この親友、侮るべからず(1)
照りつける太陽が徐々にその威力を増し、新緑のまぶしさに目を細める季節がやってきた。
もう完全に日も長くなり、放課後の部活動にもっとも熱くなれる時期と言っても過言ではない。
藤川洸陵高校陸上部では目下のところ、本選出場権を得た十一種目九名の選手たちに、部員たち皆一丸となって惜しみない声援を送っている。
とともに、惜しくも予選敗退した一、二年は秋の新人戦に向けて「今度こそは」と心と技に磨きをかけ、三年生も残りわずかとなった引退までの期間、自己ベスト更新を目指してモチベーションを保つ。
敗れたからといって悲嘆にくれているばかりではないのだ。
ザッと盛大に砂を撒き上げての幅跳び着地に、グラウンド内の視線と歓声が集まった。
今年は跳躍二種目で県総体出場が決まった主将香川、なかなか好調なようである。
そして。
「キャーーーっ! 沖田先輩ー!」
これまた絶好調らしい沖田侑希がゴールを切ると同時に、小さく沸き立つグラウンド脇。
額の汗を無造作に払いコーチとゴール横で話し込む様をうっとりと見つめ、爽やか王子のファンたちは今日も元気に可憐にフェンス向こうに陣取っている。
だが――
「しっ。もうちょっと抑えて」
その様相も明らかに変化を見せていた。
小声で他の女子たちを窘める中央の綿菓子――美郷らに、未だ慣れない彩香もつい意外な思いで目線を向けてしまうのだが、そそくさと視線を逸らされるだけで、強烈な目で睨まれたり聞こえよがしの悪口が聞こえてきたりというのは無くなっていた。
声援も彼女らなりに極力抑えようとしているのか、以前よりめっきり小さくなっているような気がする。
あの時の悪行バレがよほど堪えたのか、侑希の冷たい一声がよほど効いたのか。
どちらにしてもあのくらいなら許容範囲らしく、先輩たちも顧問もここのところ放置している。
新年度当初何かと物騒であわただしかったにしては、ここに来ていろいろなことが良い方向に動き出しているような気がして、つい彩香の口元も緩んだ。
ただ一点――――自分の……不可解な内なる変化的なものを除いては、の話だが。
いやっ、それだって変化と呼べるほどの何かではないかもしれないし。
一瞬のことだったし……と、ある長身の姿を思い浮かべかけてしまい、気のせい気のせい!とぶんぶん首を振りながら暗示をかける。
(だ、ダメだ……)
何やら言い知れぬ危機感のようなものがせり上がって来るだけで把握も理解も説明もできないが、先日からのこの状態は、何か――――精神衛生上非常によろしくない、気がする。
それというのもあの一年生たちに足を引っ掛けられて以来、ちょうど危ないところで翔がうっかりノコノコ助けに現れてくれちゃったりするせいで!
と、なんとも罰当たりなことを考えながら、気を抜くとすぐ「への字」になってしまう口を無理やり両手で引き伸ばした。
そんなモヤモヤを払拭するべく、鼻息荒く頭を抱えたままかなり強引に気分を切り替えることにする。
わからないものはわからない。考えてもしょうがないのだ。
一年生といえば――と、フェンスとは逆方向のグラウンド中央に目を向けた。
三年マネ瑶子とともに何か作業をしている一年女子四人組。
昨年と同様選手候補は半分以上辞めていったのだが、今年のマネージャー候補たちが未だ一人も脱落せずに頑張っているのだ。
憧れの君の近くに居たい、という想いがよほど強いのだろうか。
マネージャーは学年で一人という全部活動共通の規定があるため、遅くとも来月中には一人に絞らなければならないはずなのだが。
「あの四人から最終的にどうやって一人選ぶの?」
グラウンド入口でゆったりストレッチしながら、すぐ横で大量のタオルをたたんでいる柚葉に訊いてみる。
「あー……関口先生も部長も、みんなもっと早く辞めていくと思ってたらしいんだけどね……」
手を止めて、うーん、と空を仰ぎながら柚葉。
要するに厳しさに音を上げてどんどん脱落していくだろうから最後に残った子を据える、という算段だったらしい。
「ここだけの話、決めかねてるみたい……。四人とも同じくらいよくやってくれてるし。このままだと最終的には公平にジャンケン、とかかなあ? 負けたコ絶対泣いちゃうかもだけどね」
選ぶ側も選ばれる側も大変そうだ。
月並かもしれないが、ついそんな感想を抱いた。
去年は他の女子たちがあまりにもピンク色のハートを飛ばしすぎていたというのに加え、柚葉がズバ抜けてよく気が利いていたのを買われた、と聞いている。
選ばれなかった子は泣くことになる。
それは――――酷だろうがある意味当たり前のことだ。
こうした一部活動のちょっとした選抜ばかりではなく、テストだって進学だってその先の就職だって…………もちろん恋愛だって。
すべての人が良い思いをするなんて、当然ありえない。
幸せに笑うヒトの陰で、誰かが泣いていたりもするのだ。
まあ、世の常と言ってしまうと少々大げさかもしれないが。
彼女たちのうち三名には、可哀想だがフェンス向こうで応援しつづけてもらうことになる。
それでも想う気持ちそのものを捨て去れというワケではないのだから、いいじゃん……と思うのだが。
好きという気持ちが大きすぎると、そういうわけにもいかないのだろうか。
そりゃあ……好きなヒトのすぐ側で応援でき、見守れるのに越したことはないのだろうが――。
気付いたら、一緒に作業しながら彼女たちに何かを教えているらしい瑶子の姿を目で追っていた。
すらりと伸びた手足に、肩下までの栗色ウェーブヘア。
長い睫毛に縁取られた大きな瞳に、時折こぼれる艶やかな笑顔。
(綺麗だな……)
大好きなヒトに選ばれたら、あんなふうにキラキラの素敵な笑顔をしていられるのだろうか。
ん? 逆か……。
綺麗で輝いてるから選ばれたのか?
ちょっとした『ニワトリ卵』のジレンマに足を突っ込みかけるが、もうそんなのどっちだっていいと思ってしまえるほど彼女の容姿は際立っている。
そして、そこに並び立つ長身の彼とお似合いなのも誰がどう見ても明らかで――。
つい思い浮かべてしまったツーショットの残像をかき消し、無意識に小さくため息をついていた。
(なんで、自分の周りは美女しかいないんだろう……)
瑶子といい柚葉といい綿菓子の美郷といい……。
数え上げるとキリがないくらい、他にも該当者がどんどん膨らんでくる気がする。
今さらだが、自分だってせめてもう少し、どこかしらどうにかならなかったかなーとほとんどヤケクソに自身を顧みかけ――――て、ハッとした。
またもや今までにない不可解な感情に囚われそうになっていた。
そんな自分に愕然とし、どう足掻いても変わるはずのない事実にあらためてガクリと項垂れてしまう。
――本当にどうかしている。
(そんなわかりきったこと……今さら、どうにも――)
風に吹かれて跳ね上がりそうになった前髪を、――握りしめた両拳で強く押さえ込んだ。




