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陽だまりにて待つ!  作者:
第4章 点と線
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Past or Present?(4)




 野球部やサッカー部の掛け声に混じって、遠く離れた校舎側から吹奏楽部の音合せが聞こえてきた。

 パートごとの基礎練習、というのだろうか。

 他部の練習メニューや呼び名など詳しく知るべくもないが。


 ということはそろそろ十六時を回ったころかな……と、幾分雲の増えてきた空を見上げながら彩香はうっすらと頭の片隅で確認する。

 陸上部もそろそろウォームアップを終えて各種競技練習に移行する時間だ。

 遅刻組が合流するには丁度いいタイミングでもある。 


 よしっと意を決して目の前の人物――伏し目がちにフェンスに寄り掛かったままの早杉翔――に視線を戻した。 


「やっぱり、ダメですよ」


「……え」


 小柄な身体に鞄とスポーツバッグを担ぎ直して突然意気込む彩香に、意外そうに翔が目を上げた。


「このままじゃダメです。けど、今はとりあえず部活行きましょうか。ヤバいッス。完全遅刻です」  


 やっぱり……もう絶対無理だなんて思いたくないのだ。

 何をしても思い出せないかも、なんて。

 このままの状況でいいはずがない。侑希も柚葉も、翔も。

 とにかく、このままでは――――


「んで、練習終わったら。あたしこのこと柚葉に伝えます」

「――」


 何もしないでいたら、何も変わらない。

 至極当たり前のことであると同時に自分のモットーでもあったではないか。

 危ない……。

 初めて見る翔の表情と衝撃の事実に固まりすぎて忘れるところだった。


「あ……でも。どうしよう、先に沖田くんに言ったほうがいいのかな……。柚葉、今でも待ってるよって――」


 ぶつぶつ独り言ちながらクラブハウスに向かって歩き出そうとしたとたん、 


「やめとけ」


 ぐいっと二の腕が引かれた。

 振り仰ぐと、高い位置から見下ろしてきていたのは――――口調と同様、静かな落ち着いた表情。

 

「……え」


「悪い。あいつには言えねーし、高瀬にもこのまま……黙ってたほうが、いい」  

「な……なんで?」


 そのために――沖田侑希のために、今までこうして訊きまわって探し出そうとしていたのではないのか? その女の子を。

 ようやく線と線が繋がってやっとこれから、ってときに……この人は何を言ってるのだろう。 


「……柚葉、九年も待ってたんですよ?」 


 彼女自身もすっかりあきらめている、というようなことを言ってはいたが。  

 今でも好きという気持ちは少しも変わっていないはずで――。 


「……」

「忘れられてるのだってちゃんと理由があったんだって、教えてあげたい」


「ごめん……。高瀬にも本当に悪いと、思ってる」

「ごめん、って――」


 どうしてそこまで、この人が責任を感じなければならない?

 何があったというのだろう。

 ――というか。

 責任を感じているなら、それこそ柚葉のことを話すべきでは?


 うまい具合にそれがキッカケにでもなって、本当に沖田侑希が思い出してくれたら万々歳ではないのか。

 そうなったらきっと、翔が今現在こうして苦しげに抱えている罪悪感も和らいで薄らいで……解消されていくのでは?と思うのだ。

 そうあってほしいと心底思うのに。


「……わかんない。どうしてですか?」


 いくら考えてみても、止められる理由がわからない。

 おバカだから?

 それとも恋愛偏差値と経験が著しく足りていないから、だろうか?

 どちらにせよ理解が進まない。ならば訊くしかない。


「悪いと思ってばかりいたって何も――」

「『何も変わらねえ』……だな。おまえが正しい。だから俺もあきらめずにもっかい探してみようと思った。見つかったら少しでも記憶が戻る手がかりになるかもって。けど――――そうしてわかったのがよりによって高瀬だった、って……」


 どうにもやりきれないといった表情で目を閉じ、翔は空いた片手で額を覆った。


(……何? なんで? 柚葉だってわかったことで、そんなに何か……マズいことでも?)


「あ、いや……何でもねえ。――どっちにしろ思い出せそうにねーし、アイツ。とにかくホントにもう、無理そうなんだって」

「――」


 けれど――

 それじゃあ、この人はこのままずっと……罪の意識を抱えていくことになりはしないだろうか?

 そんな思いを背負ったまま、この先も……。


 ずっと、ずっと幼馴染に負い目を感じて? 


 いつまで――?


「で、でもだからって、なんでやってもみないうちからあきらめちゃうんですか?」

「そんな状態のまま高瀬に知らせても――」   

「わかんないじゃん! 話してみたら何かのキッカケで沖田くんだって思い出せるかもしれないし」


「やめろって」

「なんで!?」


「思い出してどうなる!?」


 思いのほか大きな声でたたみ掛けられて、固まってしまった。

 翔もまたハッとしてややバツが悪そうに前髪をかき上げているが、なぜかホールドしている二の腕を解放してくれる気配はない。


「……え? なに?」


 ――何を言ってるんだろう、このヒトは?


