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陽だまりにて待つ!  作者:
第3章 なんでこうなるかな?
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「好き」と「傷」と「ガリ×2」と(1)

      

      

        

 


「……そろそろ放す気ねーか? ソレ」


 たどり着いた屋上。

 ちょうど日陰になるコンクリート段差に彩香を座らせ、自らもどっかりと隣に腰を下ろしたかと思うと――――早杉翔が引きつり気味に口の端を上げた。

 その視線を追って「え?」と手元を見るなり、未だ潤んだままの目が思わず点になる。 


「どわっっ! ご、ごめんなさい」


 3―G前の廊下で会ってからずっと、今の今までしっかと彼のネクタイを握り締めていたらしい。

 勢いよく手を放したとたん、くたりとしたネイビータイが少しだけ風にそよいだ。


「いや、いーんだけどよ……」


 うーっわ、すげぇ皺……と驚きつつ笑いを滲ませている翔に、怒りや困惑の色は少しも見当たらない。――が。

 実際大変だっただろう、と思うと何度謝っても足りない気がした。 


 授業開始直前、廊下のド真ん中で突然ワケのわからない号泣をされ、鷲掴んだネクタイも放してもらえず――では彼の驚愕と焦りはおそらくそうとうのものだったはずで。 

 泣いてねーでとっとと教室に戻れ、とあの場で追い返されてもおかしくなかったのに。


(また……助けてくれた)


 そう思うとあらためてじわりと込み上げる嬉しさと安心感。

 チャイムが鳴り響くなか、しゃーねえ……と首根っこを掴まれ、授業に向かう教員たちの目をくぐり抜けてこの屋上に引きずって来られなければ、自分は今頃ものすごく恥ずかしいイイ見せ物になっていたに違いない。

 それ以前に、遭遇した教員に一発どやされて強制的に簡単に2―Fに帰されていただろうが。

 そうしてこの泣き腫らしたみっともない顔をクラスメイトたち――とりわけ侑希や柚葉に晒すことになったかと思うと、並々ならぬ感謝の念が湧き起こる。が――。

 

「……ホントにごめん、なさい……」


 ネクタイもさることながら、またものすごく迷惑をかけてしまった。

 紛れもなく今は四時限目なのである。

 初めてのサボリを後ろめたく思う以上に、翔に対する申し訳なさが次から次へとどうしようもないほど湧き上がってくる。  


「んで、どーした?」


 ネクタイのことを重ねて謝られたと思ったのか、何気ない口調で翔。

 あまり頓着せずあえて受け流すことにしたらしい。


「友達がいねえって、高瀬と喧嘩でもしたのか?」

「し、してない……けど」  


 今さらながら、ヤバい……と思ってしまった。

 さっきは脳内に渦巻いていた妙な安心感と動揺がついポロリと……変にこぼれてしまっただけで。

 侑希のあの愚行(というか奇行?)について本当に訴えたかったわけではない。

 そもそも好きなヒト相手に簡単に言えるようなことではないし、内容が内容だけに「は? 何言ってんだ? んなことあるわけねーだろ。身の程を知れ」と鼻で笑われて終わりかもしれないと思うと、迂闊に切り出すこともできずに彩香は内心で頭を抱えた。 


「『けど』?」

「い……いえあの、ちょっと……柚葉に言えないことが、あっただけで……。別にそ……そんな――」


 明らかに泳いでいる視線と言い淀むさまに何やら悪戯心でも湧いたのか、すぐ横からニマッと口の端を上げた顔が寄せられる。


「高瀬に言えないって――。なんだ、侑に迫られでもしたか?」

「――っ!?」


 ギクリと肩を揺らしてまともに振り仰いでから、しまった……と思った。



「え………………………………マジで?」


「……」



 翔のほうも同様だったらしく、やべえ当たった……?とばかりに目を見開いたまま固まっている。


「――――押し倒されたか? パンツ見られたか?」

「なっ!? 何言ってんですかっ! そっ、そそそんなワケ……!」


 冗談半分で振ってくれたのだろうとは思ったが、過激なのか幼稚なのかイマイチわからないレベルの発言に、あっという間に顔面は沸騰し挙動不審にもますます拍車がかかる。

 恋愛初心者、そっち系偏差値ゼロの人間をナメてはいけない。


「た……ただちょっと……キスされそうになった、だけで……って、あ」

「――」


 焦りながら吃りながら否定しているうちにいつの間にか白状してしまっていた自分は何てアホなんだ……とさらに項垂れたくなってしまった。

 ――と。

 そこにきてようやく、翔の表情が驚いたような訝しんでいるような微妙なものになっていたことに気付いた。


「……それだけか?」


「それだけ、って……」


 ヒドイ、と声を上げそうになってしまった。

 やはり男子にとってはああいった冗談など、取るに足らないどうということもない……笑って流すべきもの、だとでも言うのだろうか。 


「や――――それで……そんな泣くほどアイツが嫌か?」


 静かに、窺うように真横から見下ろしてくる神妙な表情カオ


「そ……い、いや……ていうか、そもそも沖田くんが、あ……あんなことする人だって思わなかったし」


(少しだけ怖いとも思ってしまった……)


