悪魔再び(2)
篠原瑶子が祭り不参加――?
「え、な……なんで」
大好きなヒトと浴衣デートできるチャンスなのに?
というか親戚で家も近いとなると小さいころからそういうシーンなんて山ほどあったか。
そしてこれから先も数多くそういった機会が約束されているようなものだ。今回を逃してもたいした痛手でもないといったところだろうか。
「なんか夜はあんまり出歩きたくないみたい? よくわからないけど」
「そ、そうなんだ……」
それほど興味もないといった体で肩をすくめ、ねねね?チャンスでしょ、ほらっ!と小声ではしゃぎだす柚葉。
そんな親友をげんなり眺めつつ彩香は数日前に思いを馳せる。
実は、早杉翔とのミーティングルーム課外授業二日目以降。
彼を追ってまたもや乱入してくるかと警戒していた瑶子は、どうしたことかまったく姿を現さなかった。
気は散るし恐いしで散々だった初日を思えば助かるには助かったが……。
イヤだ恐い。絶対絶対また睨まれる。そして謎なアピールと牽制をされるに違いない!
と恐れおののいていたため、結果的には盛大な肩透かしを食らった……ということになる。
それに加えて――今回の件、だ。
(お祭り、浴衣、ときたらジャンジャン着飾りたいあちらさんサイドにとってはめっちゃチャンスなんじゃないの?)
またもや意外な思いにとらわれてしまったのは事実だった。
まあ、瑶子のほうがそれこそ本当に用事でもあるのかもしれない。
(どっちにしても……)
ダブル肩透かしで幾分ホッとしたようなため息がもれてしまったものの、とうてい晴れたとはいえない気分。
――――よりによって、お祭りとか……。
心の奥底にしまい込んだ、苦く淡い記憶。
どこか遠くでそれがよみがえりかけるような……胸内がざわつくような感覚に、知らず下唇を噛んでいた。
「ってことで浴衣。今度こそちゃんと覚えるからさ。今年は一緒にうちのお母さんに着付けてもらおう? 絶対似合うって! ねっ?ねっ?」
小首を傾げて可愛く無邪気に誘いをかけてくる柚葉。
そうだ。まだ全然危機を脱していないのだった。
「あ……いや、悪いんだけど」
「とりあえず百合の花と可愛い金魚の柄、どっちがいい? あ。朝顔もあるよ? ちょっと丈が心配なんだけど彩香だったらギリギリ大丈夫そう」
あらためて断りを入れようとするも、何やら上機嫌になった柚葉はまるで聞く耳を持ってくれない。
が。
何がなんでもここはあきらめさせねば。
浴衣姿でお祭りなど、本当に冗談ではない。
「いや……でもあたしは、あの……だから、そう! よ、用事がっ」
「彩香、うそ下手」
「?!」
部長と違って見破るのか、さすが親友!
「だよなあ。あんなしどろもどろなのに騙されるの香川部長くらいだと思うぞ」
「……っ」
……と、さすがその彼氏。
「どしたの? お祭り嫌い? そういえば一緒に行ったことないよね? いつも断ってばかりで」
「そっかあ、西野はお祝いしてくれないのかあ。悲しいなああ」
どうしてこうまともに聞いてくれないのだろう、このカップルは……と項垂れかけたが。
はっ、そうだった。主旨は祝勝会。
せめて友としての誠意は示さねば、とたちまち我に返る。
「そんなこと……。そ、そだ。別件で何かちゃんとお祝いするよ! 沖田くん何か欲しいものとか」
「西野こないだ『何でもする』って、言ったよね?」
不意打ちともいえるタイミングで真顔の侑希に遮られた。
「!?」
た、確かに言った。
本当に体は大丈夫か確かめてもらうために。なんとしてでも病院に行ってもらうために。
だが、だが……まだ引っ張るのか? それ。
「言ったよね?」
何やら黒い笑みにやたらと迫力を乗せて、一歩また一歩とにじり寄ってくる侑希。
「ぐ……っ」
「じゃ、そういうことで。土曜楽しみだなあ。誰かさんきっと悩殺されちゃうなあああ」
「彩香ぜっっったい可愛いって。騙されたと思って着てみてよ! じゃあね、また後でね~」
「あ……あ、悪魔ーーーーーー!!」
ぷるぷると拳を震わせながら二人の背中に向かっておもいきり悪態をつくも。
足どり軽やかに、それはそれは愉しげにそれぞれ練習、作業に向かう彼らにとっては「どこ吹く風」状態。
