息苦しさは(3)
「あ、ほら彩香さん。可愛い。」
不意打ちとしか言えないタイミングで美郷に鼻先を指差された。
「でっ、えっ、ぬあっ何を藪から棒に……っ」
「そうやってもっと笑っててくださいよ。浴衣もメイクもすっごい可愛いー」
「はっ!?」
突然何を言い出すのだ、この綿菓子は!と思ったが。
「そっ、そんなバカな……。そんな顔変わっちゃってる? 原形とどめてない!? だとしたら柚葉のスキルがすごいんだよ! ちくしょう柚葉め!」
「いえ、そこまで変わっては……え。鏡見てないんですか?」
ええええ? そんなに改造されちゃってるのか!
メイクでまるで別人に!?とかいうあの現象か!
化粧落としたら元の顔なのに、そんなことして意味はあるのか?!(※彩香個人の偏見です。)
ていうかコラ、と彩香の中でつり目ぎみの何かが頭をもたげる。
以前足を引っ掛けられて「その程度のルックスでよく云々」吐き捨てられたのは忘れてないぞ、この綿菓子め、と。
……ただ事実だから反論には至らなかっただけで。
「彩香さんはがんばってくださいね? 早杉先輩のこと」
「――え?」
「実は付き合ってなかったんですよね? 篠原先輩と。なんか風の噂でそう聞きましたよ」
やっぱり。
あの話は予想どおり一年の間ではもうかなり広がっているらしい。他学年まで浸透してしまうのも時間の問題ではないだろうか。
「チャンスじゃないですか。絶対彩香さんのほうがお似合いですもん! 早杉先輩に」
「な、なっ……でっ!?」
頭の先からでも出たのか?と思えるほど素っ頓狂な声を上げてしまった。
どこをどう見ればあんなすごいヒトとお似合いだなどと言えるのだ。
というかなぜだ? なぜかやっぱり想いが駄々もれ!?
「そ、そんなワケないない! み、美郷ちゃんだってホラ、釣り合わないとかなんとか前言ってきたじゃんか。そっちの見解のほうが絶対に!確実に!現実に合ってるから……!」
って、ててていうか声大きい。
そろそろやめておいてもらわないといかん、とあわてふためいて綿菓子を取り押さえにかかる。
なぜか美郷にまで知られてるっぽいこの気持ちが、さらに誰かに聞きつけられたらどうしてくれるのだ。
「えー違いますよ。あれは……彩香さんが先輩たちと仲良すぎてちょっと悔しかった、っていうかあ……」
「やっぱそうか。西やん、センパイと良い仲だったのかー」
「!?」
聞きつけたらしい須賀圭介がさっそく嬉々として乱入してきた。
「あ、須賀どっから……いつの間に話を……い、いや。と、とにかく違う。違うからっ。そんなワケない。あんな異次元レベルですごいヒトと良い仲とかそん……そんな……畏れ多い……!」
「良い雰囲気に見えたんだよねえ」
「はああっ!?」
い、いい雰囲気って…………なに?