 本気ではなかったらしいし、ゴメンと謝ってくれた人に対してそういうふうに身構えてしまったのも何やら申し訳ない気がして、口には出せないが。


 うつむいてしどろもどろ言葉を紡いでいるさまを、半ば呆然と眺め下ろして聞いていたかと思うと。

 何やらさらに微妙な表情で――困ったように翔がガシガシ後頭部を掻き始めた。


「そりゃーおまえ、あいつだって……聖人君子じゃねーんだからよ。時と場合によっちゃ、そりゃムラムラっと――」

「え……っ?」  

 

 笑われることもなくなぜかすんなり信じてくれたのはいいが、どうやら自分たちは根本的に違う次元の話をしているらしい。


「ち、ちが……っ。冗談であんなこと、するヒトだとは思わなかったっていうか……」


 どう言えば伝わるのだろう。

 そもそもこんな、すべてにおいて残念すぎる女に妙な気を起こす人間など、いるはずがないではないか。


「――――なんで()()だって思う?」

「え? だって、そう……言ってたし」


 それに冗談じゃない、という意味がわからない。

 ついでに言うと、今目の前で長めの前髪をぐしゃぐしゃ掻き乱して「あのバカ……」と翔がつぶやいている意味もわからない。


(……だって、冗談以外に――ないじゃない……。あたしなんか――)




 ――『え、嘘だろ。本気にした?』



 

 ふいに。



 唐突に、わずかに幼さの残る男子生徒の声が鼓膜に蘇った。

 以前――中学時代によく聞いた馴染みのある声……。


(――あ、ヤバい……何も今、このタイミングで――)

   

 にわかにざわめきだした胸の内を鎮めるように、知らずリボンタイごと強く喉元を押さえ込んでいた。


「じゃあ、もし……冗談じゃなくて本気で迫られたんだったら、ここまでショックじゃなかった、っつーことか?」


 そんな静かに始まった彩香の内なる動揺には気付かず、抑えた声でひとつひとつ言葉を選ぶようにして翔が訊ねてくる。


「そ、それはないです。ありえなすぎて無理っていうか……」


(何か、マズい気がする……。この話はもう……この辺でやめといてもらわないと)


 まるで何かの警告を発しているように心臓の動きはますます活発になっていき、息苦しさはどんどん増してくる。  


「だ、ダメですやっぱり……想像できません。すいません……!」

「や。つーか謝ることじゃねーし」  


 軽く笑う翔をまともに見上げることもできず、うつむいたまま震えそうになる声と拳を抑えるのに精一杯だった。




 ――『だって……ありえねーじゃん?』 




(このままじゃ……ダメだあたし……。まともに思い出しちゃう)


 回想に引っ張られて行く自分の意識を無理やり断ち切ろうとしても、容赦なく押し寄せてくる不快感と嫌悪感。


 脳裏を過ぎるのは、薄暗いフィルターを被せたような色褪せた風景。

 そう、教室の中だ。中学の。

 クラスメイトたちもみんないて――   


(……嫌だ。どうして今――思い出しちゃうかな……。よりによって早杉さんの前で……)


 固く目を閉じ、落ち着かなければとあえて深呼吸しようと試みるも、意識は完全に確実に過去へ過去へと遡ろうとしていた。   

 決して忘れられず、どうあっても思い出したくはない――けれど自身のためにはしっかりと心に留めおかなければならないあの瞬間の記憶へと。 




 ――『ありえねーって。高瀬ならともかくさ』




(もういい……。わかってるから――)



「つーか前から思ってたけど、何でおまえそんなに自己評価低いワケ?」

「さ……散々ブスだ馬鹿だ言っといて、それ訊きます?」




 ――『冗談に決まってんじゃん。西野なんて』




(『冗談』だったのも、ありえないのも、じゅうぶんわかってるから……!)



「は? あんなん冗談に決まっ――」

「だから……そういう……っ」


(もういい……もう!) 


「『冗談』って言えば何でも許されると思ってる人たちって、な、何なんですか……っ!」


 残像が即座に消えてくれることを願うあまり、つい強めに吐き出してしまっていた。 

 あの時の感情も惨めな自分自身も――。中学の思い出ごとでも構わない。

 あの瞬間のすべてを振り払って消し去ってしまいたかった。


 一声発してやや吹っ切れたのか、ふっと唐突に意識が辺りを――現実を認識する。


(いけない……。つい動揺してしまって――情けない……)

 

 平静を装っていつもどおり軽く悪態をつく程度で応じるつもりでいたのに。

 情けなくも最後の最後で震えが声に出てしまい、しかもほぼ叫んだような大きさにまでなっていたことに、言い終えてしばらくしてから気付くなんて――。


 軽い自己嫌悪に肩を落としてそっと息をつく。


 ――と。


「彩香……おま――」


「あ……」


 我に返った時にはもう遅かった。

 何か感じ取ったらしく、横では翔がすっかり目を見開いていた。







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