不可抗力ですからっ(2)
「早杉先輩……」
その姿に、つい安堵するより先に目を瞠る。
いつの間に来ていたのか、自身の体で危なげなくお婆さんを支えたまま、早杉翔が立っていた。
「せんぱ……な、なんでここに」
「なんで――って、あ」
ちょっと待っててね、とにこやかに気遣うようにお婆さんを背後に遠ざけてから、未だ二の腕や肩を掴まれたままの彩香を一瞥して、翔。
「普通に授業受けていつもどおり部活遅刻して。みんなもう出たっていうから、のんびり一人で走ってたら……。おまえこそ、何こんな所でこんなカスどもと遊んでんだ?」
呆れたような表情で飄々と紡がれる言葉に、中学生たちの目の色が変わった。
「え、何? カスって俺ら? もしかして」
「ひっでー」
大げさに噴き出しては見せるが、明らかに何かのスイッチが入ったようだ。
彩香から手を放した連中まで含め、ほぼ全員で長身高校生一人に詰め寄り始める。
「おにーさん、デカいねー」
「おんなじジャージじゃん。何? おねーさんの彼氏的なヒト?」
「イケメンすぎてウケる。つーか言ってる内容は全然イケてねーけど」
「状況わかってる? 名門校通って勉強だけしてるようなひょろひょろのおにーさん?」
せせら笑い、馴れ馴れしく顔を近付けていく彼らに、翔が面倒くさそうにため息を吐いた。
「おまえら、こんなことしてねーで勉強しろ? 後でぜってー後悔すんぞ?」
「うわ、ウザ」
「そういう説教とかマジ要らねーし」
「平気なフリして実はビビってんじゃね?」
ぎゃはははと品無く一人が胸ぐらを掴みにかかった。
「ほらデカいだけで所詮――」
「やめとけって言ってんだよ」
突然間近で響いた翔の低い声に、喉元を掴んでいた中学生が凍りついたようにその動きを止める。
同様に固まる全員を蔑むように見下ろして、翔が口の端だけで笑った。
「わかんねーか、馬鹿すぎて。……じゃあやるか?」
「……っの野郎っ!」
「おい」
怒声とともに殴りかかろうとした一人を、背後から眉ナシが止めた。
よく見ると、彼一人だけ未だに車止めブロックにどっしりと腰を落ち着けている。
そのまま、前の通りや近隣の家々の窓にいつの間にか外野の目が増えていたことを顎で仲間たちに示す。
コンビニのレジでは、店員が焦ったようにこちらに視線を向けながら携帯電話を操作していた。
「行くぞ」
しばらく下から射るような視線を翔に当てていた眉ナシが、ボソリと吐き捨てて立ち上がる。
そうして歩き去って行く後に、各々捨て台詞や未練がましい目線を残して他の中学生たちも続いて行った。
◇ ◇ ◇
小さくて品のある老婦人の邸宅(純和風のお屋敷だった!)はコンビニから歩いて十数分の場所にあった。
無事送り届け、上がってお茶でも……という誘いを固辞して学校へ戻ろうと通りを見据えたとたん――
「おーーまーーえーーなああああぁぁああああぁぁっ!」
「いだだだだだ……すいませんすいませんごめんなさい」
思っていたとおり、突然『頭部鷲掴み攻撃』が始まった。
薄っすら予想できていたとはいえ、逃げることも叶わず結局はこうして怒られることになる。
幸か不幸かだんだん慣れてきたこのお仕置き(?)に、今回ばかりは「なぜ!?」と異議を唱えず、本当に申し訳ない思いで彩香はひたすら謝るという選択をした。
「なんでこう毎度毎度、喜んで面倒ごとに巻き込まれてんだよテメーはっ」
「いえ喜んでというわけではー……」
アハハハーと締まりのない困り笑いに、これ以上はないというくらいの呆れ眼とため息を向けて、ようやく翔は手を放した。
乱れた前髪とヘアバンドをすかさず整えながら、彩香もすでに歩きだしていた長身の後をよろよろとついていく。
