夏色(5)
どう考えても脳挫傷の後遺症などではないこの現象と予測できすぎてしまう未来に恐れおののく彩香から、そっと目線を離し、瑶子はゆったりと空を仰いだ。
「あたし、翔が好き」
「――」
「頭痛くなるくらい、ホントに大好き」
まぶしそうに目を細めながら瑶子がさらにポツリと言う。
この上なく綺麗な微笑みをのせて。
あらためて聞かされるまでもない。彼女の想いは嫌というほど伝わってきていた。
こうして聞いているだけで胸が苦しくなってくるほどに。
「ずっと翔だけ見てきたの。小さいころから、ずっと……」
(……小さいころから? ああ、瑶子さんもあの二人と幼馴染……とかなのかな?)
少しずつ確実に沈んでいく気持ちは感じられるものの、幼少のころからお似合いだったのだろうな、と思うと自然に笑みがこぼれた。
可愛らしい小さな二人が並ぶ姿が、容易に想像できる気がした。
「だから、あたしには翔しかいないの」
「……はい」
「わかってくれる?」
「はい。大丈夫ですよ。早杉さんにとっても瑶子さんだけです」
「――ありがと」
微笑む瑶子があまりに綺麗で――――
本当に心の底からの「好き」が伝わってくるようで、胸が痛いくらいだった。
とうてい太刀打ちできない想いと現実。
わかってはいたはずなのに……。
今、ちゃんと自分は笑えているだろうか?
この気持ちがバレたりしていないだろうか?
話の後半から残りの部活終わりまで、気付いたらそんなことばかり気にしてしまっていた。
◇ ◇ ◇
「はァ? 何それ」
案の定、柚葉は怒った。
ものすごくわかりやすく片眉を吊り上げ、心なしか声もいつもより数段低い気がする。
(こ、こわっ! 大和撫子も「はァ?」とか言うんだ? ていうか柚葉もどんどん変貌を遂げてるような……)
でも帰宅ラッシュの混雑にひしめく駅のホームで良かった、とこっそり彩香は胸を撫で下ろした。
これが教室とかだったら般若降臨は間違いなく周囲をどよめかせていただろう。
そして隠れ大和撫子ファンの何割かを減らしてしまっていたかもしれない。
(ん? 待てよ。そうするべきだったか? 余計なハイエナどもを蹴散らすためには……。い、いやダメだ。爽やか王子に般若は見せられん。今「お疲れ王子」らしいし……)
「なんっっで、彩香が『応援』しなきゃならないの?」
明らかに怒りスイッチが入り、今にも噴火しそうな親友を目の当たりにして、そうだ今はこの状況をなんとかしなければ、と目下迫り来るピンチに向かうべく引きつる口の端をムリムリ上げる。
「つ……つい。口が滑って……というか。あはははーオカシイねー……」
「本っっっ当にオカシイわね」
「う……ハイ」
こうなるのは目に見えていたため、一応黙っていようかとも悩んだのだ。
「応援」と言っても具体的な協力やら何やらを瑶子に約束してしまったわけではないし。
――が。
経験上、後で何らかの形でバレたほうがよほど恐いと思い直し、部活終了と同時にこうして瑶子の熱い想いや彼女とのやり取りを包み隠さず話し始め――――今に至る。
覚悟していたとはいえ、やはり般若柚葉は恐ろしい。
美郷があの老婦人の孫で意外にも素直だったという件までは、まだ辛うじて苦笑を浮かべて聞いてくれていた大和撫子だったのに、瑶子とのあれこれを話したとたんにこの変わりよう……。
彼女なりにものすごく自分を心配してくれてのことなのだろうが。
これはこれで不安だ。
感謝と恐怖もまた別物なのである。
「で……でもさぁあ? あの流れで『応援できません』とか言えるわけないじゃん? で……でしょ?」
気持ちバレちゃったらアレだし……ね?ねっ?と冷や汗かきまくりで顔色を窺う彩香を冷めた目で眺めていたかと思うと。
「言っちゃっても良かったかもよ」
涼しげに視線を前方に戻しながら、柚葉。
「え?」
