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陽だまりにて待つ!  作者:
第4章 点と線
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決壊(2)




 何だか今日は、殊のほか疲れた気がする……。


 解散直後。

 真っ直ぐ更衣室――男子部屋――へは向かわず、沖田侑希は練習前と同様、ミーティングルームへと足を踏み入れていた。 

 

(気持ちも体も重い……。何だこれは)


 どっかりと崩れ落ちるようにパイプ椅子に腰掛け、そのまま鈍い痛みのある頭部を抱え込むようにして両肘を長テーブルにつく。


 どこでもいいから、とりあえず一人になりたかった。

 心身ともに変に疲弊したこんな姿、今は誰の目にも触れさせないのが無難だろう。そう心底思う。

 インハイも来月に控え、まともに心配されてしまうのは目に見えている。

 

 いや、もっと正確に言うと――

 そうして心配してくれた相手に、「問題ない」といつもどおり笑って対応できる自信がまるで無かった。 

 そんな余裕さえ今日は特にきれいさっぱり消え失せているような気がする。 

 どうしてこうも情けない状態になっている?  

 あらためて思考を巡らせれば、望まずとも浮かんでくるクラブハウス裏のあの光景。


(いや……違う。あんなことくらいで……)


 ブンと頭一つ振って、悪い考えをかなぐり捨てるべくため息を吐き切る。 

 そうだ、疲れているのだ。

 何でもない光景シーンがこんなに気になるのも……頭から離れないのも。

 寝不足と疲労のせいとしか……。


 練習中も幾度となく浮かんできたあの二人の姿。

 どうということはないはずだ。いつもなら。 

 翔と彩香が話している場面なんて別段珍しくもないし、どういうことかと詰め寄るべきことでもない。

 自分にそんな権利があるわけでもないし。

 人目を憚らず怒鳴り合う場面もじゃれ合うように悪態付き合っている姿も、もう何度も目にしてきたではないか。


(そう……。疲れているだけだ……)


 うつむきがちに息をついた拍子に、開かれっぱなしのファイルが今さらながら目に付いた。

 さらに左右にも数冊ずつ積み上げられているそれは、練習前にも目にした陸上部の記録簿。

 マネージャーの誰かが仕事の途中だったのかもしれない。何らかの事情でちょっと退席しているだけで。


 もしかしたら練習前にもここを訪れた高瀬柚葉かもしれない、と片手でファイルを引き寄せながら一瞬考えた。

 ふいに、髪に触れて逃げられてしまった状況を思い出し、若干の気まずさを覚える。


(そうだ……。不可解な出来事がもう一つあったんだった……)


 出来事も何も自分の言動だが……と半分投げやりな、微妙な笑みがこぼれた。


 柚葉の泣き顔が何らかのスイッチになったのは間違いないのに、結局その原因もはっきりわからないまま今日に至っている。


 いつも細やかにさり気なく部員の様子を気にかけてフォローして回る彼女は、我が部には必要不可欠なマネージャーだ。 

 決して押し付けがましいと感じさせることもなく、こんな一個人の頭痛にまで心を配ってくれて。

 ちょっとしたことさえ気に障ってしまったかと謝ってくるような控えめっぷり(控えめを通り越して逃げ腰ともいえるような腰の低さ?)は見ていて少し心配になるが。

 奥ゆかしいといえば聞こえはいいが、彼女はいろいろな意味で損をしてはいないだろうか。……余計なお世話かもしれないが。

 

 そして、そんな奥ゆかしく物腰柔らかなはずの彼女に、先ほど文字どおり脱兎の如く逃げ去られてしまった自分――。


(何やってるんだろう……俺?)


 項垂れ気味に、あきらめ半分に自嘲しつつ、それにしても――と思う。

 夢に出てくる子に似ている……などとうっかり触ってしまった己は、実はそうとうまずい気質を備え持っているのではないだろうか?

 さらに重くなった気分と頭を抱えて、苦し紛れに自分の記録が載ったファイルを探し当てて捲ると、ため息はますます深いものになった。


 思ったとおり今日の成果も芳しくない。

 芳しくないどころか、今年一番の悪タイムではないか。

 疲れているうえに、余計なことに気を取られていたりするからだ。

 苦々しく思いながらファイルを閉じて、初めから開かれていたものにあらためて目を落とすと、それはハイジャンチームのページだった。  

 

