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陽だまりにて待つ!  作者:
第4章 点と線
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Past or Present?(2)




「は、早杉さん? ど、どーしたんですか……急に?」


 やっと立ち止まってくれた翔にホッとしつつも、わずかに息を切らせて彩香は顔を上げた。


 日々の練習メニューに比べたら足早に引きずられたくらい何でもないはずなのに。

 まともに掴みあげられた手首と珍しく押し黙ったままのこの相手に、なぜか思った以上に動揺している自分に気付く。

 頭の鷲掴みや襟首、二の腕掴みなど今までもしょっちゅうあったというのに。

 さらにクラブハウスのすぐ裏手とはいえ、こんな人目に付きにくい場所に引っ張ってこられたということは――


(何? 誰かに聞かれたらまずい話、とか? 沖田くんと柚葉のことで何か……)


 というか昨日の今日でこの状態は――――またしても良くない。

 もし瑶子に見つかったらまた何を言われるか……と思うと気が気ではなく、つい忙しなく辺りを見回してしまった。


 ようやく掴んでいた手首を放すなり、翔が静けさを通り越して沈痛な表情でフェンスに寄り掛かる。


「あ……の?」


 長い前髪の下に右手のひらを差し入れて、そのまま額を押さえ込むようにしてしゃがみ込んでしまった長身。

 うつむきがちで表情こそ見えづらいものの、何やら尋常ではないその雰囲気に、知らず息を呑んでいた。


(……早杉さん?)


 様子を窺おうと、少しだけおそるおそる近付いてみる。 


「やっぱり――高瀬だったのか……」


 静かな深いため息とともに吐き出された、覇気のない声。  

 何やら言いようのない不安に駆られ、思わず覗き込んだ伏し目がちの表情には――

 疲れきったような、それでいてどこか安堵したような笑みが宿っていた。







 ◇ ◇ ◇







「俺、高瀬を待ってたんだ」

「え」


 たどり着いた長テーブルに荷物を下ろすなり、横から見下ろしてくる侑希に思わずドキリとする。


「ここ一ヶ月の俺のタイム見たくてさ。……えーと、ごめん。どれ?」 


 探す指を複数の似たようなファイルの上で行ったり来たりさせながらついに降参とばかりに破顔する侑希に、柚葉の胸がいっそう高鳴った。


「え……あ、こ、コレ」

「お、ありがとう」


 受け取ったファイルをめくりながらパイプ椅子に腰掛ける侑希。

 直視できていないにもかかわらず、ますます活発になってくるこの鼓動には本当に困ったものだ。


 が、すぐ真横の大好きなヒトの気配にドキドキしながらも、自分の中でどこかほっとしたような思いが湧き上がるのもまた実感できていた。

 教室でも感じていたことだが、やはり今日は比較的顔色が良い気がする。

 あくまで「気がする」だけだが。


「良かった……」


「え?」

「あっ……ああ、あの……ご、ごめんなさい邪魔して」


 ほぼ無意識に、それも微かにこぼしてしまっていたつぶやきに反応してわざわざ顔を上げてくれた侑希に、とたんに恐縮して一歩後ずさる。

 本当に無意識だったのだ。

 反応や会話の続きを希望して、とかでは断じてない。


「いいよ。で、何が『良かった』?」


「えっと……あの、今日は……その、そんなに頭痛く……なさそうかな、って」

「――」


「あ、ち……ちが……! えっと――」


 驚きに目を瞠る侑希の表情。

 それを目にした瞬間、泣いて逃げ出しそうなくらい酷く重々しい後悔が込み上げた。

 ずっと観察してるみたいで気持ち悪いと思われたかもしれない。

 

「ご、ごめんね。生意気に……。余計なお世話、ごめんなさい」


「なんで謝るの? ありがとう、心配してくれて。高瀬はいつも凄いな。よく気付いてくれて」


 そう言いながら、微笑みがさらにまぶしいものになった。


 いつも凄いのは彼のほうなのに。昔から……。

 おおらかで優しくて。

 すぐに下を向いて何も言えなくなってしまう自分を、こうしてたちどころに穏やかな気分にさせてくれて――。


「けど大丈夫。頭痛といっても純粋な体調不良ってわけでもないんだよね、実は」

「……え?」


「何て言うのかな……慣れてるっていうか。最近は夢のせいでさらに寝不足なだけで」

「夢……?」

  

 本当に何でもないことのように笑って話す彼の横顔を、いつの間にかまともに見下ろしてしまっていた。


「そう。なんか……いつも同じ小さい女の子が出てきてさ」

「――」


 とくんと胸打つ想いとともに、かつての面影が易々と甦ってくる。  


(それって、もしかして……)


 笑い合って指切りを交わした小さな自分たち。

 泣き止まない自分を慰めようとそっと頭を撫でてくれた、幼い彼の姿。 

 そこにはいつも、今と変わらない優しい笑顔があって温かさがあって――

 いつもいつも、その優しさに包まれて安心していた自分がいた……。

 

 完全に忘れられている……わけではないのだろうか? 