「いよいよ怪しい……。ホントに付き合ってないんじゃないかな? あの二人」
すっと目を細め、ホームにずらりと掲げられた広告看板を睨みつけるように見据えていた。
「え……で、でも瑶子さんそんなふうには言ってなかったよ? 小さいころからずっと一緒らしいし」
長年の一途な想いを聞いたばかりというのもあるが、やはり何より他の女子からの告白を受けた際の、美術室でのあのシーンが浮かんでくる。
おそらく告白される度いつもあんな感じなのだろうとは思うが。
瑶子との仲を引き合いに出されて翔もまったく否定していなかったのだから、おそらく――というか間違いなく――柚葉のその想像は現実とは違っているはずで……。
「天の邪鬼で怖がりでひねくれまくってるかと思えば……変なところで素直すぎなのよ、彩香は」
「え、ええぇー……」
ずいぶんな言われように、思わず仰け反りそうになってしまった。
そ、そうか、自分にはまだまだそんな面もあったのか……と恐縮さえしてしまう。
「まあいいわ。付き合ってる付き合ってないはやっぱり置いといて――」
お、置いとくんだ? 結構そこ大事じゃ……?という口も今は挟めそうにない。
「瑶子先輩が彩香をものすごく意識してるのは間違いないみたいね」
固く拳を握って自身の言葉に力強くうなずいている柚葉に――――思わず感情も表情も停止してしまった。
「……意識? なんで? どゆこと?」
「わかんない? 牽制されてるの!」
牽制……?
「早杉先輩を彩香にとられたくないって必死になってるの!」
「――――」
真剣な表情で訴える柚葉を、かなり遠のいて一周して戻ってきた意識でもって眺め…………
ハッと我に返った時には十数秒が経過していた。
「…………ごめん。全然わかんない。想像が追いつかない。柚葉何言ってんの?」
「想像、って――」
「まるで勝負にならない相手に瑶子さんが必死になるとか……ナイでしょ。なんで牽制なんてする必要があんの?」
こんなチビブサをさ、という言葉はさすがに呑み込んだ。
ただの卑下でも事実でも、相手に不快な思いをさせてしまう類のモノだというのはわかる。
キョトンとして聞いていた柚葉が、わずかに眉根を寄せて顔を近付けてきた。
「……なんで勝負にならないって思うの?」
「え? 見たまんま。何もかも」
「じゃあ、いろんな人に『仲良い』とか『じゃれてる』とか言われるのはどうしてだと思う?」
「勘違いとか……見間違い? あっ、もしかして人違いとか!」
何を言ってるの?と言わんばかりに眉をしかめて、柚葉が一歩後ずさって離れた。
「…………どうして彩香ってそう――……。し、信じらんない」
「だってどう見たってつり合わないし、ありえないじゃんー……って、どうした柚葉? 大丈夫?」
額を押さえ見るからにフラついている親友に思わず手を差しのべる。が。
素で言ってるだけに質が悪いわ……などとブツブツ言いながら、なぜか盛大なため息をつかれてしまった。
「彩香はもっと自信を――……って、も……いい。堂々巡りだわ……。何といっても彩香だしね……」
「何がああ?」
「ついでに早杉先輩にもムカついてきちゃった。何なの紛らわしい……」
「え……ええー? な、なんで?」
気のせいだろうか。言葉とは裏腹に柚葉が薄っすら笑っているような気がする。
こ、怖すぎる……。
舌打ちまで聞こえたような気もするが、絶対気のせいに違いない。
そもそも我が親友は何を怒っているのだろう。
「とにかくっ、あの二人のために一肌脱ごうとか何か協力をしてやろうとか絶っっっ対思わないでね?」
「えーそんなこと」
「余計なことは一切しないんだよ? いい? 絶っっっっっ対よ?」
「は、はい……」
元よりそんな気もなかったが、大きく「絶交」という脅し文句が書かれた恐ろしい薄ら笑いを目にしては…………やはりうなずくしかなかった。