なぜだ……。
どうしてこうなった。
「何ヘタり込んでんだ?」
押し切られてがくりと項垂れている背後から軽く声が浴びせられた。
「いやあの……親友カップルが悪魔すぎて」
「ん?」
何気なく本音をこぼしてしまってからハッとする。
「うおっ、は……早杉さん!」
遅れてきた早杉翔が制服姿のままキョトンと見下ろしてきていた。
肩には陸部バッグなど一式。
部室へと向かう途中でグラウンド入口にヘタり込んだこの姿を目に留め、わざわざ声掛けに寄ってくれたといったところだろうか。
「お、おつとめご苦労さまですっ」
「言い方……」
結局、瑶子ばかりではなく数学弱者の同志、須賀圭介もあの初日以来放り込まれてこなかったため、実に五日ぶりの二人きり空間である。(広大なグラウンドの一画ではあるが)
にわかに謎の緊張と嬉しさが走り、ふやけた微妙な顔を隠すべく勢いよく頭を下げる。
「ところで今日の数学はどうだったよ?」
「あ……あー、えっと……とりあえず」
「とりあえず?」
「答案用紙埋めるだけ埋めたけど出来てる気がしません、あははははー……」
「やっぱりか」
「ご、ごめんなさいいいいい。せっかく貴重な時間をつかって教えてくれたのにー。本当に本当に本当に心の底から申し訳なくーーー」
この場で土下座しても足りないくらいだ。
こんなに覚えの悪い人間もそうそう居ないのではなかろうか。
それなのに怒ることも呆れて匙を投げることもせず(紙ぺしはあったが)、もう何と言うか本当に……この相手には文字どおり頭が上がらない。
しかも気のせいでなければ、二日目以降なぜか「教え方悪くてごめん」オーラがそこはかとなく漂っていたが――あれは何だったのだろうか。
「とんでもない! 何もかもパーの自分が悪いだけ!」と豪語しておいたが、はたして納得はしてくれただろうか……?
「んじゃ、もし赤点回避できてたら何か奢れ」
「え……」
口調こそ冗談めかしてはいるが自然に穏やかに細められた目にドキリとした。
「冗談。あ……っとこういう冗談がまずいんだったか。むしろ奢るわ。世話になりまくった礼、まだ返しきれてねーし」
「えっっ!?」
なぜかイケメン、バツが悪そうに目を泳がせて前髪をかきむしっているが、とんでもない!
返しきれてない……どころか諸々のお詫びも込めて何かしなければならないのは、どう考えてもこちらだ。
「いえいえ逆です! むしろどう見ても迷惑かけまくってるあたしのほうが……おっ、奢らせてくださいっ!」
「敬語」
「はっ。お……奢、るぜっ!!」
「ぶはっ」
何かウケたようだ。
とりあえず熱意が伝わったのならまあ、それでいい。
忙しいはずの受験生にとんでもなく迷惑と手間をかけてしまっていたのは事実だし、喜んで奢らせていただく。
ツボにはまったのか未だに腹を抱えて笑っているこのヒトには、倍返しでお礼しても足りないほど本当にお世話にもなってきたし。
「で、でもあの……赤点回避どころか、つ、追試になった、ら?」
倍で奢り確定、以外の選択肢はない気がするが。
「また特訓してやるよ」
目尻を拭いながらニマッと笑ってくれた。
「――」
「あ……や。もちろんおまえが嫌じゃなきゃ、の話な?」
「あ、ぜ……っ、全然っ。イヤじゃないイヤじゃない」
全然迷惑とも思わないのだろうか、このヒトは?
面倒ごとには極力関わり合いになりたくない、のでは?
(……どうしてこんなに優しいんだろう?)
もともとの人柄に「どうして」も何もない、が。
嬉しいのか悲しいのか申し訳ないのか。
どんな顔をしたらいいのかわからなくなってしまった。
「ところで、おまえさ……」
「はい?」
何かを言いかけ、中途半端に上げた人差し指を宙に取り残したまま、にわかに固まる翔。
なぜかそのまま頼りなく目線と指を彷徨わせていたかと思うと。
「や。……何でもねえ」
あれ?と言わんばかりに首を傾げ、げしげしと盛大に後頭部を掻き乱しながら歩き去っていく。
「?」
晴れ渡った夏空を背に。
どこか様子のおかしい長身イケメンを眺めながら、彩香はぱちくりとまばたきを繰り返した。