 最下段に印字された名前を目にし、またも蘇りかけるツーショットに微かに眉をしかめかけた――まさにその時。 

 沈みゆく気分とため息を断ち切るようなタイミングで、外から軽いノック音がした。


「お。やっぱここか」


 すでに制服ワイシャツに着替え終わり、あとはネクタイをするだけという格好になった幼馴染が、開かれたドアからひょっこり上半身を覗かせていた。







「翔……」


 仕上げのネイビータイを締め、ワイシャツの襟を折り返しながら早杉翔が入ってきた。

 すっかり帰る体で小脇に鞄を挟み込み、肩には部のショルダーバッグが提げられている。


「ほら帰んぞー――って、何だまだ着替えてもねーじゃん。ひとりで何やってんだ?」

「ああ……いや、別に」 


 軽く笑ってごまかそうとした矢先、ん?と翔が眉をしかめた。


「おい……何かまた顔色悪くねえ?」


「え? あ……ああ、うん。でも、大丈夫だよ……」

「おまえの『大丈夫』、アテになんねーっつの。そういうときは無理すんなっつってんだろーが。休むのも大事ってグッチだって――」

「あー……はいはい、わかりました、すみませんでした」


 突如始まった口うるさい説教に、いつもどおり耳を塞ぎながらすかさず謝ってみせる。もちろん苦笑付きで。

 とりあえずの謝罪でもこの相手を黙らせるには結構効くのだ。


 それにしても――こんな幼馴染の顔色まで毎度毎度よく気が付くものだ。

 感心はするが、ますます顔を上げられず落ち着かない気分になってしまった。 


 先ほどからずっと、正体はイマイチよくわからないがあまりよろしくない感情が心の内で渦巻いていたのだ。

 望まずともその矛先を向けてしまっていた相手にこうして純粋に心配されてしまうと、どうにも居たたまれない……というか情けない。

 図書室で湧き起こった嫉妬心のこともあるし、なんと自分は小さい人間なのだろう。


 そう思うとさらに気持ちが沈んでいくような気がした。  


「…………他のみんなは?」


 せめてどこか後ろめたいようなこんな悪感情だけは隠し通さなければ、と顔を背け、ぼそぼそと話題を変えてみる。  


「もうほとんど帰ったぞ。雨降りそうだ、つって。んでおまえは――――何だ? 記録?」

「ああ……うん。ちょっと今日のを確認しに、ね……」 


 本当は一人になりたくてここに来ただけだが……わざわざ今言うべきことでもないだろう。

 なんとなく話を合わせておくことにする。


 パイプ椅子のすぐ左横で立ち止まり、翔が開かれていたページに目を落として、ふっと笑んだ。


「ほー、おまえいつの間にハイジャンチームに?」


「えっ。あ……ああ、いや、まあ……」


 どうせ気持ちは知られているのだし今さらか……と、あわてて取り繕おうとするのを止め、わずかに苦笑をもらすに留めた。


「つか、いいんじゃねえ? おまえ何でもできそうだし、この際十種とか」

「いや、駄目。跳躍系はどうも苦手だから」


 さらに言うと長距離もそれほど得意なわけではない。

 そういやそんなこと言ってたっけと軽く流しながら、翔が肩から外した大荷物と鞄を長テーブルに置く。


「お。あいつ跳べたんだ? へぇー、スゲーじゃん」


 立ったままテーブルに両手をつき、あらためて視線をファイルに落とすなり、感心したような声が上がった。

 誰が、とは聞くまでもない。


「うん、凄いよね」


 昨日の彩香の跳躍成功を、自分もたまたまリアルタイムで目にすることができていた。


「けど本人あんまり喜んでない感じだったけどね、昨日。なんでかな?」


 見ると◯印の付いている高さ自体、やはり他のメンバーに比べるとかなり低い。

 そもそも最初から身長差がある中での挑戦だ。当然といえば当然なことではあるのだが。

 まだ全然満足できる高さではない……よって手放しでは喜べない。

 そういった感情から、なのだろうか。



「まあ、目的は別にあるらしいしな」



 隣の高い位置で、ふっと穏やかに翔が笑った。


「――え」


「叶えたい何か、とやらがまだまだなんじゃねえ?」


 知らんけど、と何でもないことのように言いながら、その手はすでに次のページをめくっている。

 いつの間にそんな柔らかな笑顔で彼女のことを話すようになったのか、という点でも驚きだったが――。


「『叶える』……?」

「ああ、いや、『変えたい』だったかな?」

「――」


「そんな感じの何か。あえて無理そうなことに挑戦してんのも、自分なりに考えがあってのことらしいぞ」 


 細けえことは忘れた、と笑いながら終いには手に持ってパラパラファイルを捲り出す翔を、気付いたらまともに目を見開いて見上げてしまっていた。

 凝視していた、と言っても過言ではないくらいに。


「ん? どした?」


 ハッと我に返るなり、決して不自然にならないように顔を逸らした――つもりだったのだが。

 やはり敏い翔の目には留まってしまったらしい。  


「あ、いや」


 どうして走高跳を始めようと思ったのか、一度彩香本人に訊いてみたことがある。

 何となくはぐらかされて終わってしまい、結局のところ彼女の心の内を窺い知ることはできなかったが。

 親友の柚葉さえ知らないようだったし、話したくないことの一つや二つ誰しもあるだろう、とその時は普通に納得しておいたが――。


「そっか……。翔は、聞けたんだ」

「ん?」


 翔にはちゃんと話したということだ。

 自分では聞き出せなかった、彼女の「心の内」を。


 翔には。


 もしかしたら、とは思っていたが。 

 自分のこの勘はやはり当たっているのかもしれない。

 彩香が見ているのは――想いをよせているのは、おそらく……。


「侑?」


 いつの間にかすっかり伏せられてしまっていた顔を「どうした?」と身を乗り出してほぼ正面から覗き込んでくる幼馴染。

 そうだ……。

 翔なら――この相手なら無理もないと先日も思ったのだった。


 半ば呆然としたまま視線を返しかけ、微かに赤くなった彼の左頬に今さらながら目が留まる。


「……どうしたの? それ」


「ん?」

「ほっぺ。なんか腫れてない?」







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