夏色(2)
後で母親から聞いた話によると、運び込まれた初日の目覚める前、塚本本人と父親の代理という人が病室に来ていたらしい。
丁寧な謝罪をしてくれたうえに、検査費入院費等全額負担するとまで申し出てくれたのだと。
「とんでもない! 非はほとんど鉄砲玉の娘にあるので!」と、あの母もさすがにそれは突っぱねたらしいが。
ただ……「しまったあぁ! もし傷とか残ったら責任とって嫁に貰うって一筆かいてもらうんだった!」と母に歯ぎしりされた時には呆れて言葉も出なかった。
(母よ……。残念なことに、あなたの娘はたとえ傷が無くても……ゴニョゴニョ……)
「――もう、完全に大丈夫なのか」
回想の中でげんなりため息をつく彩香に、相変わらず感情のこもらない表情と声音で塚本が訊ねた。
「あ……はいっ。明後日一度、見せに来るようにって言われてますけど」
その気はなかったとしても結果的に殴って(?)ケガさせてしまって心配、というところなのだろうが、わざわざ退院してからもこうして気にかけてもらって、逆に恐縮してしまう。
「す、すみませんでしたホントに。あたしがノコノコ飛び出しちゃったばかりに……。逆に心配までおかけしてしまって」
ペコリと頭を下げる様子を見下ろしたまま、塚本がぼそりと口を開いた。
「……痕」
「え?」
「残りそうなのか?」
視線は真っ直ぐに左こめかみに向いている。
「あ、これ……大丈夫みたいです。だんだん消えていくだろう、って」
「そうか」
まさか……この人も気にしてたんだろうか?
仮に痕が残ったとしても「責任取れ」とか無茶言わないのに。
先ほど柚葉に言われたとおり無駄に気にさせてしまったかと思うと、隠さずに晒しっぱなしにしていたことがわずかながら悔やまれた。
包帯は大げさすぎるし、と小振りのガーゼを当てて買い物に出掛けた先でも意外に目立っていたので、いいやこのままワイルドに行っちゃえー!とすべて取っ払って今朝出て来たのだ。
結果は……まあ、道行く通りすがりの人たちに対しては、昨日の買い物時よりはマシだったとだけ言っておこう。
「本当に悪かった」
突然、ためらいの欠片もなく塚本が頭を下げた。
一瞬の空白の後、思わずひょえっと飛び退きそうになってしまう。
イカン、一応安静一応安静。
「え……えっ!? そ、そんな謝らないでください! そもそも悪いのはあたしで――」
いつの間にか廊下周辺にいる生徒たちや後ろの2―Fから様子を窺っていたクラスメイトたちまでギョッとしてこの光景を眺めていた。
顔に青アザ作ったチビ女子とイカツイ強面男子、学園でツートップ張るようなイケメン長身という妙な組み合わせでただでさえ注目を集めていたというのに、その強面上級生に頭を下げさせたとあっては――
いったいどんなふうに見られるのかと思うと、自分の未来が空恐ろしい。
(めっちゃ見られてるうううう! そしてやっぱり『なんであんな女が』って気配もあるしー!)
