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陽だまりにて待つ!  作者:
第5章 Trèsor――追憶のはざまで――
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Trèsor――Ⅲ(8)




 いったん家に帰って、心配していた親に潔く無断外泊を謝る。

 小一時間ほどこってり絞られて再び家を出た頃には、もうだいぶ昼近くにまでなっていた。


 どうしたもんかな……と歩きながら翔はため息をつく。


 ケンジに正直に打ち明けて詫びるべきか、いずみのためを思ってだんまりを決めるか。

 昨夜のことをどうするか、歩きながらも電車の中でも――なんなら両親のお小言を聞いている段から――実は考えあぐねていた。

 どうするのが正解なのだろう? 自分はどうしたい?


(下手に隠すくらいなら正直に話してボコられる……か?)


 だが、いずみは? 

 朝食時の話は結局あのままうやむやになり、彼女の家を後にする際も特に――あえて、というべきか――昨夜のことには触れなかった。

 ガラの悪い二人組に絡まれた時のように口止めをされることもなく……。   

 でもだからと言って、もし自分一人が勝手なこと(カミングアウト)をして彼女が窮地に立たされるようなことになったら?


 それを思うとなかなか結論が出ない。


 いっそ今日はケンジに会わないほうがいいのだろうか?

 いやいや、昨日の今日で顔を出さないとか……何かあったとあやしんでくれ、と言っているようなものではないのか?

 考えすぎだろうか?

 もともと毎日来店しているわけではないし、今日だって別にこのまま回れ右して帰っても――――


(いや、いやいや待てよ、でもタイミング的になあ……)


 決心がつかないまま、気付けば【Trèsor】のすぐ近くまで来てしまっていた。


 というか、そもそも……と翔はやけに長いため息をつく。   

 今日にしろ明日以降にしろ、どんな顔をしてケンジに会えばいいのだろうか。

 流されたとはいえあんなことをしてしまった自分は、何でもない顔をして彼の前に出ていけるのか。


(まあ……今さらジタバタしたってしゃーねえか。なるようになれ、だ)


 バレたらおとなしく鉄拳を食らおう、という覚悟で店の敷地内に到着する。

 と――。


 いつもの気のいいライダーたちが、並べた単車のすぐ横にたむろしていた。

 スーツ兄さん(今日はラフにトレーナーとジーパンだが)がいち早く気付いて、たばこを持ったその手をひらりと上げる。


「おー、坊主」

「どもっス」


 なんでこんな所で一服……? 店の中に入ればいいものを、と思いながら彼らのいるドア付近まで歩み寄る。


「せっかくの日曜だってのに他に行くとこないのかあ? 青少年は」

「淋しいねえ、若者よ」

「ほうーら、彼女作っておかないからー」


 ええまあ……と適当に濁しながら、あなた方に言われたくないっスよ、と心の声で反論。


「少年、少年。今日は休みっぽいぞ」


 普通に店のドアに手をかけようとしたところ、川っちが指差し付きで教えてくれた。


「え……」


 彼の言うとおり、確かにドアはしっかり施錠されていた。

 が、あらためて手元を見ると、プラスチックのドアプレートはしっかり「OPEN」を示している。

 営業するのかしないのか、どっちだ?


「珍しいよなあ。普通に開いてると思って俺らも来たのによお」

「うう、腹減ったあ」


 臨時休業?

 店の定休日については、そういえば何も情報を得ていなかったが。(いつ来ても開いていたから)

 それにしたってプレートの掛け替えはするはず。


「ちょっと買い出し、とかじゃないんスか?」


「二人で?」

「閉めてまで、か?」

「今までそんなことなかったよなあ?」


 今日は連絡を入れて休む、と朝ぎこちない笑みを浮かべていずみは言っていた。

 それを従業員でもないライダーたちが知らないのも無理はないが、ケンジが一人出勤で切り盛りとなったら一時的に店を閉めて買い出しというのもアリ、なのではないだろうか。

 プレートをひっくり返すことを忘れて、というのは確かに珍しいが。


「うーん…………うん、やっぱ休みだ休み! きっと!」

「そだなー」

「急にどっと疲れが出たんでない? 人間だーものー」

「そういやケンジ、昨日なーんかおかしかったしなあ」


 おかしい――――いずみのケガで尋常ではない心配の仕方をしていた、あの件だろうか?