「次の日からテスト勉強会お邪魔しないで良かったー。気を利かせた須賀クンえらいでしょ?」
「エライです、須賀先輩!」
「でしょー? もっと言って。もっと言って。美郷っちもめっちゃ可愛いよね。付き合っちゃう?」
君らもどこか頭でも打ったのかい? 病院行くか?と若干失礼な思いつきまでしてしまうが、仰天しすぎて二人のマシンガントークに口を挟めない。
「付き合いません! 沖田先輩一筋なんで」
「がーん。またさくっとフラれたー」
「そんなことより! 須賀先輩もそう思うんだったら一肌脱いであげちゃってくださいよ! 早杉先輩をこう……なんかイイ感じにその気にさせて彩――」
「呼んだか?」
「はっ、早杉さん……!」
噂をすれば影。
お約束にも程があるだろうと言いたくなるタイミングで、背後からご本人様の声が降ってきた。
(ひーーーっ)
「早杉さ……い、いつからそこ……ど、どどどのへんから話をき、きき聞い」
「須賀に脱げとか言ってるあたり」
ギリギリセーフらしいタイミングに心底安堵する彩香をよそに、圭介の顔にやや落胆の色が浮かぶ。
「あれ、早杉センパイも洋服だー。浴衣は? 長身イケメンの浴衣ーーー?」
「あ? あんなめんどくさそうなモン着れるか」
謎に残念さを醸し出している圭介に本当に面倒くさそうな視線を向けている翔は、黒っぽいカーゴパンツに重ね着風のシャツと確かにラフな装いだ。
「あ……あっ、あそこでりんご飴売ってますよ、須賀先輩。食べましょ」
「えっ、美郷っちの奢り?」
「まさか。先輩の奢りです。ささ、行きましょう行きましょう!」
あからさまに、気を利かせた感たっぷりに美郷が圭介を引っ張っていく。
一気に真空と化したような二人きり空間にめまいがした。
(ちょ……コラ。何をしてくれちゃってんの綿菓子ー!)
「おー、いいじゃん。浴衣」
冷や汗だらだらで百面相する彩香をあらためて見下ろし、翔が口元をほころばせる。
「あ……ありがとう、ございま――ハッ。あ、ありがとうだぜ!」
「ぐふっ」
また笑われた。が、落ち着け。
この実は笑い上戸だったらしいイケメンは浴衣を褒めたのだ。きっと。
借り物のこの金魚柄がおそらく彼の服装の好みにジャストミートしたのだ。
あるいはそもそも金魚好きなひとだったのだ。たぶん。絶対。それだけだ。
「あ、そだ。早杉さんこれ……」
服装と言えば、と思い出してガサゴソと手提げ型紙袋をまさぐって、カーキ色シャツを半分だけ覗かせる。
店名入りポリ袋に収められたそれを見せれば、しっかりクリーニングに出したという証拠にはなるだろう。
「荷物になっちゃってごめんなさいだけど、お返……返ししな……か、返さなきゃって。学校ではその……受け取りづらいかな、って……」
そう、瑶子の目もあるし。
他のひとたちに見られて何か変な勘ぐりをされても困るだろうし。それを言うならここでも同じか……。
にわかにハッとして周囲をさりげなく警戒しつつ、ササッと紙袋ごと翔に手渡す。
「気にしねえでいいのに。わざわざありがとな。けど何をそんなにビビッてんだ」
「び、ビビッて……は」
――いるか。確かに篠原瑶子が一番恐ろしい。
首を傾げつつ呆れたように翔は笑うが、あなたを想うイトコさんはマジで怖いんですよ、単なるモブの一人も許さないらしいッスよ、と声を大にして言ってやりたい。
この場にいなくともここまで影響力を及ぼしてくるなんて、さすがとしか言いようがない。さすが超絶美女。さすが女帝。
それにしても……やっぱりそうとうビビってるように見えるのか。
そういえば以前、グラウンド脇で塚本にも言われたな、と緩やかに記憶がよみがえりかける。
――と。
前方でざわりと人垣が沸き立った。
何だろう?と翔と一瞬顔を見合わせ、一歩踏み出そうとした、その時。
「瑶子センパイ、おさすが! ゴージャス! ビューティフル! 最高!」
元気いっぱいの圭介の歓声とともに視界に入り込んできた煌びやかな人物に、苦しさを通り越して息が止まりそうになる。
「――――」
「あ。翔」
探し当てた喜びで満面の笑みをのせ、当然のように歩み寄ってくるのは……。
「瑶子」
黒地に蝶と大輪の牡丹柄。そんな浴衣に揃いの豪華な髪飾りをつけた篠原瑶子。
美しく艶やかに着飾った、今一番会いたくない女性だった。