 夢に見るくらいには――もしかしたら……。

 記憶の欠片くらいは、残してくれている……? 



「うん……ちょうど――」



 ふいに、何かつぶやいて侑希が身動きしたような気がした。

 それが視界の端に映りこんで初めて、感極まって涙をこぼしそうになっていた自分に気付く。


「あ、ご、ごめ……あたし」


 泣いてるのに気付かれてしまった?

 優しい彼のことだ。思わず慰めの言葉をかけようと何か考えあぐねているのかも。

 少なくともこんなみっともない表情を見られては大変、とあわてて顔を逸らそうとした瞬間。


「そう……ちょうどこんな感じの、長い髪の子――」


 こちらの異変に気付いたふうすらない、穏やかな……まるで何かを懐かしむような侑希の声。  

 すっと自然に肩口に伸びてきた侑希の手が、未だ下ろしたままのロングストレートをそっと一房すくい上げた――。


「――」


 バタン!


 気付いたら驚くほどの素早さで外に出、勢いよく扉を閉じていた。


 真っ赤に染まった顔で。

 強くジャージの胸元を押さえ込みながら――。


「……」


 髪を一房だけ持ち上げられた感触が、まだ残っている。

 心臓が、鎮まってくれない……。







 ◇ ◇ ◇ 







 こんな――笑いの欠片も見られない状態のこの相手を見るのは初めてではないが……。 


(……早杉さん?)


 湧き起こる驚きや疑問符とともに、初めて微かな手応えのようなものを感じて、思わず彩香はしゃがみ込んだ。

 伏せられてしまった顔を覗き込む形で、すぐ目の前に。


「『やっぱり』って――え……知りません、でした? 沖田くんがまだI市(こっち)にいたころに、あの二人が仲良かったらしいこと」


 首を傾げて問うと、あえて視線をずらし翔はさらにうつむいた。


「や、知ってる」


 『知ってる』にしては、先ほどからやや反応がおかしい……気がするが。


「え……と」

 

 だがやっと掴みかけたキッカケを無にしてなるものか、とツッコまずに先に踏み込むことを即決する。 


「……ってことはやっぱり、沖田くんに聞いたんですよね? それ」

「ああ。越してきてすぐのころだから、もうかなり前になるけどな」


「…………」


 キッカケを大事になどと思いながらも、またしてもあっという間に怒りのスイッチが入ってしまった。


「やっぱりムカつく、あの王子」


「え……?」


「そうやってヒトに話して聞かせてたくらいなのに、なんっで今は柚葉に無反応?」

「それは――」

「ホントにド忘れってこと? 酷くないですか?!」 

「……」

「薄情すぎません!? だいたいあのヒト『爽やか王子』とか散々言われてるけど――」 


 興奮状態で続けようとした沖田侑希への悪口雑言は、途中で引っ込めざるを得なくなった。

 目の前でなぜかくくくく……と笑いをらえてだしたこの男のせいだ。

 どう考えてもここは笑うトコロではない。


「…………早杉さん!?」

「や……わりぃわりぃ。おまえがあんまり素直だから」


 素直? ここでチョイスする言葉だろうか。


「ケンカしててもやっぱり親友のことは心配なわけだ? どこまでゆうの悪口続くかと思ったわ」


 未だ笑いを引きずったまま、ようやく上げてくれた目線に思わずドキリとする。

 こんなことくらいでいちいち……本当に、自分の精神ココロは何て弱くおバカなのだろう。


「そ……っ、べ別に……! だ、だって…………柚葉のこと考えるのはもう無意識に――っていうか習慣になってるっていうだけで」

「そこまで思いやってやれるほどの仲だろ。意地張ってねーで仲直りすりゃいいじゃん」

「うぅ……」


 簡単に言ってくれるがアンタも原因の一部なんだぞ。 

 ……なんてことはもちろん言えない。


 赤い顔でモゴモゴ唸っている彩香に目を細め、翔はあらためて微笑んで吐息した。  


「あの二人、ずいぶん仲良かったらしいな」

「あ、はい……」


 とはいえ、そういう自分もついこないだ柚葉から聞かされてようやく知り得たことではあるのだが。


「――けど、俺が聞いてたのは『アズ』って名前だった」


「え」


 どういう……ことだろう。


「なんで沖田くん、そんな――」

「わかんねえ。訊こうにももうアイツは憶えてねーし」


 ……憶えてない?


「自分が言ったこと、忘れちゃってるってことですか? じゃあホントに柚葉のことも――?」


 柚葉自身も半ばあきらめて言っていたが、本当に完全に忘れられている……ということだろうか。 

 思わず眉根を寄せてしまった顔からまたも少しだけ視線を逸らし、翔が静かに息をついた。



「俺のせいなんだ」







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