変な女(2)
「必要以上に元気だぞ。安静にしてろっつってんのに暴れるくらい。だから顔見て来いよ。何なら付き合うぞ?」
にっと口の端を上げてみせると、ようやく安心したように塚本がそっと息をついた。
「いや……今日はいい。どうせ気ィ遣わせるだけだし……。とにかく休まねえと、だろ」
「まあ、だな」
ゆらりと柱から離れてゆっくりと近付いてくるのを少しだけ待ち、並んで裏の通用口へと向かう。
「なあ……」
歩き出して間もなく、ボソリと塚本がつぶやいた。
「……信じられるか? あの状態で俺の肘を心配してたぞ」
「おー、目に浮かぶわ」
「――なんか、ちょい変じゃねえ? 予想つかねえ動きするっていうか……」
「おう、やっぱ気付いたか。しかも『ちょい』じゃねえ。『かなり』変な女だぞ」
きっちり訂正しつつ、ついドヤ顔とともに言い切ると。
「ぶ……っ」
軽く噴き出した口元を隠すように、塚本が明後日の方向に顔を背けてしまった。
そのまま小刻みに肩を震わせる様子に呆気にとられたまま、つい訊いてしまう。
「な、何だよ? おまえそんな笑うヤツだったっけ?」
およそ二年ぶりのやり取りで、懐かしさと戸惑いがまだ複雑に同居している感はあるが。
「お互い様だろ」
「え?」
「いや……。おまえがなんでそんな楽しそうに『陸上』なんかやってんのか、わかった気がしてな」
「は?」
ちょ……待て、いったいどういう意味だ――?
重ねて訊ねようとした口が開かずに終わる。
向かう先――通用口ドアの手前に置かれた長椅子に、一人の女生徒が腰掛けていた。
肩下まで伸ばしたウェーブがかった濃い栗色の髪。
うつむいて顔は見えなかったが、制服姿で抱きしめるように鞄を抱えたその女子は翔のよく知る人物だ。
現れた男子高校生二人に気付いて、女生徒がスッと立ち上がる。
「瑶子……」
とっくに帰ったと思っていたため、少なからず驚いてしまった。
一番先に関口らとの話を終えていたはずだ。なぜこんな時間まで……。
ずっと待っていたのだろうか。
こっちの調査が終わって、彩香の母親に請われて二度付き添っていた間もずっと――?
何か言いたげながらも長い睫毛を伏せ、ますます強く鞄を抱え込むだけの様子を見て、「じゃあ先帰るわ」と塚本がさっさと歩を進めて瑶子の横を通り過ぎた。
気を遣わせてしまったような空気に、何とも言えない複雑な感情が胸を占める。
「あ、そうだ早杉。さっきの話、付き合ってくれんなら退院した後にでも頼むわ」
「お……おう」
様子を窺うのは落ち着いてからでいいと、そういうことか。
彩香の状態が思いのほか大丈夫と知って安堵したのだろう。
少ない表情ながらもかなり吹っ切れたような笑みを滲ませて塚本は去って行った。
完全に姿が見えなくなるのを見届けて、瑶子が無言のまま再び長椅子に座った。
なんだってこんな時間になるまで……。
「……もう外真っ暗だぞ。伯父さんに電話したか?」
隣に腰を下ろしながらため息混じりに訊ねると、こくりと小さなうなずきがひとつ返ってきた。
ケガが無かったとはいえ、瑶子もまた今日は大変な思いをしたのだ。
早く帰って休むべきだろうに。
トン、と肩口に栗色のウェーブヘアが凭れかかってきた。
「――――思い出しちまったか?」
「……」
「ごめんな……?」
「謝られたいワケじゃない」
「ごめん」
少しだけ頭を浮かせ、目を真ん丸にして瑶子は見上げてくる。
「……謝ってばっかりね。あたしには」
「だな……」
呆れたようにクスリと笑みをもらして再び凭れかかってくる瑶子につられて、少しだけ笑ってしまった。そこには自嘲の意が存分に込められていたのだが。
確かに自分は謝ってばかりいる。
それも瑶子だけではなく方々に……。
あるのはいつだって後悔と猛省と、自戒の念。
「もし、あの時ああしていたら――」なんて仮定に何の意味も無いことは、自分が一番よく知っている。
(こんな俺のどこが順風満帆に見えるって?)
先日彩香とした会話を思い出して、つい苦笑をもらしてしまっていた。
(何を見て格好いいなんて言葉が出るんだか……)
「――西野さんが、そう?」
「え?」
隣でぽつりと発せられた声に、一瞬にして現実に引き戻される。
体勢に何ら変化はない。
肩に凭れかかったまま、瑶子が淡々と続けた。
「翔、あの約束……憶えてる?」
「――」
「……西野さんがそうだって言うなら、あきらめる。そうじゃないなら、もう少しこのままでいさせて?」
「や、だから……それだっておまえの貴重な時間を――」
わずかに身動きしようとしたところに、細い腕が絡みつく。
そのまま額を強く肩に押し付けるようにして、瑶子が左腕に力いっぱい抱きついてきていた。
「瑶――」
「お願い……!」
「……」
――いつも振りほどけない。
こうして震える声で、身体で、しがみつかれると。
自分のしたことの大きさを思い知れと、言われているようで……。
いつの間にか振り仰いでいた天井からすぐ隣に目線を落とし、気付かれないようそっとため息をつく。
「……瑶子」
できる限り優しく名前を呼んで、空いた右手をそっと頭の上に弾ませた。
自分ができることはここまでだ。
突き放すことも抱き返すこともできないが、とりあえず震えを抑え、安心させてやることだけは――。
瑶子の願いに応えられない以上、これも自己満足に過ぎない。わかっている。百も承知だが……今は他にどうすることもできない。
「……羨ましい」
とりあえず落ち着けたのか、左腕からするりと離れて瑶子がつぶやいた。
「ん?」
「強いね……西野さん」
ああ、と対象の珍獣を思い起こしてすぐさま呆れ笑いが出る。
「強いんじゃねえ。『無鉄砲』っつーんだアレは。いや、『無謀』か。真似すんなよ?」
「――」
笑いながら立ち上がり、腕時計で時刻を確認。
「そろそろ迎え、来てんじゃね?」
今日は疲れたし俺も乗っけてもらおっかなー、と伸びをしながら通用口に向けて歩き出した背中に、微かにだが瑶子の声が届いた――気がした。
「ん? 何か言ったか?」
「ううん、別に……」
「そか、ちょい見てくる」
「うん……」
足取り軽くドアを押し開けて出て行く長身の後ろ姿を見届けきってから。
瑶子は再びぽつりと、誰にも拾われることのないつぶやきをもらしていた。
「……羨ましいわよ。翔にあんな笑顔させるんだから……」