「――それと……助かった」
内心汗だくの境地を知ってか知らずか、ようやく顔を上げた塚本の口から、ため息とともにごく微かな笑みがもれた。
「止めてもらわねーとマジでヤバかったかも」
「え」
「あのままだと何人か死んでたかもな」
「!?」
どこか遠い目をして安堵したように一息ついているが。
聞いているこちらは内容的にどうツッコんだらいいのやら……。
「――だから西野は恩人だ。何かあったら言ってくれ。力になる」
ま、たいしてできることなんてねーけどな……と伏し目がちに短い髪の毛を掻き乱して塚本が苦笑した。
「……」
今こうして自分なんぞに穏やかに頭を下げているところを見ると、やはりあの時は……よほど何かにムシャクシャして荒れていた、ということなのかもしれない。
「塚本、そんな溜まってんの?」
ここまで一切口を挟まず傍観していた翔が、ついと塚本に顔を寄せた。
「ちょっと俺に付き合わねえ? 紹介してえヒトがいるんだけど」
「はあ……? ――女なら要らねーぞ」
「んじゃイイ男で揃えとくから」
「おい」
「ウソウソ。ちょっと連れて行きてえトコがあんだわ」
微かに眉をひそめた塚本をどうどうどうと宥め、にっと笑ってみせる翔。
「ぜってー気に入ると思う」
「……今日はまずい」
「俺も今日は部活。んじゃ日曜とかは?」
「いいけど…………何なんだよ」
「当日まで秘密」
(な……なんか結構仲良し……? やっぱりただの知り合いとかいうレベルではないような……)
小気味良い会話のテンポと翔の謎な張り切りように呆然としているうちに、目の前では淡々とデート(!)の約束が交わされていく。
気付いたら、昼の終わりを告げるチャイムが鳴り始めていた。
◇ ◇ ◇
「す、ストップストップ! もーっ、彩香は重いもの持たないでって言ってるでしょ!」
どっこらしょと掛け声付きで運び出そうとしたハードルが、駆けつけた柚葉に軽々と奪い取られてしまう。
あ、あれ? キミその運動神経どっから持ってきた?
「練習休んでる意味ないでしょ。無理して悪化したらどうすんの!」
まるで臨月の妻を心配してあれこれ世話を焼く夫のようだな……と、つい笑いが込み上げてしまった。
「えー大丈夫だよ、もの持つくらい。良くなってきてるって昨日の検査でも言われたし。あとちょっとの辛抱だって――」
「じゃあ『あとちょっと』じっとしてて!」
「…………」
ピシャリと言い切り、両腕にハードルやバインダー、その他諸々を抱えてズンズンとグラウンドに出発して行く大和撫子が頼もしすぎる。
最近、『最強(いや最恐?)』なのは我が親友なのではないかと切に思う。
今のところ般若はナリをひそめているが、怒らせると誰より恐いのは確かだし……と彩香は密かに天を仰いだ。
顔のアザはかなり薄くなってきたものの、まだ軽いストレッチくらいしか許されていない(昨日の診察でも許可が下りなかった……)今日この頃。
退院から一週間やそこらではまあ、無理もないが。
それならばと、なるべく練習前後の用具の出し入れやその他雑務で部に貢献したいと密かに暗躍しているのだが、さっきのように柚葉に、時には他の部員たちにことごとく見つかっては止められてしまう。
変な動きをして重症化の不安にハラハラさせるくらいなら、いっそ完治するまで休部するか、ふんぞり返って大人しく見学だけしてとっとと治せ!というのが彼らの本音らしい。
皆の心配と気遣いはこの上なくありがたいし頭が下がる一方なのだが…………要は暇なのだ。
もともとじっとしているのが得意ではないうえに近くで和気藹々と楽しそうに動き回られると、猫じゃらしか毛玉に跳びつく寸前のネコのようにウズウズしてしまう。
だがさすがに休部は寂しすぎるし、何かしでかして病院や自宅に強制送還されるのも困る。
仕方がない、ちょっとだけ息を潜めてることにするか……とため息を吐きながらグラウンドへと戻り始めた。
――と。
(あ)
練習前の準備やら外周ランニングに出ようと身体をほぐしている部員たちのさらに向こう――フェンス向こうの定位置に、談笑する一年生女子たちの姿が見えた。
(名前……名前、何だっけ……あの子、確か……)
走りたい。走りたいがまだもう少し我慢だ……と歯噛みしながら少しだけ歩くスピードを上げる。
「え……っと、そこの――み、美郷……ちゃん!」
誰かを呼びつけながら急ぎ足で迫る二年女子に、一斉に振り返るモブたち。
その中央で、印象が綿菓子な生意気一年生――美郷も微かに目を見開いていた。
三人一緒がいいよね……と思い左右の女子を見ると、この間とは面子が違うようだ。ならこの際彼女だけでも、とわずかに上がった息を調えながら視線を定める。
「ごめん急に……。えと、ちょっと話、いいかな?」
突然の声掛けにわずかに驚いた顔で、それでもフワフワの髪を揺らして美郷はしっかりうなずいてくれた。




