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陽だまりにて待つ!  作者:
第4章 点と線
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決壊(1)




 暮れかけた空の下。

 早々と制服に着替え終わってスマホと筆記具だけを携え、高瀬柚葉は再びミーティングルームへと向かっていた。

 少しだけのつもりなため、荷物は女子部屋に置いたままだ。


 練習前のちょっとしたアクシデント(……いや、ちょっとどころではなくかなり赤面モノだったが)により、ここで予定していた作業が未だ終わっていなかったためである。

 ふう……と一息ついて、練習中は一本に留めているロングストレートをパサリと下ろす。

 二、三度軽く頭を振って手櫛で整えながら、柚葉は微妙な色合いの空を見上げた。

 

 夏場なため、外はそれほど暗くはない。

 若干雲行きは怪しくなってきたような気がするが。

 そういえば夜にかけて雨になるかもしれないと予報では言っていた。

 しまった。すっかり失念して傘を持たずに来てしまった。


(どうしよう……)


 ドアノブに手を掛けて少しだけ思案する。 


 濡れたくはないし、降りだす前に帰途につくべきだろうか。

 でも全員の記録簿一式、持ち帰って作業するとなるとそれなりに嵩張ってしまうし……。

 顎先に携帯を押し当てたまま、再度空を見上げて考える。


 任せられた仕事を明日まで持ち越すのは気が引ける。

 あと数十分もあればかたが付きそうだし、今すぐ降り出しそうな空の色にも見えない。

 よし、頼まれたところまで終わらせてから帰ろう。

 そう決めるや善は急げとばかりに揚々とドアを開け、部屋の中へ踏み入った。



 ガランとした空間に、清掃ロッカーと書類や備品整理用の大型キャビネット、回転式ホワイトボードと長机、数脚のパイプ椅子が置かれたミーティングルーム。


 コの字型に置かれた長机の真ん中で一人記録整理をする柚葉の手が、走高跳のページで止まった。

 最下部――彩香の記録欄を目にするなり、ふっと表情が緩むのを自覚する。


 そうだ。昨日、ずっと目標にしていた高さをクリアできたのだった。

 とりあえずの目標、ということらしいが。

 声の限り何か叫んでチームメンバー共々喜んでいた姿を思い出し、いつの間にかすっかり笑みを形作っていた口元。

 それを自覚するや、今度は変に引きつって……歪んだ。


(何やってるんだろう……あたし? いつまで彩香とこんな状態?)


 初めこそ怒り、落胆、イライラという感情もあったが、正直なところ今は後悔ばかりだった。


 ――『逃げてんのは柚葉だって一緒だよね』

 ――『忘れられてるなら思い出してもらえるようにガンガン当たればいいじゃん! それが無理ならゼロからだって!』 

 ――『可能性すべて捨てて、それでよくヒトにはあきらめるなとか言えるよね!?』  

 

 そう……。彩香の言うとおりだ、何もかも。

 自分こそが逃げている。わかってはいるが……。


 でも怖いものは怖い。   

 「彼」は優しく接してはくれるがその他大勢への対応と変わらない。

 ()()()()のように特別な思いを抱いてくれているわけではないのだ。 


 屈託のない笑顔と指切りを思い返せば、こんなにも簡単に涙が滲む。

 

 でも過ぎた年数とひらいてしまった距離に不平を言っても仕方がない。

 彼にとって自分はそれほど大きな存在ではなかった。……そういうことなのだろう。

 ただそれだけのこと、とあきらめるしかない。

 今、彼が幸せな恋をしているのなら――悲しいがそれでいい。 

 「侑くん」が幸せなら、自分に出る幕など無いのだ。


 目尻の涙を拭って、そっと息をつく。


 何かというと見た目がどうだからと、事ある毎に彩香は言うけれど。   

 それが何だというのか。実際こんな程度でしかないのだから。 


 むしろ彼女のほうがよほど上手くいきそうな感じだったし、今でもそう思っている。

 冗談でも贔屓目でもなく。

 だから、怒りが湧いた。


 本気で早杉翔のことを想っていながら……どうせ叶うわけがないからと。

 簡単にあきらめるなどと当然のように宣言するから。


 変に卑下しまくって可能性を簡単に捨てているのは彩香のほうではないか。

 自分の感覚がおかしいのだろうか?

 彼女にとっては本当に傍迷惑なお節介でしかないのだろうか。  


「――」  


 けれど。


 ある意味そうなってしまうのも、無理はない。

 とても怖がる理由を――――彩香が恋愛に対して(いや、見た目に特化してというべきだろうか……)あそこまで逃げ腰になってしまう原因を、自分は知っている。

 ずっと心配だったのも、彼女本人に打ち明けたとおりだ。

 酷い外見をしているのだと頑なに思い込んでしまっているが、実はまったくそんなことはないのだ。

 思い込ませられてしまったのだ。中学の()()()に。

 心ないクラスメートたちのくだらない遊びによって。


 だからこそ、だからこそ――だ!

