馬鹿だなあ、とは思うけれど(4)
どうせあきらめるならなおさら首を突っ込まないほうがいいに決まっているのに――。
なぜかはわからないが、何か……ものすごく引っ掛かりをおぼえた。
「えと……こないだ言ったとおり、ですよ? あたしの周りにはいなかったです。小・中どころか今だって……」
「高瀬も、じゃあ同じだよな?」
おっかなくて訊きに行けねーけど、とわずかに肩をすくめてつぶやいている翔。
そういえばこっそり自分の過去話について訊きに行った際、あの般若におもいきり睨まれたらしいのだった。
自分のために「最低ですね」と怒ってくれたのだという親友の勇姿を想像して、また少しだけ胸に響くものを感じる。
「さ、さあ。あたしたち小学校は別なんで。向こうのほうまではちょっと」
大半は公立中学校で合流しているが、中には受験して私立に流れた生徒やどこか他地区へ転校していった子が居ないとも限らない。
沖田侑希のように。
「別?」
ふいに、意外そうに翔が目を瞠った。
「え、あ……はい」
小学校からずっと一緒だとでも思っていたのだろうか。
そういえば沖田侑希もそんなことを言っていた。仲が良すぎてかなり古くからの友人関係だと思っていたのだと。
「じゃあ北……ええと、北園小? に通ってたのって――」
本当に幼馴染同士よく似てるな……などと呑気に構えていると、畳み掛けるように翔が訊いてきた。
いつの間にか立ち上がって目線もすっかり逆転している。
「え、柚葉のほう……ですけど」
「――」
いつもどおりおもいきり見上げながらの彩香の言葉に、なぜか翔の動きが止まった。
軽く見開かれた目も、何かを言いかけたままの口も。
「え、早杉さん? それが何か……?」
「あ――……や」
否定しながらもすぐに何かを考えこむようにして口を噤んでしまう翔に、胸の中の引っ掛かりはますます膨れ上がってくる。
何だろう。
小学校が別々という話なら前に沖田侑希にもした気がするが。
まあ幼馴染とはいえとりたてて共有しておくべき重要な情報でもないだろうし、別に翔にまで伝わっていなくても全然おかしな話ではない。
というか、その小学校なら途中までとはいえ侑希も通っていたらしいのだが。
彼のほうには訊いてみたのだろうか。その「アズ」という女の子のことを。
「っていうか、その子……ぶっちゃけ誰ですか? 早杉さんと……そ、そのどういう関係、の?」
「や……俺とは何も関係ねえ」
「は?」
どういうことだろう?
ではなぜ、そんなに一生懸命(何度も確認してくるほど)探している?
そもそもどうしてそんな昔の――しかも本人とは何も関係ないという少女のことを。
ふっと、唐突にある人物の顔が浮上してくる。
なぜかはわからないが、何度も本人に確かめようとしては邪魔され失敗してきた、ある問いとともに。
(そうだ、幼馴染のこのヒトならもしかしたら……何か聞いてる? ううん……わかんない。でも――)
一か八か訊いてみようか。
「彼」が本当に柚葉のことを忘れてしまっているのか。
「あの……早杉さん。あたしもちょっと、訊いていいですか」
「ん?」
「沖田くんって、昔こっちに住んでたらしいんですけど――」
「翔」
――柚葉のことを、何か話してたりしませんでした?
そう続けていたはずのセリフを、とっさに呑み込んでいた。
いつの間にかマネージャーの篠原瑶子がかなりの至近距離まで歩み寄って来ていたのだ。
まるで気付かなかったことに愕然としつつ、なぜか激しさを増す動悸に知らず強く両手を握りしめる。
咎められるようなことをしていたわけではないのに……。
「……瑶子」
「ほら、集合かかってるわよ。行かないと」
「あ、わり。今行く」
フェンスから一歩離れて歩き出し――かけて、翔が体ごと振り返った。
「――――っと。侑が何だって?」
「い……いえ、いいです。い、行ってください」
わざわざ一歩、体を戻してくれさえしたが、瑶子が見ている前でこれ以上個人的な話を続けられるはずがない。
「? おう……。じゃまた後でな」
軽くごく自然に言い置いて小走りで戻っていく長身の背中に、ホッと一息つきかけ――
ぎくりと顔が強張ったのを自覚する。
並んで――あるいは後に続いて戻って行くかと思われた瑶子が、微動だにせずそこに佇んでいた。
「――あたしの勘違いだった?」
「え」
発せられた声と同様、静かな眼差しが真っ直ぐに向けられてくる。
「こないだ西野さん、あたしたちのこと応援してくれるって言わなかった?」
「あ……は、はい……」
「だったらああいうのって、ちょっと変じゃない?」
ああいう――
皆の前で「彼氏」を呼びつけてしまったことだろうか。それか、猫づかみされて暴れていたところ?
