悪魔再び(1)
「きょ、今日からマネージャー見習いをさせていただくことになりました、一年、真行内美郷です。よ、よろしくお願いしますっ」
「どうもー! ホントは四月に転入してきてたけど引っ越し作業中にポッキリ脚折ってずっと入院してた2-Fの須賀圭介と申しますー。足りない身長分は元気さでカバー! 友達にはめっちゃ飢えてたので皆さまどうぞよしなに! ちなみに好きなタイプはですね――」
「わかったわかった。ほら、どけ」
魔の期間(期末テスト)が終わってようやく部活動解禁となった本日、水曜日の第二グラウンド。
陸上部の練習前ミーティングは新入部員ニ名の自己紹介から始まった。
「ええええ、熊センセー。あと一分喋らせてー」
「今日は通常どおり共通基礎訓練の日だが、試験明けということもあって――」
にぎやかさに拍車がかかっている圭介をしっしっと脇へ押しやり、関口顧問が本日の練習メニューについて語り出す。
すぐ隣には三年香川、森の両部長が控え、サイドには彼らと部員一同を見守る形で正規マネージャーの瑶子と柚葉が佇んでいる。
意外にもわずかに緊張しているらしい美郷とそれを落ち着いた雰囲気で眺める柚葉を見比べて、彩香はこっそりと安堵の息をついた。
というのも、一触即発の空気には絶対ならないという確証がなかったため。
一応、気にしてはいたのだ。
そもそもなぜあの美郷が今ここにいるのかというと――
「一年マネ枠に彼女はどうか」と、なんと柚葉のほうから提案してきてくれたからだったりする。
そりゃあ確かにここのところの応援風景には何も問題はないし、あの中坊とのいざこざ以来、野外走も取りやめて練習形態もすっかり元どおりになってはいる、が。
起用に至って先輩方や顧問が難色を示さないだろうか?
それに柚葉自体、大丈夫なのだろうか? 自分の彼氏に想いを寄せるコがそばをウロウロしても。
不安になったりしないのだろうか?
当然いくつかのそんな心配が湧き起こらないはずはなく。
率直に訊ねると、
――「そりゃ手放しでウェルカムって気はしないけど……でも侑くん信じてるし」
ぽっと顔を赤らめて、そう微笑んでいた。
――「それにね、彩香に懐いてるじゃない? あのコ。瑶子先輩がまだいるなかで、味方になってくれそうだから」
そんなむちゃくちゃ嬉しい親友の心遣いを無にしないためにもダメ元で声をかけてみたら、なんと美郷のほうも二つ返事で引き受けてくれたのだ。
一応……あのカップルが近くにいても平気か、と歯切れ悪く訊ねてもみたのだが、
――「もちろんまだ超ショックですけど……。けど結婚しちゃったワケじゃないし、まだチャンスはありますよね?」
殊勝にうつむいていた顔が次第に挑戦的な笑みに変わってゆくさまを見るのはなんだか怖かった。(可愛いけど)
そしてそれを伝えた時の柚葉の眼光もなかなかに鋭かった。
「受けて立つ」とじわじわ口の端を上げて笑った美しい能面般若が忘れられない……。
そんなわけでとにかくまあ、双方には心の底から感謝なのである。
結局他に一年希望者はなく顧問や部員たちからも特に異論も出なかったため、仕事に慣れてくれて順調にいけばこのまま美郷が正規マネとして収まるのだろう。
「というワケで今日もケガなくはりきって行こう!」
緩やかな回想にふけっている間に関口の注意事項もろもろが終わったようだ。
ハッとして彩香は背筋を正す。
「すいません先生、ちょっといいですか?」
各自ウォーミングアップに入る旨の号令を待たずして、三年部長香川がひらりと手をあげて中央に進み出た。
「期末試験が終わって新しい顔ぶれにもなったことだし、先月から先延ばしになっていた沖田の祝勝会と三年引退組お疲れさま会を執り行おうかって話が出てるんですけど。今週の土曜に」
「ああ、そうだなあ。月末になるとインハイ始まって主役がいなくなるしなあ」
比較的のんびりした関口の言葉とうなずきを皮切りに、ああそういえばまだだったね、などと明るく楽し気なざわめきがあちらこちらで起こる。
(土曜?)
