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陽だまりにて待つ!  作者:
第2章 気付けばこれって……
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 再び小さく謝る声が聞こえたと思ったら、陸上部員ではない三年男子に背負われたまま彩香は気を失ったらしい。

 一瞬、集まってきていた外野にどよめきが走るが、近くで様子を窺っていた翔や香川、関口顧問の落ち着き払った様子からすると、楽観はできないかもしれないが恐らく大丈夫なのだろう。


 そこまで考え、沖田侑希もそっと吐息した。


(意識もかなり朦朧としていたようだったし、無理もない……)


 だが――――と視線はすぐに、侑希自身にとってはあまり馴染みのないその上級生へと向かう。    


 教師たちの短い協議の結果、このまま車で病院へ連れていくことになったらしい。

 車で五分ほど走ると総合病院がある。救急車を待つより断然早いのだ。 


 男子生徒から下ろした彩香を抱きかかえ、生徒指導と学年主任が揃って駐車場へ向かい、副主任が職員玄関へと走った。

 残った教員たちが声を張り上げて、野次馬たちに部活動再開や下校を促している。


 陸上部顧問の関口もこの後、担任や家庭への連絡、当事者たちへの聞き取り調査に追われることになるのだろう。

 主将香川に今後の活動内容に関する指示を出していた。


 それらすべてを横目に、静かに意を決して侑希が動く。


「どういうことですか?」


 彩香をここまで背負ってきた、おそらくはそれなりに事情を知っているだろう制服姿の男子――塚本の前に立ちはだかる形で。    


 ネクタイからひと目で上級生と判ってはいたが、関係ない。

 遠慮も気後れもなくただ問いただしたい思いだけが前面に出ていた。   


「何があったんですか? まさか先輩が――――西野を?」


 よほど強い衝撃を受けたのか、左目横から広範囲に変色し、かなり痛々しいことになっていた。

 彼の肩口に伏せられるように倒れ込んだ小さな顔を思い返し、知らず目線に鋭さが宿る。 


 口調こそ静かだが毅然と真っ直ぐに向けられた視線を、塚本はただ無言で受け止めていた。 


「答えられないってことですか?」


「――だったら?」

「!」


「侑。落ち着け」


 詰め寄ろうと一歩踏み出しかけたところを、翔に静かに止められた。 


「たぶん違う。そんなヤツじゃねえ」


 さも人柄を知っているとでも言いたげな幼馴染に、思わず眉をひそめる。


 そういえば……翔はこの男生徒に真っ先に気付いて名前も呼んでいた。

 同学年ということもあり、確かに自分よりは彼に詳しいのかもしれないが――。

 ならなぜ何も話さないのだ、といっそう不信感は募る。


 二人分の視線を受けてもなお、塚本は黙ったままだった。


 もはや彼からは何も引き出せないと翔自身も踏んだのか、代わりに回答を求めるように二人の女生徒を振り返る。   

 マネージャーの瑶子が、そのとおりだとばかりに翔にうなずいて見せた。


 高瀬柚葉に至っては、彩香を乗せた車が走り去っていくのをその場に座り込んだまま呆然と眺めている。

 詳しいことはわからないが、誰よりもショックが大きかったのだろう。

 こちらの剣呑としたやり取りなど一切耳に入っていないのかもしれない。


「中学生たちが、慰謝料がどうとか急に絡んできて……」


 ぽつりと瑶子が話し始めた。


「西野さんのこと、知ってたみたいだった」

「――茶色の制服の奴らか?」


 眉をしかめて訊ねた翔に、瑶子が繰り返しうなずく。

 あいつら……とつぶやくように舌打ちしている幼馴染から、そういえば少し前、野外走中にイザコザ一歩手前のことがあったという話を聞いていた。

 その時の中学生たちが今回も絡んでいるということか。


「そこに彼――塚本くん、が来て。西野さんが――その、止めようとして……それで……」

「無闇に突っ込んだ、ってワケかあのバカは……」


 言いながらグシャリと前髪を掻き上げてため息をつく翔。


 それを見て、ようやく少しだけ肩の力が抜けた。 

 未だ細かい経緯はわからないが、この塚本という上級生が故意に彩香にケガを負わせたわけではない――というのは確からしい。


 同じようにそっと息をつきかけ、すかさず真っ直ぐに塚本に向き直った。


「すみません。考え無しに失礼なこと言いました」


 一礼とともにキッパリと謝罪の意を述べる。

 思った以上に熱くなりかけていたようだ。短絡的に人を疑いかけたことに後悔が押し寄せる。 

    

