグもすっかり投げ出され、ほぼ倒れ込んでしまっていたと言ったほうが正しいかもしれないが。


「っ痛ぁー……って、え……柚葉?」


 腰をさすりながらなんとか上半身だけムクリと起き上がったその相手を、思わず目を見開いて見下ろしていた。


「彩……香」







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