だからって、そう来るか?(2)
振り返ると、校舎外壁に片手をついた長身の影。
「……は、早杉先輩!」
すでに制服姿で鞄を抱えた、あとは帰るだけの恰好になった早杉翔がいた。
そして。
暗くてかなり見えづらくはなっているが、その後ろにもう一人――
「沖田くん、も?」
夕闇のせいかいつもの爽やかオーラこそ感じられないが、間違いなく沖田侑希だ。
しかしまったくの無表情でこちらを見つめ佇んでいるのは、なぜなのだろうか。……それとも気のせいか。
(え、なんで? いつから二人が)
先ほどの早杉翔の第一声からしても、会話もある程度聞かれていたに違いないのだろうが。
ゆっくり歩み寄ってくる彼ら二人を、彩香は半ば呆然と見つめた。
一年女子三人に至っては声も出せずに固まっているらしい。
「すっげー。他人の容姿どうこう言えるって、よっぽど自信あるんだ? へーえ? ほーお?」
翔の感心したような少し馬鹿にしたような声に、美郷たちの肩がびくりと震えた。
現場を抑えられてしまった驚愕からか、先ほどまでの高圧的な態度はすっかり消え失せている。
「あ、あの……せ、先輩、ち、違うんです」
「あたしたち……その」
「ちょ……ちょっとぶつかっちゃって」
飄々とした翔はともかく、憧れの対象である侑希の思いのほか冷たい視線にいたたまれなくなったのか、泣きそうなか細い声が上がり、今にも崩折れそうなくらい脚も震えている。
まあ無理もない。
憧れの沖田大先輩にはできれば見られたくはない場面だったのだろう。
あまり褒められた行動ではない自覚はあるということか。
ならいいか……と、彩香の口から少しだけ複雑なため息がもれた。
「ざまあ!」という思いが少しも湧かないわけではないが、この時点で彼女たちはじゅうぶん罰を受けているようなものだ。
良い子ぶってるつもりはないが、これ以上はもういいやというのが本音だった。
というか時間的にもそろそろ本当に帰りたいのだ。
こっちはアンタたちと違って買い物して食事の支度しなきゃならないんだよ、という思いで一同に目を向ける。
怖いくらいに無言と無表情を貫く侑希と、彼を怯えるように見つめる後輩女子三人。
そんな彼女らの顔を覗き込もうとさらに近付いていく翔の姿を見渡して…………思わず唸りたくなってしまった。
(な、なんか面倒くさい状況になりそうな……。た、頼むよ)
「どれどれ。ふーん、まあ確かにそれなりに可愛いかあ。外見だけは」
「!」
ようやく少しだけ笑った、だが突き放したような翔の物言いに、体を強張らせる三人。
翔もどうしたことか、いつもの軽薄な笑みやチャラそうな雰囲気からは程遠い――――気がする。
「でーも性格ブ◯っつーのは如何なモンかなあ? なあ侑? どう思う?」
「――」
「この子たちおまえのファンらしいぞ。何か言ってやれば?」
「西野、大丈夫か? それ片付けて早く帰ろう。高瀬も探してた」
少々意地の悪い振りをさくっと躱され、ブハッと翔が噴き出した。
「うっは、すでにかける言葉もないってか。――んね? 君たちわかった? 陰でこういうことしちゃう女の子、侑希ぜってー無理だよ?」
マットを器用に折りたたみながら次の大判シートを拾いに向かっている幼馴染を親指で指し示してやる。
そして。
「――『可愛いは正義』とかさ、本気で思っちゃってる? 何してもいいって? ざーんねん。そんなワケねーから。……つーかさ」
なおいっそう声を落として――笑った。
「他人をどうこう言う前に鏡見てみ? クソ意地悪い内面ばっちり表れちゃってるよ? 恥ずかしいのどっちだろーねえ。――――あんま男ナメないほうがいいよ?」
そんな、軽口とは裏腹に低く無感情に抑えられたセリフ終わりに。
ボスッ……と聞き慣れない音が彼を襲った。
「そこまでにして貰っていいっスか?」
一瞬の空白の後。
翔の背中に拳を打ち当てたポーズのまま、彩香が憮然と吐き捨てる。
さらに別な意味で静まり返った辺りには目もくれずに、一発サンドバッグ状態の翔がゆっくりと見返った。
「……おい」
殴られた背中を押さえもせず、やや呆気にとられた表情で長身は見下ろしてくる……が。
「おまえ今、何――」
「すいません、先に謝っときます。でももういいっスよ。てかいい加減ウザいっスよ先輩」
「ちょっと待てコラ、おま……助けに入った人間に対して何――」
「頼んでないし。余計なことされてますます誤解されたらどーしてくれるんですか? あたし擦り寄ってるってありえない誤解されてるんですよ? ひどくないですか? しっかも先輩言いすぎだし。ちょっとは空気読んだらどうなんスか?」
すいませんと言うわりには流暢に物申しながら不快をあらわにしている彩香に、ちょっと待てと言わんばかりに翔が詰め寄ってきた。
「はあっ? おまえ大丈夫? 何言ってんの?」
彼にしてみれば、助けたはずの相手が感謝するでも悲しみにくれるでもなくなぜか怒っている(しかも殴られた)のが解せないのだろう。
それは理解してやらないでもないが。――――だがしかしっ。
意を決して彩香は翔を睨み付ける。
「女子に何っつーことをほざきやがりますかっ!?」
要はそこだ。
「はあああぁ!?」