 反省し潔く頭を下げる侑希に、塚本がふっと口元を緩めた。 


「なるほど……例の『完璧くん』か」

「え?」


「おま……よくそんなこと憶えてたな。……まあ、そういうこと」


 わずかに目を見開いていた翔も、すぐに満足そうに口の端を持ち上げた。


「?」


 何の話をしているのだろうと疑問は浮かんだが、思ったよりも大丈夫なのかもしれないと一気に安堵した。状況的に――そして彩香の容体についても。

 空気で悟った。


 もし本当にどうにもならないほどの切迫した事態だったら、いくら飄々とした翔でもこんな穏やかなやり取りを繰り広げてはいないはずだ。

 その場で救急車を呼ばずに塚本に背負われて学校に戻ってくる余裕があった程だから、彩香もきっと大丈夫だろう――と思いたいのもある。

 心配なのは変わらないが。


 落ち着きを取り戻すと、少しだけ周りがよく見えてきた。

 いつの間にか周囲を取り囲んでいた野次馬はすっかり減り、正門付近は平常の放課後の風景を取り戻しつつあった。

 他の陸上部員たちも散り散りにだが、第二グラウンドへと向かっている。  


 ふいに、先ほどから呆然と座り込んだままの高瀬柚葉が視界に入った。 

 おそらく今、計り知れない心配と不安が彼女の内を占めているのだろう。


「大丈夫?」


 そっと近付いて手を差しのべると、びくりと肩を震わせて柚葉が振り向いた。


「侑く――」

「え?」

「あ……ごめ……お、沖田くん。なんか怖くて……」


 散々濡れそぼった頬に、堤防が決壊したようにさらにあふれ出てくる涙。 


「彩香……だ、大丈夫だよね? も……っ、もし何か……どこかひどく――」


 拭けども止まらない涙に加え、嗚咽までもれ始めた。  


「ご……ごめ……っ、あたしが泣いても、しょうがな……だけどっ」


 無理もない。親友の大変な姿にずっと付き添ってきたのだ。

 怖かっただろう。


「落ち着こ。西野は大丈夫だって」


「あ……たし、のせい……っ」


 気が動転しているのか、思ってもみないことを言い出した。


「そんなことないだろ。どうしてそんな――」


 わずかに目を瞠ったものの、できるだけ安心させられるようさらに手を差し出す。――と。

 違うとばかりに強く頭を振ったかと思うと、濡れた瞳を真っ直ぐに向けて柚葉が見上げてきた。


「彩香、たぶん一人だったら……逃げれた……から……っ!」

「――」


 しゃくりあげ喉を詰まらせながらも言い切った柚葉の言葉に、そこに居たそれぞれが息を呑んだのがわかった。


「そうね……。あたしたちを置いて逃げられないって、思ったのかも……」


 そっと睫毛を伏せ、瑶子も涙ぐむ。

 翔も塚本もそれぞれ複雑な――やり切れない表情を滲ませたまま、黙って立ちすくんでいた。   

 