 軽い気持ちで傷つけるようなことを言ってきた(いつの間に!)という早杉翔に腹の底から怒りがわいた。

 生意気を承知でおもいきり睨んでもやった。後悔はしていない。いっそ足でも踏んでくるのだった。


 …………思考がずれてしまった。

 あんなチャラそうな先輩のことなど、どうでもいい。


 そういえば、それ以外にも何か――――小さいころにも何かあったのだと彩香は言っていたような気がする……。 


 何かそういう、とんでもなく間違った考えが刷り込まれるような出来事が他にもあったと……そういうことなのだろうか。

 詳しく教えてはもらえなかったが。


 あの様子だと誰にも打ち明けていないのだろう。おそらくはあの仲の良い家族にさえも。

 もの凄く気にはなるが……。

 話したがらないものを無理に訊き出すわけにもいかない。どうしたものか。

 今度もし会えたらお姉さんあたりにでも訊いてみようか、と密かに決意する。


 好きな人ができて、何だかんだ言ってイキイキと嬉しそうにしている彩香を見られるのが嬉しかった。

 クチではどんなに「どうせ無理だ」「あきらめる」などと言っていても、そう簡単にあきらめられない性分だということもわかりきっていたのに。       

 彩香がどれだけ本気であの人物を想っているかなんて、もうとっくに気付いていたのに――。


 売り言葉に買い言葉的な流れで、つい「もう知らない」などと言って背を向けてしまった。

 心から応援するなどと言っておきながら、なんて自分は駄目な友なのだろう。 


 強がってはいるが本当はものすごく怖がりで、変におちゃらけて不安な気持ちもすぐに下手に隠そうとして。   

 そのくせ他人には頼ろうとせず……それどころかいつだって他人ばかり優先して、自分の損を損とも気付かない。 

 そんな彩香に寄り添って、この先もずっと力になろうと――一生涯の親友でいようと決めていた。

 他の誰が離れていっても自分だけは、と。

  

 ずっとそう思っていたはずなのに。

 確実にそうなると自信を持っていたはずなのに。

 どうしてこうなってしまっている? 

 ちょっとケンカになったからといって、決して離れるべきではなかったのに。


 昨日だって、先輩マネージャーの瑶子に何か迫られているような雰囲気だった。 

 とっさに割って入らなければきっと、謂れのない謗りを受けたり、身に覚えのないことでもとにかく謝って場を収めようとしてしまっていたかもしれない。

 あちらのほうがお似合いだからと例のワケの分からない理論で。


 そして今度こそ完全に早杉翔から身を引いてしまっていただろう。


「……」


 今、彩香はどんな思いでいるだろうか。 

 大丈夫だろうか。 


 今さら……と思わないわけではない。

 けれど、つまらない言い訳や意地をかなぐり捨ててでも彩香の元へ戻らなければ、と思い始めていた。

 何がどうなっても、結局自分にとって一番大事な親友なのだ。

 一緒に泣いて、笑って……。何をおいても一生懸命こんな自分のことを考えて行動してくれる、大切なかけがえのない存在。


 久しぶりにアイスでも……と今日あたり誘ってみようか。

 いや、今日はもう帰ってしまったかもしれないし。明日にでも……。

 軽すぎるだろうか?


「あ……っ」


 どうしたものか……とあまりにも上の空で弄んでいたためか、ボールペンが指の隙間からあえなく落下した。 

 長机に留まらず軽い音を立てて床にまで達してしまったそれを拾おうと手を伸ばすも、なぜか妙なタイミングで踏み出してしまったつま先に当たり、ぴょーんと奥の清掃ロッカー近くまで飛んでいってしまった。

 小馬鹿にするようにさらにコロコロと転がり続けるペンを追いながら、気付けば「もおぉぉぉ……」と半分泣きそうな声をもらしてしまっていた。


 反射神経が鈍いのも運動全般苦手なのも、本当に嫌になる。

 自分とは正反対の彩香が羨ましくてしょうがない。 


 彼女はいつも駄目駄目で自信がないというようなことを口にしてはいるが、自分にとったら羨ましいことこの上ない人種なのだ。

 決めたとおり何でも臆することなく行動に移せるし、誰に対しても言いたいことをはっきりと言える。

 自覚がないだけで、いつの間にか周りに人も集まってきているし。


 どうして気付かないのだろうか、その魅力に。取り巻く朗らかな空気に。

 しょうがないなあ……ともれたため息とともにまたも穏やかな笑みが宿っていた。

 それを自覚してさらに表情がほころぶ。


 もういい。降参だ。


(やっぱり……今日この後、誘ってみよう。これはアイスをつつきながらコンコンと説いてやらないと)


 決意するとともに、やっとつかまえたボールペンを手に立ち上がろうとした時。

 外から足音が聞こえた。

 そのどこか荒っぽい足音と雰囲気に、わずかに体が強張る。

 気付いたら――なぜかそのままロッカーの陰に身を潜めるようにしゃがみ込んでしまっていた。







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