「言ってイイことと悪いコトがあるっつってんの! やたらおモテになるクセにそんっなこともわかんないッスかねー?!」
「『性格ブ◯』っつったろ!」
「どっちだって同じ! ものっっっ凄いダメージなんだよ女の子にはっ!!」
突然の攻防に侑希も美郷たちも驚きを通り越して唖然としていたのだが、そんなことにはまったく気付かず当の二人はますますヒートアップしていく。
「はあああぁぁああぁっ!? おまえこそもっとあからさまにディスられてただろーが! それはいいのか!?」
「そ……っ、べ、べべ別にそれはっ本当のコトだし!? 自覚もあるからいいんですっ。自分で上手いこと処理できますんでお構いなくっっ」
「開き直ってキレてんじゃねーよ」
「開き直るしかないでしょ、この程度の容姿なんだから! 先輩みたいな空気読めないカッコいい人にはどーーーっせわかんないわよっ!」
「カッコ……――お、おまえ褒めてんのか貶してんのかどっちだーーーーーーーーー!?」
「へっ!? う……あ、うわあああああああぁぁああああああぁっ!!(ヤケ)」
思わず叫んでしまった後で激しく顔を赤らめ後悔するが――――もう遅い。
やってしまった……このクチが憎い、と一瞬だけふらつくが何とか持ちこたえた。
「って、ててていうかっ関係ないでしょ先輩は! 女子の問題に首突っ込まないでくれます!? っていうかいい加減マジで早く帰りたいんだけど! 誰が食事の支度すると思ってんですかっ!」
「おま……言ってること滅茶苦茶だぞ。まずキレる相手違うだろーがよ。その辺の自覚はこの小せぇ頭には入ってねえのか、この馬鹿!」
「痛たたたた……先に馬鹿って言ったほうが馬鹿なんですー! っつか触んないでってばこの変態っ!」
「ンだとごらあぁぁぁぁ! ガキか?!」
「痛いってー! ますます頭悪くなったらどうしてくれんのっ!?」
「はいそこの二人、じゃれるのおしまい」
すでに収拾がつかなくなりかけていた抗争を、沖田侑希が恐ろしく冷静な声で止めた。
「いいから帰ろう。翔もほら、拾って」
何やら先ほどまでよりもさらに一、二℃冷えた空気を纏っているような気がする……。
だが、声を荒げるでも手をあげるでもなく場を収めてしまうあたり、やはり「おさすが」というしかない。
なんてデキる子!どっかの変態とは違うなっ、とすっかり作り笑いの仮面が剥がれたらしい頭上の長身をじとっと見上げる。
一瞬目が合うなりがっちり鷲掴んでいた頭からようやく手を放し、誰がじゃれてんだよ……とブツクサ言いながら翔も手伝って拾い始めた。
それを見届けた後、思い出したように侑希が後輩女子たちを振り返る。
「君たちは――――いいよ、もう帰りな」
一瞬びくりと体を震わせた彼女たちだったが、続けてどんな反応をするよりも早く、
「今度またこういうことしたら、練習見に来るのもやめてもらう。いいね?」
静かだがこの上なく厳しい口調で侑希は言い放った。
何だかんだでしっかり次の機会を与えてやる懐の広さもさすがだ。
人徳の爽やかイケメン。これは誰も叶わないわー、と薄く小さく心の中で意味不明な「万歳」を唱えたくなってしまう。
暗くて表情こそ見えないものの、美郷たち三人も微かにうなずいたようだった。
――――と。
そうだ、このまま帰すわけにはいかないのだったと思い出す。
「ちょい待ったあ!」
後ろ髪を引かれるようにおずおずと歩き去ろうとした彼女たちを、彩香が一喝して引き止めた。
きっちり落とし前はつけてもらわなければならない。
今度は何ゴトだと翔が訝しみ、侑希がわずかに驚いて見守るなか、すっと数メートル先の暗がりを指差して言う。
「ごめんっ。そっちに飛んでったストップウォッチだけ拾ってってくれる?」
ついでのように、しかし明るく歯切れよく頼む彩香の声に、三人が目に見えて固まった。
やや遅れてぎこちなく踵を返し草むらに向かったのは、蹴り飛ばし犯の美郷――。
拾い上げたストップウォッチから気持ち土草を払い除けて、彼女なりに急ぎ足で戻って来つつあるように見える。
そして。
うつむいたまま彩香に手渡したかと思うと、くるりと背を向け逃げるように走り去ってしまった。
「あ、ちょ……」
(おいおい、せめてお礼くらい言わせてよ……)
驚きでしばらく見開かれていた目をようやく細め、彩香はふっと口の端を緩めた。
ちょっ……待ってよ美郷ー、と追っていく友人たちの声を聞きながら。
好きな人にあんなところを見られて……ショックだっただろう。
自分にだってそのくらいはわかる。
ショックと混乱のあまり、急に一時的に素直な後輩女子に変貌を遂げたか?
いや、でも年上に平気で突っかかってくるくらいだ。足も出たし。
そんな衝撃とは別に、もしかしたら最後の行動にはちょっとした計算も働いていたのかもしれない。
憧れの人の前だから素直な後輩を演じてみせただけかもしれないし、明日になればまたフェンス向こうから遠慮なく睨んで悪態をついてくるかもしれない。
結局のところは、どんな表情でどんな気持ちで拾ってきてくれたかなんてわからない。
けれど。
(ま……いっか)
かなりムカついたにはムカついたが――。
ふっと彩香は安堵の息をつく。
とりあえずの目的は果たせたことだし……と。
気付いたら、なんだかちょっと満足してしまっていた。