「おーい、そこ!」  


 遠い呼び声に振り返ると、陸部主将香川が東校舎脇から手招きしていた。


「マネージャー二人。――とA組の塚本、だよな? 詳しく話聞きたいから中入れってさ。生徒指導室!」


 いいな?今すぐだぞ?俺は部のほう纏めなきゃならんから、と言い置いて身を翻しかける香川に、片手をあげて翔が反応する。


「香川ちゃん、俺も。俺も関係者」

「マジか。じゃ早杉も行け。沖田は――……練習どころじゃねーだろ、おまえも行け。もうそこみんなまとめて入れ! 今すぐ。ゴー!」


 あーもー忙しい!と言わんばかりに叫び散らして姿を消した香川。部長ともなるとやはりなかなか大変らしい。

 んじゃ行きますか、と昇降口に向けて歩き出した翔と瑶子に続いて、塚本もゆらりと歩を踏み出した。


 自分たちもと思い、あらためて柚葉を見下ろす――と。

 苦しそうな号泣状態はいくらか収まったようだが、まだまだ乾きそうにない瞳は呆然と三人の背中を見送っている。


「……大丈夫?」


 静かに問いかけると、ハッとしたように細い肩が震えた。


「ご、ごめんね……。あ、あたし……みっともないトコ――」   


 真っ赤に染まった泣き顔を見られまいとしてか、勢いよくうつむいたかと思うと下から両手でぱたぱたと扇ぎ出す。


「二人、そうとう仲良いからな。無理もないよ」


 恥ずかしさで顔を上げられないでいるらしい柚葉に、ついクスリと笑みがこぼれた。

 もう散々見たよ、とは言わないでおく。


「とりあえず中、入ろう。立てる?」


 掴まって立てるようにとさらに手を差しのべ――――かけて、動きが止まる。


「――」


 ふいに、何か言いようのない感覚が脳裏をよぎった。


(何……だ?)


 既視感、というのだろうか。    

 記憶にないのになぜか憶えのある……どこか懐かしいようなビジョンと感情の断片が、一瞬だけ脳内を駆け巡った――気がしたのだ。

 一瞬すぎてほとんど掴みとれはしなかったが。


「お……沖、田くん?」


 突然フリーズされ柚葉がこわごわと呼びかける。 

 声は届いていたが、目を見開いたまま何の反応もできずにそのまま柚葉の泣き顔を見下ろす。  


 そう。こんな場面が前にも……?

 前にも――そう、あった……ような?

 いつ――だったかはわからない。

 けれど、こうして自分が手を差しのべる先には、いつも誰かがいて。 


(誰――?)


 それが翔の言う「アズ」という女の子なのだろう。幼いころ、自分が事ある毎に話して聞かせていたという……。


 だが――わからない。

 すり抜けたはずの断片ピースは記憶を掠めるように舞い戻ってきては、またすぐにこぼれ落ち消えていく。

 思い出させまいと避けるように、逃げるように。


 一瞬だけ、断片と意識の隙間から読み取れた像だけは脳裏に焼き付いている。 

 大粒の涙と、見上げる黒目がちの瞳と…………繋がる指。  


(指……? 指なんて今……何も) 


 気付いたら眉根を寄せ、強く額を押さえ込んでいた。

 右の手のひらにじっと視線を落としたまま。  


「……大、丈夫? 沖田くん?」


 不安げに心配気に見上げてくる瞳。

 彼女の真剣な表情に、知らず、誰かの面影を重ねてしまったのだろうか。


「あ、ああ……ごめん。ほら、いいよ掴まりな」


 ハッとしてあわてて笑顔を貼り付けて、手を伸ばす。


「で、でも……頭痛いんじゃ――」

「いいから」


 遠慮がちに振られる華奢な手を、逆に引いて立たせる。

 その間にも、何か不安のような焦りのような……この不可解な感覚が収まることはなかった。


「ほら、俺たちも行こう」


 一瞬だけ笑顔を残してすぐに踵を返し、収まるどころか……と再び強く額を押さえ込んだ。  

 せり上がる焦燥感。  


 このままいくとまた酷い頭痛に襲われる。……わかっている。

 無理に思い出そうとして、もう何度も経験してきた痛みだ。

 そして何度経験しても慣れることのない焦りと苛立ち。

 このまま思い出せないのでは?という漠然とした不安や虚しさも、変わらず付きまとっていて――。 


(けど――)


 なぜか今回だけはあきらめてはいけない気がした。

 内側から何かが激しく警鐘を鳴らしている。


(何か……そう、大事な約束を……)


 揺らぐ意識。

 痛みとともに静かに自覚する。


 記憶の奥底に、この日何かが――確実に波紋をもたらしていた。







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