「け、けど……せ、先輩ほんとに乱闘しちゃう気だった、んデスか? ちょっと怖かったッス」
「するわけねーだろ、こんな学校バレ半端ねえジャージ着て。ハッタリだハッタリ」
バレない服装だったらおっ始まっていたのだろうか、と想像してしまいブルリと肩を震わせる。
本人はハッタリだったと言うが、それにしては……と先ほどのやりとりに思いを馳せた。
彼らに掴みかかられてもまるで動じなかったばかりか、妙に凄みを感じさせる物言いをしていた気がする。
この人物にしては見たこともないような冷たい笑みとともに――。
「ったくよー……。俺が通らんかったらどうなってたんだよ。……しまった、しばらく黙って見てりゃよかった」
振り返りもせず、翔が独り言のようにつぶやいた。
「あ、あのぅ……」
「あ、駄目か。ばーちゃん居たしな」
ひ、ひどい……。
胸中で泣き伏して地団駄踏むが、今の自分には反論する権利はない。
現時点での上下関係にうぐぐと唸り、ジトッと背中を睨み上げるだけに留めた。
「んじゃなきゃ大声で叫ぶとか、おまえ足速えんだから速攻逃げて助け呼んでくるとか――。何かあっただろーがよ」
「ご、ごもっともで……」
「そもそもおまえみてーな鉄砲玉、ひとりで外に出るとか無理があんだろ。もっと己を知れ。正しく自己評価しろ」
「は、はひ……」
今までの復讐だろうか。ここぞとばかりに責められている気がする。
投げやりに文句を垂れ流しているようにも見える意地悪イケメンから目を逸らし、くっ、何も言えねえ……と顔をしかめた時。
「最初から誰かとぴったりくっついて走ってりゃいいんだよ。例えば侑とか侑とか侑とかな」
「え」
またも感じた違和感に、思わず立ち止まってしまう。
けれど、チャンスじゃん!とも思ってしまった。
「先輩。前から思ってたんですけど、なんでそう……えっと、沖田くん推しなんですか?」
突如巡ってきた真面目モードで話せる機会に心躍らせながらも、慎重に言葉を選ぶ。
(今日こそはその変な思い込みを正せるか? いや正さねば! 美男美女復活愛計画にまたもや邪魔な横槍を入れてくるかもしれないし!)
「いや、悪い悪い。余計なお世話だとは思ったけど、もういい加減――」
「うん、余計ですね」
「え……」
「っていうか迷惑なんですけど?」
何といっても自分はあくまで大親友のキューピッドであって、ヒロイン役希望ではない。断じてナイ。
そもそもこれっぽっちもつり合わないし、そんなこと誰が見ても明らかではないか。
――と思うのだが。
冗談ではなくこの人物の目も節穴だったのだろうか。
「え……っ」
「えっ?」
振り返ってなぜか目を丸くしていた翔が、「まさか」と言わんばかりに神妙な表情で見下ろしてきた。
「――侑のこと好きじゃねーの?」
「別に?」
「えっ!」
「えっ?!」
つられて訊き返してしまったが、なぜ翔はこんなに驚いているのだろう。
「……カッコいいだろあいつ?」
「カッコいいですね」
「好きだろ?」
「なんでそうなるんですかっ! 先輩頭の良いバカですかっ」
……調子に乗ったらまたも後頭部を鷲掴みされてしまった。
「す、すすすいません、失言でした……。ええと、見た目が良いからって好きになるとはー……」
「――」
失言はともかく。
ということは……と彩香は早々に解放された頭を抱えた。
これまで散々違う!と訴えてきた『沖田侑希ラブ説』も、やはりこの相手にはこれっぽっちも本気にされていなかった――ということになるわけで。
そう考えると、怒りとともに何やら得体の知れないモヤモヤが胸を占めてきた。
が、それをぶつけようにも目の前では――――
なぜか翔が頭を抱えてしゃがみ込んでしまっていた。