週末に何かするとは珍しいなと一瞬首を傾げかけたものの、もともと普通に部活はあるし翌日が休みだしで丁度よかったのだろう。
そもそも自分の引き起こしたゴタゴタと入院のせいで延期になっていたのだ。何の文句も出ようはずがない。
ここまで遅らせたことを心の声で謝りつつ沖田侑希から香川部長へと視線を戻す。
――と。
「ちょうどその日、近くの神社で夏祭りがあるから。練習終わった後に息抜きも兼ねて夜みんなで集まろうか、ってことなんだが。いいかな、みんな?」
(――!?)
なんと、その耳に何気なく聞き流すことのできない情報が飛び込んできた。
「お祭りですか! じゃ浴衣着用とかどうでしょう?」
「おー新マネ。ナイス! ってことで強制ではないができれば浴衣で。いいですよね、先生?」
「まあ、そういうことならおまえたちだけで楽しんでこい。ただし、くれぐれも危険のないようになー。いつでもどんな服装でも学校名しょってる自覚は持てよー」
たいして興味もなさそうな関口の言葉で、その話はいったん締めくくられた。
「ぶ、部長……。あの……」
楽し気な雰囲気に包まれたままストレッチに向かう者、走り込みに向かう者、と部員たちがばらけ始めるなか、よろりらと彩香が香川の元に詰め寄る。
「……それって、あの、土曜の……。自由参加ってことで、いい……です、よ……ね?」
出席が必須なわけでもない、単なる部活の息抜き的なイベントらしいし。
「ん? なんだ用事でもあるのか?」
「そ、そうっ……! よ、用事がっ! あるので!!」
「そうか、ならしょうがないが……。西野の退院おめでとう会と新部長就任おめでとう会も兼ねてたのになあ。残念」
「す、すいませんっ」
そんな夏祭りなんかにどんだけ兼ねる気だったんだろうこのヒト……という心の声に蓋をして、朗らかに走り去る香川を見送る。
引きつった笑顔でひとまず胸をなでおろした彩香の背後に、どこか清涼で不穏な(?)空気が漂ってきた。
「え、なに? まさか行かないとか言わないよね、西野?」
「げっ、お……沖田くん!」
いつから後ろにいたのだろう?
そしてなんて耳ざといのだ。
このジト目からすると……すべて聞かれてしまったのだろうか。
「いや、あの、用」
「チャンスだよほら、可愛い浴衣姿で誰かさんを悩殺しないと」
「悩……!? なっななな何言って……!?」
なぜかいつの間にかこの気持ちがバレていたようだし、「誰かさん」が誰のことを指しているのか訊き返すまでもない。
あわてふためいたりごまかしたりすればするほどドツボにはまりそうな気もするし。
だが、それと祭り不参加という強固な意志とは別問題だ。
「そ、その日はちょっと……用事があって。そ、そもそもホラあたし浴衣なんて持ってないし」
というか、そうだ。
それ以前にみっともない姿など人前にさらすべきではないではないか。
みんなの幸せと平和のためにも、この欠席は必ず、絶対、何が何でも確固たるものにしなければならない。
「大丈夫。あたしの貸したげる」
こちらもどこらへんから聞いていたのか、にゅっと横から乱入してきた親友。
「ゆ、柚葉……」
しかもなぜだろう。いつも以上に笑顔満開だ。
そんなに浴衣が嬉しいのだろうか、だったら着たいヒトだけ着てればいいじゃん……とげんなり不審げに藪睨みしていると。
「それにね、ホントにホントにチャンスだと思うの彩香」
「な、なに」
聞いて聞いて明るいニュース、とばかりにこっそり柚葉が耳打ちしてきた。
「瑶子先輩、『行かないかも』って言ってたよ?」
(え……)