息苦しさは(5)
体勢を変えられないので首だけで軽く振り返って仰ぎ見る。確かに彼だ。
「大丈……夫じゃねーな、おま……何っつーカッコしてんだ」
いつものクスクス笑い。
とともに、すとんと傍にしゃがみ込んでくれる。
まばらになってきたとはいえ通行人はいる。不躾な視線を遮ってくれたのかもしれない。
春先のテニスコート横でのように。
「ケガは?」
「早杉さ――な、なんで……」
転倒と着崩れのダブルパンチのせいで全然気付いていなかった。いつの間にこの人がこんなに近くまで来ていたのか。
「なんで……って、奢ってくれるっつったのに逃げやがったから」
「え……」
呆然としているうちに翔はゆったりと立ち上がり、参道の端に歩を進める。
脱げてぽつんと転がっていた下駄に気付き、救出に向かってくれたようだ。
「探してたら『コソコソ挙動不審なやつが出口に向かってった』って香川に聞いた」
探し……奢るって……こ、祭りで⁉
たこ焼きとか綿あめが欲しかったとでもいうのだろうか?
やっぱり最近なんか様子が変じゃないか?このヒト……と、下駄とともに目の前に戻ってきた長身をついガン見してしまった。
「う、いや……に、逃げたとかじゃ……(逃げたけど)。――っていうか、あれ? 瑶子さん、は?」
いいのだろうか? 一緒にいなくて。
「帰ったぞ」
「えっっ!?」
「や、正確には『すぐ帰る』つってた……のを聞いた。その後は知らんが」
知らん、って――
では……何か?
まだ瑶子がいる段であの場を離れた、と?
こんな――自分なんぞを……探してくれる、ために?
「ちょろっと顔出しに来ただけだっつってたから。車で送ってもらって。なんだ、瑶子に何か用でもあったのか?」
「……」
意外すぎてうまく頭が働かない。
にもかかわらず、鼓動のほうは謎の自己主張に励みだしていた。
問いかけに何ら反応できないでいるのを不思議そうに眺め下ろして、翔が眼前にしゃがみ込む。
ほら履け、とばかりに下駄も膝のすぐ傍に置いてくれた。
(けど、ちょろっと顔出すだけなのにわざわざあんな……派手にめかしこまなくても……)
美しく着飾った姿をよほどこのヒトに見せたかった……ということか。まあ、そうだろう。
現にとんでもなく綺麗だったし、お似合いだったけれど。
(必要ないじゃん。もともとキレイなのに。これ以上このヒトの気を引こうとしなくたって……)
はっ。
つい性格までブスなことを考えてしまった。
内側も外側も醜いなんて目も当てられないではないか。
「っつーかさ」
自己嫌悪でどんより沈み込んできたところに、やや声をひそめて翔が顔を寄せてきた。
「いい加減浴衣着ろ」
こころなしか目も泳いでいる。……ように見えなくもない。
「む、むり」
「はああぁ?」
「これ全部借り物だし、着せてもらったから……どうなってるのかわかんない。ちゃんと見てなかったっていうか……。な、直せない」
「そん……テキトーにぱっぱっと合わせて紐でぐるぐる巻きにすりゃいいんじゃねえの?」
「え、こうかな? ぱっぱ……」
「バッ――い、今ここで始めんな……!」
あたふたと焦ったように翔に止められた。
おかしい。着ろと言ったのは彼のはずだが。
「え、じゃ、ど……どう」
どうしろと言うのだろう。
道行く方々に見えないように一応盾になってくれているのではないのか。
うーん、と少しの間だけ考え込んで、翔が動いた。
「んじゃ、とりあえず」
先ほど返したカーキシャツがふわりと視界に入ったと思っ……た。――――ら。
「さすがにこの状況は俺が誤解されてしょっ引かれそうだから――」
「え……うわっ」
着崩れた上からシャツでぐるりと包まれたかと思うと、一瞬で横抱きに抱え上げられていた。
「うぎゃ……ちょ、あの……! な、なん……なっ‼」
なにごとーーー⁉
「だーって直せねえし。いつまでもここでこうしてるワケにもいかねーし」
「だ、だからって……こ、このカッコ」
ど、どどうして……何をしているのだ、この人は⁈ じゃあどこに行くというのだ! っていうかこの状況でお姫様抱っことかーーー!
マジでなにごとーー⁉ いったい何してるのこのヒト!
顔真っ赤、冷や汗だくだく、手足に謎の震えですっかりパニック状態である。
「浴衣でおんぶとかもっと無理だろ。つーか暴れると余計に開けるぞ見えるぞ? いいのか?」
「う……」
よくはない。いいわけがない。だがしかしっ。
「で、でででもあたし身長のわりに重いしその」
「つーか今さら何? こないだ熱出してぶっ倒れた時も俺が運んだっつーの」
そ、それはもう柚葉に聞いて知っているが。その節はありがとうゴザイマスだが。
百歩譲って意識のなかったあの時はそれでよしとしても、今は――今はすぐ目の前に彼の顔。
ばっちり覚醒している今この状況でいったいどんな顔をすればいいのだ⁉
危険な浴衣を押さえるので片手は塞がっている。
が、うっかり離してしまったこのもう一方の手のやり場は⁉ 目のやり場は⁉
ど、どうしたらいいんだろう?
まさかしがみつくわけにもいかず整いすぎた顔を直視もできず、テンパり具合も急上昇だ。
「で、でもでもあのっ……は、早杉さんはこういうの慣れてるかもしれないけどくっつきすぎっていうか、あの……!」
「慣れてるって何だ……。つかうるせえ。あんまガタガタ騒ぐと手ェ離すぞ」
喧しさも面倒くささも限界になってきたのか、ため息と同時に抱き抱えられた手をぱっと離され――
「え、きゃあああ!」
……たと思ったら、感じた無重力は一瞬だけだった。
落とされていなかった、とホッとしたのも束の間。
「あ……」
たちまち自らのとんでもない姿を自覚させられる。
何と恐ろしいことに、両腕をまともに翔の首にまわしてしがみついてしまっているではないか。浴衣生地を離して。
肩から背中にかけては彼がカーキシャツで包んだまま抱えてくれてるからよしとして、前は……。
目眩をおぼえながら麻痺寸前の思考をなんとか働かせて、えーと……と彩香は考える。
ずっとつきまとっていた息苦しさは消えたが、嫌な汗がどんどん湧いて出てくるような錯覚。
この状況からあらためて浴衣の端を求めて中途半端に体を離すと、あられもない姿が彼にはばっちりと見られてしまう。……ん? 見えるか?
下に薄手のキャミソールは着ているとはいえ、こんな凹凸の少ない前身ごろが見えてしまったら大変だし申し訳ない。彼にとっても絶対に迷惑以外のなにものでもないわけで。
そうだ、そもそもそんなことが目的でこんな行動に走っているわけではない。はずだ。
ではいったい何故だ……?
結局は落とす気もないのにそんな素振りをされた?
要はまたいいようにからかわれただけという事実にようやく意識が到達した。
愕然と、確かめるように翔の顔を見る。
してやったりと言わんばかりの「にんまり顔」。
このワタワタを見透かして楽しんでいたとでもいうように。
やはり、わざとだ。わかっててやっているのだ。
「うーー……!」
一気に恥ずかしさと熱がこみ上げ、下唇を噛む。
なりふり構わず超高速で片手を振り上げた。
べちんっ。




