リベンジ(3)
ゆらりと面倒くさそうに振り返った顔は、やはり無表情。
「……?」
どうしたんだろう……やはり助けてくれる気にでもなったとか?
いや、あの表情じゃ違うか……と、重い気分を引きずったまま眺めていると。
そのままゆっくり裏通りを引き返してきた塚本が、未だ好き勝手に嘲り笑っている中学生たちのすぐ後ろで立ち止まる。
と思いきや――
突然、一人の足元近くにあったビールケースをおもいきり蹴り飛ばした。
ガシャンと派手な音とともに、脇のブロック塀に激突した空き瓶が割れて飛散した。
「うわっ!」
「ちょ――」
けたたましい音に思わず肩をびくつかせた中学生たちが、ガラゴロと揺れて転がっているケース本体を呆気にとられて眺めていると――――
第二撃。
少年たちを睨みつけたまま、塚本が別のビールケースを勢いよく蹴り上げる。
幸い空き瓶は残っていなかったが、眉ナシをわずかに逸れてケースは通用口ドアを直撃した。
またも大きく響いた衝撃音と塚本の不気味なほどの無表情さに、誰も何も言葉を発することができなくなっていた。
眉ナシでさえすっかり目を見開いてしまっている。
地べたに置かれたままだった誰かの通学リュックを、追い打ちをかけるように塚本が真上から勢いよく踏みつけた。
自らの薄い鞄を小脇に抱えてポケットに両手を突っ込んだまま、何も語らず眉ひとつ動かさず、だが彼は静かに怒っているらしい。
助けに入ってくれているのでも何でもなく、先ほど自身に向けられた侮辱めいた発言にキレているのだ。
そう静かに理解するが、何か音が響く度に肩をすくめるしかできないのは彩香たちも一緒だった。
いつの間にかあれだけ傲慢でふてぶてしい態度だった中学生たちの表情に、戸惑いを通り越して恐れのようなものが顕れ始めていた。
「な、なにコイツ……」
「ヤバくねえ?」
ものすごく同意したい気持ちで、彩香も塚本の表情を見上げる。
確かに生意気で向かっ腹の立つ野次が飛び交っていたような気もするが、それにしてもここまで……?と目を瞠らずにはいられない。
それとも今日は最初から虫の居所でも悪かったのだろうか。
あの時、静かに体育倉庫で助けてくれた彼と、確かに同一人物であるはずなのに。
少年たちを蔑む表情が――冷たい目が、早杉翔の比ではない。
前回の翔がこの中学生たち相手にいかに冷静で温厚な対応をしようとしていたのかがあらためて窺えた。
ふいに、背後の裏口ドアがガチャリと音を立てた。
立て続けに起こる大きな物音に異変を感じて、さすがに店のスタッフが様子を見に来たのだろう。
が、中でさわさわと人の気配がするだけでドアは一向に開かれない。
複数の焦ったような足音と話し声から察するに、店外での物々しい雰囲気に恐れをなし、どうしたものかと考えあぐねている……そんなところか。
もしくはどこかへ連絡なり通報なりしようとしているのかもしれない。
見ると、スーパー正面の駐車場からぐるりと回って一般の買い物客もちらほらと顔を覗かせ始めていた。
にわかにハッとして彩香は眼前の光景を見回す。
無残に転がっている店の備品に飛び散ったガラス瓶の破片、怯えて蹲っている女子高生となぜか呆然と立ちすくんでいる中学生たち。
その真っ只中に、今現在は一人で暴れているようにしか見えない目付きの悪い男子高校生。
(こ、この状況は……マズいのでは――)
危惧したとおり、集まってきた野次馬は皆一様に訝しげに塚本を眺めやっている。
「あ、あの……ち、違いますっ……先輩が、あのヒトが悪いんじゃなくて――」
誰に向けるともなくあわてて釈明しようと声を張り上げかけるが、彼にまったく非がない――とは言えなくなっているこの惨状に、つい言葉も途切れてしまう。
すでに店内にも騒ぎが広まっているのか、さらに野次馬が増えてきた。
この瞬間から見た人間にはむしろ塚本の方が悪く印象付けられるかもしれない。
誰が見てもわかる近所の有名私立高校の制服を身に付けたまま器物破損などの暴挙に及んでいる少年Aは、もういつ通報されてもおかしくないのだ。
(もし今、本当に通報でもされたら――)
浮かんだ仮定に思わず目を瞠る。
この塚本の立場はどうなるのだろう?
三年生だし進路にだって少なからず影響は出るだろう。
それによる学校への影響は?
沖田侑希のインハイ出場にも、何か翳りがさすようなことに……なったりしないだろうか?
そんな彩香の心配とは裏腹に、周囲の目などまるで意に介していない様子の塚本。
変わらぬ無表情のまま、怯えたように固まる中学生一人に向かっておもむろに手を伸ばした。
「え、えぇ!? な、なんでオレ――」
「や……塚本先輩、それはちょっ――」
(さすがにマズいって……!)
自分の窮地を救ってくれたことがある人。
理由はどうあれ、今回も結果的にはガラの悪い中学生たちを止めてくれたも同然の……。
そんなヒトを――警察沙汰とか世間に後ろ指を指されるような、大変な目に合わせるわけには……!
考えている間に、塚本が胸ぐらを掴み上げ引きずるようにピアス少年を引き寄せていた。
そしてそのまま冷めた目で少年を見下ろし、無造作に鞄を足元に落とす。
――塞がっていた片手を空けるために。
「せ、先輩ダメ……っ!」
殴り付けようと後ろに大きく引かれた腕と拳を見た瞬間、思わず飛び出していた。
どうにかして止めなければ、ということしか頭になかった。
直後。
こめかみに走った強い衝撃とともに世界が揺れた。
「バ……っ、何やってんだおまえ――!」
この場に初めて響く、驚愕そのものの塚本の声。
アスファルトに崩れ落ちる感覚と打ち付ける鈍い痛みだけは理解できて――――。
重なるように柚葉と瑶子の悲鳴が上がった。
「彩香っ!」
「西野さん!?」
一瞬すぎて何がどうなったのかもわからなかった。
バタバタと駆け寄ってくる足音は聞こえる。名前を呼びながら抱え起こそうとしてくる手と腕も感じることは――
(起こす……? ああ、あたし倒れちゃったのか……)
さらに駆け寄ってくる人の気配。ざわめき。
勢いよくドアの開く音。
(なに……? 救急車? ――それはダメ、呼ばないで。通報もしないで……)
ざわめきは感じるのに、声がすごく遠い。
悲鳴のような柚葉の泣き声も簡単に意識をすり抜けて――。
頭が、割れそうに痛くて熱い。
じゃあ間に合わなかった?
先輩を止められなかったんだろうか……?
薄っすら考えかけた時には、暗転した視界の中で意識を手放してしまっていた。




