息苦しさは(4)
にぎやかに他の部員たちからも駆け寄られ、ますます衆目を集めつつある小集団。
その中心となっているだろう美男美女を思うと、じわりと苦しさが増した。
知らず後ずさっていた下駄がジャリッと音を立てる。
彼らをあえて視界に入れないよう、うつむきがちに彩香は集団から離れた。
騒ぎ立てず、素知らぬ顔で歩き去るのが精いっぱいだった。
彼女と目は合っていない。
素早く人影に隠れたし、こちらの存在は気付かれていなかった……はず。わからないけれど。
そう願いたい。
瑶子は来ないかもと聞いた気がするが……。夜に出歩くのがどうのこうのと。
もちろん彼女の言動についてとやかく言う権利など自分にはない。ない、のだが。
「来ないんじゃなかったの……?」
ぽつりと本音がこぼれ落ちる。
でも、来てたし。
浴衣姿やっぱり艶やかだし。
当然、ぐうの音も出ないほど本当に最高に綺麗だった。
そういえば……歩み寄られて翔はどんな様子だっただろうか? 隣にいたのにそこまではわからない。瑶子から逃げるのに必死で見ていなかった。
が、関係ない。
周囲の誰もが羨望の眼差しを向ける、究極にお似合いな立ち姿の二人だったに違いないだろうから。
付き合っているわけではないと翔から聞かされていたものの、結局、居たたまれなさからつい逃げてきてしまった。
やっぱり分不相応だったのだ。こんな着慣れない綺麗な浴衣も。せっかくなんとかしようとしてくれた柚葉のメイクも心遣いも。
わかっていたくせに。
わかってはいたがますますテンションダウン。
それでも。
不思議と少しだけ胸の息苦しさはゆるやかになっている気がした。
これで一応は「何でもする」という約束は果たせたわけだし。
この後あの悪魔がしのごの言ってきたとて知るものか。
このまま帰ろう。柚葉や侑希に見つかるとまたうるさいだろうから、こっそりと……。
思い立つや否や、出口へ向かうべく顔を上げ参道を真っすぐに見据える。
「お、西野?」
大股で歩き出そうとした矢先、すれ違った通行人に振り返られた。
「来れたんだなー。よかったよかった」
「あ、ぶ、部長」
アロハシャツとハーフカーゴといういでたちの部長・香川がにこやかに見下ろしてきていた。
「なんか今日はずいぶん綺麗だなー。微妙に暗がりだし一瞬人違いかと思ったわ」
「え、うぇっ!?」
「もう帰るのか。あ、そういえば用事あるって言ってたっけ。気を付けて帰れよー? また来週なー」
「う、え、は、はい……」
またも褒められた。
金魚柄がそんなに人気だとは知らなかった。
つられて手を振り返し、半ば呆然と見送りかけてハッとする。
というか、ちょっと待て。
浴衣推奨した香川本人が普通に洋服ってどういうことだ。
ムッとして目で追うも、すでに彼の背中は遥か彼方だった。
何やらいろいろ釈然としない。
悪魔からの無茶振りとはいえ、こちらはこんなにも理不尽極まりない思いと苦しさを余儀なくされているというのに。
しかもずいぶん身軽で涼しげな格好だったな、あーまったく羨ましいコンチクショウ……と、投げやりに拍車もかかる。
マシになってきたとはいえ、依然苦しさの残る首周りと胸元が今さらながら気になってきた。
合わせと帯をいじくり倒してもう少し緩めようと必死になるあまり、石畳の継ぎ目に見事に足を取られた。
「わ、え……えっ、うわっ!」
つんのめったまま、狭い裾のせいで大きくバランスをとることも適わずついに転んでしまった。
と同時に――
はらりと解ける帯と浴衣。
冗談ではなく、ここだけ時が止まった。
(え……ええええええええええええっ!?)
ろくにバランスをとらせてくれなかったうえに脱げてしまうとは、これ如何に?
まとめ髪がもったりと崩れ、脱げた下駄の片方がなぜか遥か後方に転がっている。それほどダイナミックな転び方をしてしまったということなのだろうが……。
ご丁寧に帯下の紐(腰紐というらしい)の一本まですっかり解けてしまっていることに愕然とした。
というか、浴衣!
借り物のこの浴衣一式自体は無事なのだろうか? クリーニング行きは間違いなく確定だが、どこか破れたりとかパーツの一部が欠け落ちてしまっていないだろうか?
自らの軽い打ち身や擦り傷などはこの際どうでもいい。柚葉と着付けてくれた柚ママに心の中でひたすらに謝罪した。
踏んだり蹴ったりとはこのことか。
帯も腰紐もすっかり役割を放棄している以上、これ以上ははだけてくれるなとせめて自分の手で必死に浴衣生地を押さえる。
確かに苦しかったが――――
そこまでいじりすぎて緩めていたのか自分。すっかり着崩れてしまうほどに……。
「あんまりいじらないで。はだけるよ」と道中そういえば何度も柚葉に指摘されていた。
今さら思い出しても時すでに遅し、なのだが。
思いのほか落ち着いている自分にホッともするが、いつまでもこんな参道でこんな姿のままいられない。
道行く人がそれなりに少なくなっていて助かった。
みっともないうえにドジ踏んでさらに悲惨になっているこんな姿、誰の目にも触れないに越したことはないのだ。
とりあえずなんとか合わせを直して、よくわからないがどうにかこうにか紐で……急ごしらえでも何でも体裁を整えたい。
そのくらいはできるはず。いや、そのくらいせねば。
とは思うが、堂々と立ち上がってそれができるほど無人でもない。
これ見よがしに「やだあ」と笑い合ってカップルが通り過ぎていく。反対側からやってくるおじさんには気まずそうに目をそらされた。
(ど、どうしよう……)
今さらながら自身のおかれた状況に軽く目眩。
って、こんな格好で見知らぬ誰かに寄って来られてもそれはそれで困るのだが……。
こうなったら通行人が途切れた瞬間に立ち上がってどうにか、なんとか――
「まーた転んでやがるし」
「!」
少しだけ呆れと笑いを含んだ翔の声が、後ろから響いた。




