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陽だまりにて待つ!  作者:
第4章 点と線
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決壊(3)




「え? あ、ああ……」 


 急に何かを思い出したのか、頬を擦りながら翔が屈めていた身を起こす。  


「まあ、その、実はまたちょっとした抗争が……あってだな」


 眉はぐにゃりと寄せられ、引きつり気味に口の端が持ち上げられた。


「……西野?」

「スゲェ、なんでわかる? って、こう何度も何度も俺を引っ叩く女って言ったらあいつぐらいか。そりゃわかるわな」


 苦笑いしながらしっかし何度目だアイツめ、と指折り数え始める翔。

 どこか愉しそうなその様子を眺めながら、逆に侑希自身からはどんどん表情がなくなっていくような気がしていた。


「――二人で何、話してたんだ?」

「え?」


「練習前、西野と裏で話してるの見た」


 気付いたら真っ直ぐに、隣に立つ翔を見上げていた。


「あ……ああ、あれな……。あれは……ええと」


 どこかバツが悪そうに前髪を掻き上げて、翔が言葉を濁し始める。

 言い淀んでいるということはつまり、自分に対して何か後ろめたいことがある。

 そういうことなのだろうか。


 というか、彩香と自分は付き合ってるわけではない。

 そんな遠慮や感情を抱く必要さえないというのに。 


(やっぱり翔は……) 


 冷静に観察しながら、いつの間にか握り込んでいた拳に無意識に力がこもる。

 このバカ真面目な幼馴染は、やはりこんなところにまで気を遣ってくるのか。

 鬱々と胸の内に広がっていた不可解な感情の一部が、たった今、小さな確信に変わった――気がした。

 「嫉妬」も確かにあるが、今はそれ以上に――――  


「翔。いいんだよ? っていうか、なんで言わないの?」

「ん?」

 

「……本当は嫌だけど。本音で言ったらそりゃすごく嫌だけど」 


 以前面と向かって言ってしまったことでもあるのだが、ライバルになろうものならそれこそ最低最悪な相手だ。勝てるところがほぼ無いのだから。 

  

「でも好きになったんなら、仕方ないじゃん? こうなったらもう……ごまかさないで変に気を遣ったりしないで、真正面からちゃんと言ってほしい」 

「おい……」

「もしかして前に『惚れるなよ』って言っちゃったの、気にしてる? なら忘れて? 今すぐ」


「ちょ――ちょちょちょっと待て。おま……何言ってんだ?」


 ぽかんとして聞いていた翔が、突然あたふたと身を寄せてきた。

 再度身を屈め、ストップストップ!と言わんばかりに開いた両手のひらを眼前にかざしながら。


 あの時は、翔に対して思わずああ言ってしまった――今にして思えば情けなさすぎて後悔然りだ――が、それだけだ。

 強制力もなければ何の意味ももたない、子供じみた嫉妬で口から飛び出ただけの言葉にすぎないのはわかりきっている。


「そりゃ嫉妬はするし情けないし、俺全然ダメダメだけど。あんな言葉を盾にとって安心するような小さい人間じゃないつもりだけど? 翔にはそう思われてたってこと?」

 

 こんないろいろな意味で壊れかけている自分でも。そのくらいの矜持は保てていると思いたい。思わせてほしい。

 そう思い至った瞬間、さらに掴めたような気がした。残りの感情を。思いの全貌を。

 先ほどから胸の内で燻っている、自身でもよくわからなかったこの感情の正体が何なのか――。


「や。思ってねえ……じゃなくて! ま、待て。だから」

「前から言ってるけど、そうやって気を遣うのやめてほしい。そもそも翔のせいじゃないのにこんなことまで遠慮されてさ、いい加減――」


「待てって。聞け、侑! そうじゃねえ……!」  


 痺れを切らしたように翔が一気にボリュームを上げた。

 怯むことも切々と訴えたい熱が引くこともなかったが、とりあえず向こうの弁も聞くだけは聞こうと口を閉ざしてみる。


「そうじゃなくて……おまえのこと話してたんだよ」


「――――俺のこと?」


 見ると、ああもう……言わねえつもりだったのに、そーくるかよ……などと低くブツブツ言いながら、黒々とした前髪をこれでもかとばかりに掻き乱している。

 やがてあきらめたようにため息を吐き、そのまま片手で額を覆った。


「そう……。だから……その、おまえの昔のことについてさ」

「――」


 突如、すっと熱が引いた。


(昔、の……) 


 訴えかけたかった何もかもが瞬時にどこかへなりを潜め、代わりに別な何かが―― 

 くらく重々しい何かがゆらりと頭をもたげたのを自覚する。


 「今」ではなく「昔」を……? 


