Trèsor――Ⅲ(6)
(どうしてこうなった……?)
翔くんばっかり活躍してズルい!とワケのわからない理由で最終的に引っ張り込まれたのは、アミューズメントコーナーに隣接する小さなカラオケルームだった。
気が紛れて心から楽しんでいるらしい彼女に確かに自分もホッとはしたが……と翔は考える。
どうにも釈然としない心の内がそのまま貼り付けられた微妙な笑顔で、狭いステージ上のいずみを見遣った。
「翔くん、手! 止まってる!」
「は、はいぃ!」
間奏中に目ざとく見つけられ、マラカスを持った手を振り上げるだけでなく勢い余ってソファからも立ち上がってしまった。
一声で思いどおりに動く下僕を得た嬉しさからだろうか。満足そうにいずみは調子っぱずれな歌へと戻っていく。
驚いたことに、アミューズメント系初心者のこの女王様はカラオケも初めてらしい。
いったいどんなアオハル時代を送ってきたのだろうか。どこぞの高貴なご令嬢か、親が厳しい箱入り娘とか?
まあ、人それぞれだしそれは別にいいのだが。
まったく帰る気がないらしいのはどうしたものだろうか。
そろそろ真面目に頭を抱え込み始めた翔そっちのけで、ノリノリ女王様はもう立て続けに何曲も歌って踊っている。そんなに体力あったのか、と驚くほどに。
時折、曲の合間に休憩がてら「翔くんも何か歌ってよー」と上機嫌で振ってはくるが、マイクを離す気も実はないだろう、とツッコみたい。(……元より奪う気力もないが)
そうこうするうちに、およそ一時間が経過してしまっていた。
時刻はもうすぐ二十一時を指そうとしているのに、女王様のご満悦状態は持続中。
――どころか、クレープだけではさすがに膨れなかった腹をルームサービスの軽食で満たし、「久しぶりに飲んじゃおうかな!」とこちらの制止も聞かずにアルコールまで注文し出す始末である。
やや不自然なくらいのハイテンションぶりがさすがに気になってきた。
いくら楽しそうだからといってもここまで大目に見すぎてしまったか。
「い、いずみさん」
若干バツの悪さを覚えながら、上機嫌で選曲中のいずみの顔をテーブルを挟んだ向かい側からそろりと覗き込む。
「あの、そろそろ帰ったほうが……」
「まあーだ!」
思いのほか機敏に顔を上げてはくれた――――ものの。
盗られまいとガッチリ掴んで引き寄せたキラキラマイクとタブレットは、やはり離してくれそうにない。
「えーと、よ……酔ってる? よ……ね?」
気怠そうな声と目の据わりように、あれ? 確かまだサワー2杯目飲み始めたばっかりだよな……と翔は記憶をたどる。
「酔ってなぁいっ! あ、はいはい、次そえあたし! いずみ歌いましゅっ」
「…………(次どころか全曲だけど)」
明らかにろれつも回ってない返事だが 本人自覚はないのだろうか。
ステージに戻り威勢よくマイクを振り回して飛び跳ねて歌い続けているつもりなのだろうが、足元はすっかりおぼつかない状態になっている。
手のケガも心配だったがそろそろ舌を噛むのでは、と気が気でなくなってきた。
「あの……翔くんはね、あのねぇ……んー」
「?」
「翔くん優しいんらけどね……なんていうかね、えーと……そう、生意気らのよっ!」
ビシリと人差し指つきで、エコー掛かった大音量で叫ばれるほどにか。
「はあ、スイマセン」
自覚がないわけではないので、とりあえず謝っておこう。
「そういうとこよ! 何よ大人ぶっちゃって! あたしのほうがうーんと子どもみたいじゃらいのっっ」
「ええぇー…………」
ダメだこれは。
酔っぱらいには楯突くまい。言わせておこう、と半笑いとあきらめの境地で冷めたポテトフライをもそもそと口に放り込み、ウーロン茶で飲み下す。
しかし、まさかここまで酒に弱いとは。
特に何か予想していたわけでも前情報があったわけでもないが、普通に素直に驚きである。
「翔くん、手!」
「…………ハイ」
酔っ払い女王様のご所望どおり、(面倒くさいので)まとめて引っ掴んだレインボーカラーのマラカスとタンバリンをのろのろと振り上げ、(てきとーに)揺する。
明日いずみさん記憶あるのかな……?
