霹靂とか要らない(3)
びくりと肩を揺らして振り返ると、いつから居たのかすぐ後ろに侑希の姿。
静かだが何となく読めない表情で佇み、彩香を見下ろしてきていた。
(い、いつの間に……)
叫んでからそれほど時間は経過していない。
タイミング的に、手助けを求める前からこちらに向かって来ていたということだろうか。
それにまったく気付かないほど、自分の頭の中はあの二人のことでいっぱいだったと……?
驚きと情けなさからか、どうにも普通に視線を合わせられず妙な緊張で鼓動も徐々に速くなってくる。
(……緊張……って、なんで……あたし?)
「西野、もしかして翔のこと……?」
「え……そっ、そういうんじゃ――」
「じゃあ、なんでさっきから翔のことばっかり訊くの?」
ふいに、緊張の理由に思い当たった。
問いかけ自体は静かで穏やかなのに、笑っていないのだ。いつもどんな時でも――調子の悪いときでさえ笑顔と気遣いを忘れない沖田侑希が。
「い、いや、別に……。た……ただ――」
「――」
やっぱり気付かれてしまったのだろうか。
いや、まだだとしても……このままでは――。
「え、えと……あの――」
口が軽いタイプではなさそうだし、幼馴染だからと何でも話してしまうとも思えないが、バレないに越したことはない。
どうごまかそうか切り抜けようか、必死で考えを巡らせるあまり――――――気付くのが遅れた。
伏し目がちに静かに見つめる濃茶の瞳が、微笑みの消えた唇が、ゆっくり眼前に近付いてきていたことに――。
「……ちょ、ちょちょ!? え、待っ……沖田くん!?」
とっさに、力いっぱい白シャツとボルドーのネクタイを押し戻していた。
決して力で対抗できたわけはないのに、無理に押し切ろうとすることなく侑希の動きが止まる。
静かすぎてどうにも掴めないままのその表情に思わず後ずさりかけるが、背後の書棚がそれを許してくれなかった。
「な、何……? じょ、冗談キツい……よ」
「――」
今の彼はそこまで変調を来しているのだろうか。
こんな、ありえないことを……ついしてしまうほど?
「…………そう、冗談。ごめん、驚かせて」
小さく息をついたかと思うと、侑希が笑った。
肩をすくめるようにして、だがいつもどおり満面の笑みで。
身体を強張らせたままの彩香の頭上――一番上の棚からするりと本を抜き取って、入口の方へと戻っていく。
「これ持って先に教室戻ってる。西野には鍵、頼んでいい?」
「う……うん」
書棚の陰から出られない……どころか振り返ることもできないでいる彩香に対して、侑希の声はもうすっかりいつもどおりの明るさを取り戻していた。
優しさと気遣いに満ちた爽やかな――。
ドアが閉ざされて足音が遠ざかって行くのを耳にしながら、結局身動き一つできずにいたことを静かに自覚する。
目を見開いたまま、気付いたらへなへなとその場にしゃがみ込んでしまっていた。
「――」
呼吸することさえ忘れていたような気がする。
肩で大きく息をしながら、ようやく動き出した思考をたどって強く額を押さえ込んだ。
(キス……されそうになった?)
そんなまさか――という思いとは裏腹に、伏し目がちの濃茶の瞳と唇がいとも簡単に脳裏に蘇ってくる。
(うそ……だって、なんで? 沖田くんみたいなモテオーラ全開で輝いてるヒトがこんな……まるでお呼びでないあたしなんかに……。そ、そうだ。『冗談』って言ってた。すぐやめてくれたし、最後は笑ってもくれてた。いつもどおりの沖田くんだった。だ……っだから、気にする必要なんてきっと全然なくて……)
でも――と、知らぬ間に震えていた両手をぎゅっと握りしめる。
すんなりやめてくれたが。
冗談というのもわかったが――。
あらためて、男女の体格差というものを思い知らされた。
翔ほどではないが軽々見下ろしてくる長身に加えて、見た目以上にがっしりした肩や胸。
当たり前だ。中学時代から日々ハードなトレーニングに明け暮れているスーパーアスリートなのだから。
押し退けようとしたときの重みや感触もまだ残っている。
優しい笑顔と爽やかな容姿、親しみやすい雰囲気に安心しきって見落としていた、というか――深く考えたことがなかったが、彼も「男」なのだ。
何を今さら……と呆れた一人ツッコミが入りかけるが、そうかだからか……と心のどこかで合点がいく。
意味不明なあの緊張の正体。
(……あたし、怖かったんだ……。ガラにもなく……)
どこか遠くで響いた女子生徒の笑い声に、びくりと全身が震える。
そんな必要もないのにあわてて立ち上がってカウンターに駆け寄り、置かれていた鍵をひっつかんだ。
(は、早くここから出なきゃ……。出て教室に戻らないと――)
思うように動かない指先でなんとか施錠し、そうだ先に鍵を返しに行かなければと、上りかけた階段から身を翻してそのまま本館職員室を目指す。
ぎゅっと鍵を握りしめてうつむいたまま、さらに足早に――。
東棟への角を折れたとたん、はしゃぐ声やざわめきといったものがいっそう大きくなった。
とはいってもチャイム直前で、廊下に出ている生徒は男女ともにごく少数のようだったが。
さっき聞こえた笑い声も、どこかの教室からなのか廊下にいる生徒から出たものなのかはわからない。
(――どうしよう……。まさか、誰かに見られたりとか――してないよね?)