 そう思えば、いつの間にか爪が食い込みそうなほど強く拳を握り込んでしまっていた。

 そんな異変には気付かず、やたら大きなため息を吐き切ってから、翔があきらめたように振り返る。


「……あのな。実はあの『アズ』って名前――」


「そんなに思い出してほしい?」


 吐き捨てるように発されたのは、自分でも驚くほど低い声だった。


「え?」


「もういいって何度も言ったよね? それでも……そんなに、俺に『昔』に戻ってほしい? 西野を忘れて。……そうか、そうすれば俺なんか気にしないで堂々と西野が好きだと言えるから? だから?」

「侑……?」


 信じられないとばかりに翔が目を見開いている。

 まさかこんなセリフを吐ける相手だとは思われていなかったのだろう。同感だ。自分でもまだどこか信じられない。

 でも――――吐かせているのは翔だ。


「違う? じゃあ何? また責任? ずっとそんなで――いつまで変な責任感じて背負ってくつもりなの? 昔から――あの事故からずっと俺に気を遣ってばっかりでさ」

「――」


「……翔、俺に本当の自分で接してくれたことなんてないんじゃない? 俺ってそんなテキトーな存在? 本気で当たる価値もないって?」


「――それは、違う」


「だったら言えるよね? 正直な自分の気持ち」 

「……は?」

「言っていいよ。言うべきだよ。『俺も西野が好きだ』って」

「何言って――」


「言っていいんだって。気を遣うとこ間違ってるよ翔は! 俺にも瑶子先輩にも!」


「――――」


 今度こそ完全に、翔が目を見開いて固まってしまっていた。

 瑶子(マネージャー)のことまで引き合いに出された驚きだろうか。

 でも確かにそうなのだからしょうがない。

 彼は間違えているのだ。


 自分がどんな顔で笑うようになっているのか、まさか気付いていないわけでもないだろうに……。


「……やっぱり言えない、か。ほら。何だかんだ言って、現に翔はこんなにも俺に気を遣ってる。気を遣われて遠慮されて……こんなふうに本心隠されて、俺が喜ぶって――本気で思ってる?」


「い……いや、そうじゃなくて俺は――」


 認めようとしないばかりか、この期に及んでワケがわからないとでも言いたげな翔の態度に、一気に苛立ちが膨れ上がった。

 

「じゃあ――」


 これを言ったらさすがにマズいかもしれない、と一瞬だけ頭のどこかで思った。


 ――が、それだけだった。


「それとも、すべて計算だったりする? 優秀なその頭の中では、俺そろそろ西野忘れて昔好きだった子を思い出す頃合いだった、とか?」


「――」


「じゃなきゃ瑶子先輩と付き合ってるって噂、否定もせずに俺に安心させておいて――その実、西野との距離を縮めてた? これからそうするつもりだった?」



 一瞬の空白の後、テーブルや椅子が激しくぶつかり合う音が部屋いっぱいに響き渡る。


 衝撃でパイプ椅子が倒れ、テーブルに積み重ねられていたファイルが束で崩れて床に散らばった。

 気が付くと、勢いよくTシャツの胸ぐらを掴み上げられ立たされていた。


 背中にはわずかな痛みと冷たい壁の感触。


 いつの間に壁際まで追い込まれていたのか、という驚きは一瞬だけ。

 未だ信じられないものを見るような、だが確実に怒りの点った瞳がすぐ目の前にあった。


「――――何言ってるか、わかってっか?」


 怒りに任せて胸ぐらを掴みあげたはいいものの、未だ驚愕のほうが遥かに色濃く残っている翔の表情。

 そんな憤りと困惑が混在した顔を真っ直ぐに見上げる自分の心の内は、意外なほどに凪いでいた。 


「わかってるよ? ちなみに後悔もしてない」


 「嫉妬」の二文字では片付けられないと思ったこの感情。

 瑶子のことまで変に引き合いに出して、どれほど酷いことを口にしているのか、自覚もある。

 でも。

 それでも―― 


「むしろ、もう一回言おうか?」  

「――」


「何度でも言うよ。それで翔の本心が聞けるなら」


 それでも、()()でありたいと。


 いつだって真正面からぶつかってほしいと、心の底から認めてほしいと。

 思えばあのころから願っていた気がする。


 遠慮され、一方的に気を遣われて、そうして何かを得られたとして何が嬉しいものか。


 選んだ言葉に問題がなかったとは言えないが、このまま殴られたとしても退くつもりはなかった。


 ――が。

 すぐに胸ぐらを掴む力が弛められる。 


 少しだけ高い位置で愕然と瞠られていた瞳が、さらに困惑したように訝しむように歪められた。

 

 ――――そのタイミングで。  



 カツン、と床に軽い音が響いた。



 他に誰も居なかった――――居ないと思い込んでいた、部屋の奥。

 どこから落ちたのかロッカーの傍らに、何となく見覚えのあるボールペンが転がっている。


 翔から離れて二、三歩奥に向かうと、ロッカーの陰に誰かが身を潜めるようにしゃがみ込んでいるのが見えた。

 さらに歩を進めて、思わず目を瞠る。


 腰までとどく艷やかで癖のない黒髪の、制服姿の女生徒。  

 すっかり伏せられて顔は見えないが、両膝を抱えるようにしてそこにうずくまっていたのは―― 

 紛れもなく侑希のよく知る人物だった。  


「高瀬……?」


 





うわああああぁぁ!

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