待てよこれってぜってー俺がケンジに怒られるやつだよなあ……と、これまたすっかりあきらめの境地で引きつり笑いを浮かべながら。
満足いくまで絡ませて笑わせて食べさせて(さすがにこれ以上のアルコール摂取は止めた。血流がヤバい)さらにおよそ一時間が経過したところで、いずみがようやく帰宅の提案にうなずいてくれるようになった。
さすがにはしゃぎすぎて疲れたのだろうか。
「こ、ここ? ここでいいんスか? 合ってます? あああ、ちょ……いずみさんまだ寝ないで!」
フラフラですでに一人では歩けなくなっているいずみをおっかなびっくり支え、ようやくとある二階建アパートの前にたどり着いた。
外観だけ見ると、古くはないがいかにも単身者用といった小ぶりな造り。
体感では【Trèsor】からも先ほどのショッピングモールからもおよそ十分といったところか。
それほど遠くなかったとはいえ、実に――――――翔は疲労困憊していた。
昏倒寸前の酔っ払いが転ばないよう立ったまま寝ないよう細心の注意を払いながら、だが変に密着などしないよう(後が怖い)必要最小限の接触でもって彼女をどうにかこうにか支えてここまで来たのだ。
このとてつもない苦労を誰か労ってくれ、と声を大にして言いたい。
そして、こんな状態になる前に住所を聞き出しておいて本当に良かった、と翔は心底安堵する。
「ほら着いたよ、しっかりし……いずみさんっ」
ほとんど寝ている状態のいずみの腕を担いで、やっとのことで階段を上がって部屋の前まで帰り着く。
小柄で良かった。
「じ、じゃ俺……ここで。帰るんで。大丈夫? 足もと気を付けて入っ――――だあああ、まだ! ここで寝ないで!」
「ねーむーいいい……いじわるー」
「えええぇ、じゃ……鍵、鍵はっ? 部屋の!」
「んー……」
ヘロヘロになりながらも、いずみが自身のショルダーバッグを軽く持ち上げて見せる。
すいませんじゃあ開けまっす!疚しい気持ちはこれっぽっちもないっス!と心の声で主張してファスナーを開けると、すぐに浅めの内ポケットからキーケースは見つかった。
ホッとするのも束の間。
「開ーけーてー!」
「!?」
ガンガンガンとドアを叩く音とろれつのあやしいいずみの声。
「はーやーくー!」
「しー! しー! いずみさん近所迷惑……!」
それほどの大音量ではないにせよ今は夜だ。
(早いとこいずみさんを部屋に放り込まねば! 近隣から怒声が飛んでくる前に!)
焦りまくって探し当てた鍵でなんとかドアを開けることに成功する。
「もー……いずみさん、なんか変だよ今日」
心身ともに疲れ果て、思わず本音が出てしまった。
「え……」
半分寝てると思いきや、そこだけハッキリと聞き取れたのかゆっくりと意外そうな目を向けられた。
かと思うと、その目が見る間に潤んで――――――泣き出してしまった。
「ふぇぇ……う、ううっ」
「え、あ、あああ……ご、ごめんっ、ごめんって!」
「……ううぅ……(ケンジの)馬鹿ぁ……」
「ああ……ダメだって! こんなトコで寝たら風邪ひくって」
ぽろぽろ涙をこぼしながらもあっという間にその場にへたり込みそうになるいずみ。
あたふたとそれを制しながら、ダメだこりゃしょーがねえ俺のせいじゃねえ!と半分投げやりになって、小柄な体を部屋の中まで担ぎ上げていくはめになってしまった。
今放置したらいずみさん間違いなく玄関先で夜を明かすわ……。
そう容易に判断できたため、すいませんすいません!と誰にともなく胸中で謝りながらとりあえず狭いキッチンスペースを抜け、奥の一つしかなさそうな部屋まで運ぶ。というかほとんど引きずってしまった。
「じゃ……じゃあ俺、こ、今度こそ帰るんで」
慣れない女性の部屋というだけでソワソワしてしまう。余計なボロを出す前にさっさと退散するのが正解だろう。
なんとも情けないが、これが青少年の現状である。
左側奥の壁際にシングルベッドがあったが、極力そちらを視界に入れないようにしながら部屋の中央にいずみを降ろして座らせようと――――した、のだが。
「――」
なぜかいずみの腕が離れない。
それどころか、それがいつの間にか首に回され正面から抱き付かれているかのような体勢になっていて……。
「あ、あの……いずみさん……俺、帰――」
「いーやあー」
「ちょ……!?」
ろれつがあやしいながらもキッパリとした返事とこの体勢に、一気に血がのぼった。
「や、ヤバいって、は……離し……! や、やっぱり酔ってるってー!」
「酔ってなぁいもー」
おそらく傍からみると滑稽なほど狼狽えてしまっていたに違いない。
いーやこの際、無様でもなんでもいい!とジタバタ逃れようとしてみるも、巻き付いた細腕は離れない。
「い、いず」
「……一人にしないで」
夕方の一件を彷彿とさせるようなか細い声。
唐突に思い付いてしまった。
そうか、もしかしたら酔いのせいで目の前の相手がケンジだと誤解しているのかもしれない。
あるいは……。
ケンジであったら、と切望しているのかも――――
「じ、じゃあいつ……ケンジ呼ぶから……! だから電話――」
お願いだから離して!?という心の悲鳴を知ってか知らずか、細い体はますます強くしがみついてくる。
「ここにいてよ」
「いずみさん……! 俺が誰だかわかってる!?」
ていうか見えてるのだろうか? この酔っぱらいは!
「帰らないで……翔くん」
「――」
あまりのことにすっかり目を見開き固まってしまった体から、するりといずみが離れる。
不安げな濡れた瞳がまっすぐに見上げてきて――
「お願い……」
ふわりと頬に触れてくる細い指とあの香り。
驚きで半開きになったまま言葉を紡げずにいる翔の口に、やわらかな唇がそっと押し付けられた。