それともごく個人的な話に巻き込もうとしてしまっていた今の場面のことだろうか。
いや、どれということはない。
全部……だろう。
相変わらず綺麗だが、静かすぎる表情と取り巻く雰囲気がそう訴えているような気がした。
「あ、す……すみません」
それはそうだろう。
こちらから喜んで近付いたわけではなくとも「彼女」なら……。
面白く思わないのは当たり前だし、不安にならないまでも気にはなったはずだ。
「で、でもそれは単に……あの」
「ひょっとして西野さん、翔に気があるんじゃないの?」
「!?」
おもいきり目を見開いてしまってから、しまった……と感じる。
こんなあからさまな動揺をして……。もしかしたら気付かれてしまったかもしれない。
いやそれ以前に。
そういう質問が出て来る時点で、やはり瑶子は何かしら感じ取っていたということなのだろうか。
何も言えないまま驚愕の思いで見つめ返していると、さらに一歩近付かれた。
「ごめんね。こんなこと訊いて、自分でもどうかしてるとしか思えない。でも……すごく気になるの。あなたといる翔を見ると」
「そ、そんな……」
(どうして……? あたしなんて別に……)
これが柚葉の言う「牽制」か……と思いつつも、どこかまだ他人事のように考えている自分がいる。
だって……自分なんて勝負にならないどころか、まったく気にさせる要素もない雑魚キャラその1なのに。
誰も決して入り込めないほど、誰がどう見ても二人はお似合いなのに――。
「で、どうなの?」
「え……あ」
簡単なことだ。
違います、って一言……。一言だけ……。
謎の緊張と動揺をかなぐり捨てるべく、両手を強く握りしめ、ゴクリと唾を飲み込む。
どうせあきらめるしかなかったのだから、同じことだ。
せめて「彼女」を安心させるためにも、部内の雰囲気を悪くさせないためにも――。
自分のせいだけでああなったわけではないにしろ、「今後気をつけます」って言えばそれで済む。
「あ、あたし……」
「――」
真っ直ぐ見据えてくる瑶子に向かって震える声で続けようとした、まさにその時。
「瑶子先輩」
突如、第三者の声が割り込んだ。
明るいが少しばかりあわてたようなその声の方向に顔を向けると、柚葉が小走りで近付いて来ていた。
「次、記録の付け方の指導お願いします。一年の子たち結構ダレちゃってて」
「あ……わかった。でも、先に行っててくれる? 今ちょっと――」
「すみません、今すぐお願いします。やっぱり瑶子先輩じゃないと……。あたしだけじゃもう手が回りきらなくて。本当にすみません」
「……」
申し訳ないとばかりに目を伏せる後輩マネージャーに、美しく整えられた眉根が寄せられる。
が。
物言いたげな視線を一瞬だけ彩香に戻して、あきらめたようにくるりと踵を返し瑶子は去って行った。
「あ、ゆ……柚葉っ」
後に続いて歩き出したポニーテールの背中を、思いきって呼び止めてみる。
「――」
無視されるかもしれないと思ったが、柚葉は立ち止まってくれた。
さらにゆっくり見返って目線を合わせてくれた親友に、驚きとともに素直に嬉しい気持ちが湧いた。
「あの……ありがと」
そうなると不思議なもので、ごく自然に口をついて出てくる感謝の気持ち。
ごちゃごちゃ悩んで建前ばかり並べていた先ほどまでの自分が、まるで馬鹿馬鹿しく思えてきた。
「――何のこと? 自分の仕事しただけだけど」
「それでも、ありがとう」
「……別に」
少しだけ朱が差した頬を隠すように面を伏せる柚葉の姿に、じんわりとさらに嬉しさが込み上げた。
性格上この柚葉が、先輩の言動を遮るような――ましてやたとえやんわりではあっても口ごたえともとれるような返しをするはずがないのである。
今しがたの横やりは、明らかに意図してのもの――。
助けに入ってくれたということだ。
「…………じゃ、もう行くから」
「うん」
「――――あ」
「え?」
「……ハイジャンも、集合かかってた……けど」
「あ、うん。わかった。ありがと」
「……」
一瞬何か言いたそうに見えたのだが、あきらめたように(?)あえて口を閉ざして柚葉が踵を返した。
長い黒髪をさらりと揺らして遠ざかって行く背中に、言いようのない感情が込み上げる。
じわじわと胸を締め付けるように。
(でも……)
心配と思いやりをおもいきり振り払ってしまったあの夜――あの瞬間にひび割れて止まってしまっていた何かが、心の奥底で再び……ゆっくりと動き出したような感じがしていた。
思い上がりかもしれないが。
独りよがりかもしれないが。
(それでもやっぱり柚葉はこの上なく大切な、大好きな親友で――)
胸の奥深くに、そんな決して不快なばかりではない温かな痛みを再確認した時には……
目に映る何もかもが涙で揺らいでいた。




