本日の天気?……暗雲たちこめてますね(2)
「侑……」
額に強く両方の拳を押し当て、いつの間にかまたすっかり考えこんでしまっていた耳に、どこか苦しげな沈んだような翔の声が届いた。
「――あ」
そうだ。しまった。
記憶に関してあからさまに感情を表に出してしまうと、また気にして自身を責め始めるのだ、この幼馴染は。
「ホントに俺――どうおまえに」
「翔のせいじゃないって言ってるよね? 謝るってんなら聞かないよ? っていうかいい加減殴るよ?」
もっと気をつけるべきだった。
苦々しく思いながら、あえてそっぽを向いて呆れたように吐き捨ててやる。
何度おまえのせいじゃないと言っても聞く耳持たないのだ、優秀なくせにやたら頑固なこの幼馴染は。
お、おう……頼むわ、となぜか殴られる気満々になって一歩踏み出して来ているのも意味がわからない。
地味に面倒くさい。言うんじゃなかった、と早くも後悔した。
どうせ殴られたからといって罪悪感が薄まることもないだろうに……。
本当に罪の意識とやらを綺麗さっぱり消し去ってくれるのなら、要望どおり一発喜んで当ててやるが。
おそらくまったくと言っていいほど無駄骨になるだろうことは目に見えている。
殴られ損でもいいと、少しでも自分の気が晴れるならと、そういうことだろうか?
……冗談ではない。こちらの手が痛むだけではないか。
思いどおりになんてなってやるものか、と鼻息荒く決意した。
ややおかしいことになってきた空気と気分を無理やり変えるべく、一気に大げさにため息を吐き切って正面から翔を見据える。
「俺なんかのことよりさ。翔は自分のこと心配したほうがいいよ」
「ん?」
「瑶子先輩と付き合ってるって噂。なんで否定しないの?」
「あー……」
それか、と言わんばかりに再度壁に体を預けて天井を仰ぎ、翔は小さくため息をついた。
「っていうか、もしかして本当に付き合ってた? 俺の知らないうちに? いつの間に? いや、いいんだけどね? イトコ同士って結婚できるし」
「いや……侑」
「何も問題はないよ? けど俺に黙って? うわー水くさい」
鼻息荒いついでに、ここぞとばかりに拗ねたように振る舞ってみせる。まあ半分は本心に近かったが。
だがさすがに白々しすぎたか?とこっそり見遣ると、向こうは大げさではなく頭を抱えてバツの悪そうな表情をしていた。
「や、待て待て待て……聞け。――つったって、そんな広まってねーだろ噂だって」
「いや? かなり行っちゃってると思う。一年二年にまで。むしろ『イトコ同士』って関係のほうが知られてない感じ」
「………………マジか」
何だこの反応は。
長い前髪をかき上げてまともに目を見開いて驚いている幼馴染を、つい眉根を寄せて覗き込んでしまった。
多少は噂にも気付いていたものの、そこまで広まってるとは思ってもいなかった……ということだろうか。
「翔さ、ちょっと前に美術室でコクられてたじゃん?」
「えっっ」
「あ、ごめん見てた。覗いてた」
「………………」
「あの時から何かおかしいなーとは思ってたんだよね。相手のヒトに、なんか瑶子先輩と付き合ってるって思われてたみたいだし。しかも翔、それ否定しないし」
言いながら、そうか……あの時のアレを見たからか、と暗に納得していた。
一緒にあの現場を目撃した彩香がそれで――そのせいで翔と瑶子が付き合っているのだと思い込んだ、のかもしれない。
「そんな顔するくらいなら、面倒くさがってないでちゃんと否定はしたほうがいいと思うけど? 噂ってそんなに簡単に消えるもんじゃないよ」
「……」
「俺は昔から二人が仲の良いイトコ同士っていうのは知ってたけど、そうじゃないヒトたちにとっては……違うじゃん。そのまま鵜呑みにする人間のほうが多いと思うし」
実際、昨日の彩香も完全にそう思っている様子だった。
美術室での告白場面のことがあって、自信を持って「違う」とは言ってやれなかったが、つまらない嫉妬心も無かったとは言えない。
もしかして翔に想いを寄せている?と思ったら――――衝撃を受けると同時にあんな暴挙に出ていたのだ。
彩香の気持ちがどうなのか結局のところはわからないが……。
相手はこの翔だ。
じゅうぶんありえる話だし、無自覚だとしても目で追わずにはいられないのかもしれない。
「――いいの? このままで」
瑶子の気持ちはどうかわからないが、翔のほうは――少なくともそういう意味では――彼女のことを想っていない。
愕然としたようにも見えたさっきの翔の態度で、確信してしまった。
「……つーか、アレじゃね? そんな広まってんなら今さら何言ったって――」
「じゃあ、このまま放っとく? 噂、鵜呑みにされるんだよ? 聞いた人そのまま信じちゃうんだよ?」
「…………」
それなりには驚いたようだし困っているようにも見えた。
にもかかわらず何も手を打とうとしない(?)のは、どういうことだろう。
「っていうか……何? 何か理由でもあるの?」
噂に関して口出し――否定もできないような、何かが?
二人の間に――――?
瑶子に対する気持ちが無いまま、付き合っているという噂を否定もせずに――
この幼馴染は何を考えているのだろう?
パイプ椅子に腰掛けたまま、すぐ目の前に立ちすくむ早杉翔をじっと見上げて侑希は答えを待つ。
(まさか本当に単に面倒くさがって、ってわけでもないだろうに……)
壁を背に腕組みしながら立つ翔は、先ほどから軽く唇を引き結んだままだ。
伏せた目とわずかに翳ったようなその表情から、明らかに何かを言い渋っていそうなのは――わかった。
わかったが……そこまでだ。
仲の良い幼馴染とはいえ、学年も違うし常に行動を共にしていたわけでもない。
翔と瑶子の間にいつ何があったかなんて、話してもらわないことには皆目見当もつかない。
他者の言動や心の動きにそれほど敏いわけではない自分にとっては特に。
「……結局、話してくれないんだな」
あきらめたような笑いを滲ませて、侑希はため息をついた。
「え」
「もう何年の付き合いになる? いや、付き合いの長さだけじゃなく……。俺にくらい打ち明けてくれたっていいだろ――って今、正直すっっっごい思ってる」
「……」
とは言ったものの――
これが自分に対する彼の評価だというのなら、仕方がない。
それなりの関係を築いてきたつもりの相手に信用されないのは、正直なところ堪えるし寂しい限りだが。
「そりゃ年下だし? 頼りないだろうけど。わかってたつもりでも……なんかヘコむなあ」
かといって無理強いして聞き出したところで意味は無いし、余計なお世話でしかないかもしれない。
実際こんな自分が何かの役に立てるとも思えないし。
まあ、その噂に関して何か本当に困った事態にでもなったら――翔のことだ。そんな事態にはならないだろうが――、その時に有無を言わせず助け船を出してやればいいだけだ。
そうなったらもちろん遠慮や隠し事なんてものもさせておかないが。
今は本当に大丈夫(何がなのやら)ということなのだろう。
軽く睨んでやるふりをして笑いながら、あきらめのため息だけは盛大にかましてやる。
さて。
つい話し込みすぎてしまった。そろそろグラウンドに出ていないといけない時間だ。
掛け時計を見上げて立ち上がりかけた、その時。
「いや……」
ぽつりと翔の声がした。