 思わず本気で眉根を寄せてしまっていた。

 これまでで一番、この相手を理解できないと思った瞬間だったかもしれない。


 じゃあどうして一生懸命探してあげようとしていたのだろう?

 罪の意識もあっただろうが、何より大事な幼馴染の一番近くにいた女の子だから探してあげたかったのではないのか?

 本当に、心底、思い出させてあげたくて。


「どうって……柚葉とまた」

「おまえが言ってんのは昔の……かなり前のことだろ」

「――」


「運良く思い出せたとしても、侑がまた高瀬を好きになるとは……限らねーだろ」


 がんっと音を立てて何かが崩れたような気がした。 

 見下ろしてくる真っ直ぐな視線。動揺の欠片もない落ち着いた、静かな――。 


 昔の二人のようには……なれない、かもしれない?


「そ、そんなんわかんないし……っ、そうなってみなきゃ――」

「じゃあアイツの気持ちはどうなる?」 


 今の―― 


「え」


 沖田侑希にとっては、今そういう……昔の大事なコが現れたらマズいとか、大して意味を持たないとか……そういう状況?

 この一連の、ワケのわからない躊躇やはぐらかしといったものは、つまりそういうことか。


「え……それって」

「……」


 確かに柚葉もあきらめたように微笑んでいた。

 今では他にきっと好きな相手がいるに違いない、と。

 過ぎた年月を思えば当然のことだからと。

 だからこのまま……部員同士の繋がりだけは断たずに、遠くで見ているだけでいいのだと。


 でも――まさか、本当に?  

 鞄を抱える手に力がこもる。


「え? 誰か……いる、ってことですか? 、沖田くん他に――」


 好きなひとが?


 声が上ずる。握り込んだ拳が震える。 

 そんなわけない。……いいわけない、そんなことがあっては。だって柚葉はずっと―― 

 

 ああは言ってたけど、ずっと彼だけを見てきたわけで。   


「――いる」


 静かだがはっきりと告げられた肯定。 

 微かな希望が完全に打ち砕かれたような瞬間だった。  


「ヒド……」

「――」

「やっぱり沖田くん、サイテー」


「だから、あいつは好きで忘れてるんじゃなく――」

「だとしても! そんな……柚葉をここまで待たせておいて、自分は今ほかを向いてるって――それってやっぱりヒドイ!」


「――――ごめん」


「だから、早杉さんが……なんでそんな」


 そんな辛そうな表情で、声で、またそこに帰結させられてしまうと何も訊けなくなる。

 いったい何をしたと――どれほどのことをしてしまったというのか。

 自分にはとうてい知り得ない。


 ――でも。 

 たとえ何があったとしても。

 翔ひとりで、こうしてそれをすべて背負い込もうとするのは……ひとり罪悪感を抱えて生きていくというのは、どうなのだろう?

 沖田侑希もそれを本当に望んでいるのだろうか?


「……ちょっとさ、考えてみてくんねーか。俺も今の今まで迷ってたけど。確信持てなかったけど……」


 ぐしゃりと前髪を掻き乱して、翔はわずかに間を置いた。  

 少しだけ迷うように。

 言葉を選ぶように。


「アイツのだって失くしていいもんじゃない。――俺のせいで昔のこと忘れてるけど……だからって言い逃れでも責任逃れでもなく、それは当たり前のことだ」


「――」


 再度、何も言えない――すぐには言葉が見つからない無言の時間が訪れる。

 翔の言いたいこともわからなくはない。……けれど。

 当然のことだと、このヒトは言うけれど――。


「…………じゃあ、柚葉はどうなるの……?」


 半分あきらめかけてはいるようだが、心の底ではずっと彼を想って――

 彼だけを見てきた柚葉のことは……?

 自分の大事な親友のことはいったいどうしてくれるのだ、と理不尽だろうが問いただしたかった。 

 翔にだけではない。もちろん沖田侑希本人にも。


 頭上でふう……と長めの吐息。


「高瀬のことがそんな心配なおまえならわかんだろ……。こっちだって――」

「え」

「アイツだって……記憶が戻らねーこと、どんだけ――」


「あ……」


 語り口は穏やかなものの、辛そうなまま次第に伏せられていく翔の顔を見て、ようやく本当の意味で我に返ったような気がした。


 そうか……。

 確かに当事者の侑希だって辛くないわけはない。

 記憶を失くす、なんて――。


 それにこの人も――翔だって大事な幼馴染を真剣に、心の底から心配しているのだ。自分と同じで。

 何も自分が……自分たちだけが悩んでいるわけではなかったのだ。

 これこそ、至極当たり前なことだったのに。


 今さらながら反省と後悔が滲む。

 また自分の――こちら側のことばかり考えて優先させようとして突っ走ってしまうところだった。

 いや、もう半分以上爆走してしまったような状況ではあるが。 



「――おまえ、あいつの気持ち考えたことあるか?」



 どうにも情けなく居たたまれない思いでうつむいてしまっていた上から、低い静かな声が響いた。







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