 長い付き合いである仲間内から見ても、やはりあれは普通ではなかったということか。


「ほれ、いずみさんも手ぇ切ってたし。無理させないように気を遣わせないように、この際自分も休んじゃおう!みたいな?」

「ひゅー! 出た、優男!」

「カノジョのために閉店かよ! なんだそりゃあ! ちくしょう羨ましいぜえ!」

「俺っちの春はどこ!?」


 今日は待っても無駄、という結論に至ったらしい。

 各々心配して納得して叫んで、ついでに翔にも別れを告げ、ライダーたちはたて続けに豪快に走り去っていく。

 ありがたいことにスーツ兄さんが「別の飯屋いくけどおまえも来るか?」と訊いてくれたが、行くところがあるからとやんわり断った。







 駅近とはいえ比較的静かな通りに面した古い六階建ビル。

 すでに何度か訪れているその建物に、翔はひとり足を踏み入れていた。

 小刻みな振動を伴って上昇を始めた古いエレベーターが、ガコンという音を立てて三階到着を知らせる。

 扉が開くと、日曜の昼日中ということもあってか、明るく開けた空間にはいつも以上に雑多な音や人の気配が充満していた。


 ガラス扉を押し開けると、ちょうど受付近辺からそれほど背の高くない見知った男が歩いてくるのが見えた。

 このボクシングジムのロゴ入りTシャツを着た茶髪のトレーナー、ヤスヒロだ。

 向こうも翔に気付いたらしく、ちょっと待ってろと言わんばかりに一瞬ひらりと手をあげ、隣を歩く若い男性に何やら話しかけていた。

 帰る練習生を見送りに、と出てきたようだった。


「よう。一人で打ちに来たのか? それとも、そろそろ正式入会する?」


 男性を見送って振り返るなり、ヤスヒロがにかっと笑って営業開始する。


「あ……えーと」


 もしかしてケンジがいたりしないか、と思って来てみたのだ。

 それほど彼について熟知しているわけではないが、あそこにいないのならばもしかして、と。


 心なしかそわそわして視線を泳がせ始める翔に気付いて、ああ、とヤスヒロは微妙な表情で笑った。


「ケンジに用か」

「いるんスか!?」


 やっぱり、とは思いながらもつい声を張ってしまった。


 けど集客を見込めるせっかくの日曜に――? わざわざ店を閉めて?


「いるよ。えーと……ホレ」


 案内しようと、ヤスヒロが明るく雑多なジム内を先導する。

 そして指のさし示した先、設置された器具が満員になるほどにぎわっているウエイトトレーニングコーナーのさらに奥に、長身の彼はいた。


 誰かをサポートして――ではなく、自らが黒光りするサンドバッグを打ち続けている。

 背を向けていることもあって、こちらにはまったく気付く気配もないようだ。


「珍しく朝から来てたよケンジ(あいつ)。店休みにした、つって。日曜なのに」

「……」


 かなり長い時間、ずっとああしているのだろうか。


 以前手本として見せてもらった時のようなキレはなく、腕はすっかり大振りになりフットワークも軽いとは言えない。身をかがめて両膝を押さえ、肩で息をするほど疲れているようだ。

 それでもケンジはゆらりと身を起こし、再び打ち続ける。

 他の誰も視界に入っていないように、一心不乱にただ目の前のモノを気分だけで殴りつけているように――。


「もうずっとあの調子でさ……。ミットだスパーだ、って休みなく、手当たり次第に。もう俺――いや、ジム連中の誰がなに言っても全然休まねーんだ」


「――――」


 少し前、自身が発してしまった言葉を思い出していた。



   ――『なんか、自分を壊してえな……』



 幼馴染にしてしまったことを悔いて嘆いて、思わずケンジの前で発してしまった言葉。

 物騒だな、とあの時彼には目を丸くされたが。

 今はケンジこそがまるで自分自身を壊したがっているかのように見える。



おまえ、昨日は店に居た?」


 腕組みしながら共にケンジを眺めていたヤスヒロが、やや神妙な面持ちで口を開いた。


「え……あ、はい」


「あいつ何も言わないけど、何かあった?」

「……」


「いやさ昼過ぎまでは俺も居たけど。そん時はアイツ普通だったからさ。その後なんかあったんかなー?って」

 

 この人もやはり気付いているのだ。ケンジの……何やら尋常ではない様子に。

 おそらくは他のライダーたち以上に。

 さすが、と言うべきか。


 だが、片やケンジのほうはというと。

 ライダーたちの中でも一番近い存在らしいヤスヒロにさえ、何も言わずに……?

 ああしてたった一人で?


 いったい彼に何があったというのか。

 そうだ。

 昨日も何故かいずみ本人よりも彼のほうが参っているように見えて、ワケがわからなかったのだった。



「――夕方くらいだった、と思います。いずみさんがケガを」


 ため息混じりにそっと、昨日の店での出来事を伝える。

 ……と。


 がばりと腕組みを解いてヤスヒロがこちらを凝視してきた。


「!? 自分でか? どこをどう?!」


「――」


 なんだろうこの反応は? 

 今度は翔の目が一気に点になる。

 昨日のケンジの態度に重なるかのようなこのあわてようは……? 


「んで、どうした!? いずみさん! なんで! 大丈夫だったのか?」

「あ、え……と。確か、じ、ジャガイモ剥いてて……包丁で指を」


 勢いに押されてしどろもどろ続けると、ヤスヒロは見るからにホッと肩をなでおろしていた。

 いったい何だというのだろうか?


「あー……そしたら納得だわ……。ケンジ(あいつ)のあの様子」


 手のひらを額に当てて、遠くのケンジを気遣うように眺めるヤスヒロ。

 当のケンジは懸命に何かを吹っ切ろうとでもしているかのように、なおもサンドバッグを打ち続けていた。


「納得って……あの、いったい――?」


 ヤスヒロの、そのどこかやり切れないといった表情と心配げな様子に、思わず翔は口を開いていた。


 聞きたい。

 彼だけが知っている、ケンジについての何かを。

 異常なまでにいずみを心配し、自らも参っているらしいその理由ワケを。







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