ふいに、不安に駆られた。
あえて誰とも目を合わせないよう、下を向いて歩き続ける。
図書室にはもちろん誰もいなかった――そう思いたい――が、そういえば出て来るときに周囲確認するのを失念していた。
(もし、どこかから、誰かに見られていたとしたら……。変に思われなかっただろうか? いや、変に思わないハズがない。だってこんな時間に人気のない図書室から男女が出てくるなんて……何かあったと疑ってくれと言っているようなものじゃ……!)
見られた確証も何もないのに、やけに心配になってきた。
普通に日直やら図書委員やらが仕事で出入りするという事実さえ、今この瞬間は脳内からキレイさっぱり消え失せていた。
(ああああぁもう少し時間をあけてから出てくるべきだった……。ちょっとくらい遅刻してもいいって先生言ってたし。っていうか先生があんな仕事を頼むから……! っていうか、っていうかやっぱ沖田ボケ、許せん! 何が爽やか王子だ! よりによってこんなのつかまえてあんな冗談で遊ぶとかありえねーしっ!)
思考がまったくといっていいほど纏まっていない。
言いようのない焦りや動揺、怒り。
それらが大きく膨らんでくるにつれ、つい急ぐ足もどんどんスピードアップする。
(何か誤解されたまま、変な噂にでもなって広まったらどーしてくれるんだ!? ……っていうかそうなったらどうしよう? 真面目な話、どうするべきだろう? 変な誤解をされないように、前もって柚葉にだけでも話しておく――?)
親友の笑顔がよぎった瞬間。
激しく渦巻く不安や焦りとは裏腹に、ぴたりと足が止まってしまっていた。
柚葉、に――?
(――――って、ダメだ言えない。柚葉にだけは。たとえ冗談でもあんな……!)
強く目を閉じ、駆け出してしまっていた。
誰にも言えない。
話せる友達なんて――
柚葉に言えないなら、他に誰も……!
「平! そいつ止めて!」
後方から男子生徒のあわてた声が響いたと思ったら、
「ぶ……っ」
ぼよん、と何かやわらかい塗り壁にぶつかって体が止まってしまっていた。
ぶつかった鼻を押さえて顔を上げると、縦にも横にもデカい三年生男子が「とおせんぼ」と言わんばかりに目の前に立ちはだかっている。
(な……なに?)
「そいつ、ってこの子?」
塗り壁男子がのんびりとした声を彩香の背後に投げかける。
振り向こうとした矢先に、後ろからぐいっと二の腕が掴まれた。
「そそ。サンキュー。助かった」
「――」
すぐ頭上でにこやかに塗り壁に礼を言っている早杉翔に、思わず目を瞠る。
よく見ると、そこは3―Gの教室の前だった。
北棟2階にある図書室からそのまま本館を目指してきたのだから、当たり前といえば当たり前なのだが。
教室に入って行く塗り壁同級生にヒラヒラと手を振った後、わずかに顔をしかめて翔が見下ろしてきた。
「こら。まだおまえ走っちゃダメだろ」
(心配……してくれた?)
教室内から、走り出しそうな(すでに半分走ってたが)危なっかしいこの姿を捉えてわざわざ出てきてくれたということだろうか。
同級生を使って足止めまでさせて……。
「頭ン中、あんま甘く見んじゃねーぞ。――って何だ、どうした?」
(……怖くない)
未だ掴まれたままの二の腕も痛いくらいなはずなのに、全然嫌じゃなかった。
侑希ほどガッシリした体格ではないが、身長に関していえば彼よりさらに高いのに……。
「は……早杉さ――」
「え、おまえ何泣い――……って、えっ? えっっ!?」
ほぼ無自覚といってもよかった。
一気に広がった安心感とともに、気付いたらお馴染みのネイビータイをがっしりと鷲掴んでいた。
「あ、あたし、どうしたら――。……っと……」
「――『と』?」
突然ネクタイを鷲掴みされ、震える唇で何かをつぶやかれ、若干引き気味になりながらも翔が律儀に繰り返す。
「……と、友達がいないんですううぅぅぅぅ!」
「はあああああぁぁあ?! つーか、は、放……っ、な、泣くなあああああ!!」
鳴り出す始業チャイムに共鳴するかのように、東棟二階に彩香の号泣と焦ったような翔の声が響き渡った。




