Trèsor――Ⅲ(5)
「ごめんね。ありがとう、付き合ってくれて」
ひとしきり泣いた後、幾分スッキリとしたような表情でいずみが顔を上げた。
涙は乾いていないし声も鼻声だが、無理やりにでも元気を取り戻そうとしているような……そんな心境が見て取れる。
「あ……い、いや」
謝られたり礼を言われるようなことは何もしていない。
それどころか、泣いている女を慰めてやることも気の利いた言葉ひとつかけてやることもできずに、本当にただそこに居ただけ、だったのだ。
どれだけ残念な存在なのだ自分は……と正直かなり凹んだ。
「なんか翔くんといると気が緩んじゃうみたいね……。情けないとこいっぱい見られちゃってるからかな?」
それでもクスクス笑いながら、いずみが続ける。
「これじゃどっちが年上だかわかんないわね? ……っと、え、もうこんな時間?」
努めて明るく振舞おうとしているのが見え見えである。
さあ仕事戻るぞお、と大げさに伸びをして立ち上がった拍子に変に力が入ってしまったらしく、傷ついた指をいたたた……と涙目で押さえにかかっていた。
(いずみさん……)
人間そんなにすぐに気分の切り替えができるものではない。時と場合によってはその必要もあるのだろうが。
ケンジ共々何やらありそうなのはわかっているし無理に元気そうにしなくても……と思うのだが。
年長者の意地(?)でもあるのだろうか。
複雑な心境で、翔ものろのろとパイプ椅子から立ち上がった。
――そのタイミングで。
外から軽いノック音が二回。
カチャリと開けられたドアからケンジが顔を覗かせた。
「終わったか? どうだ?」
手当ての進捗状況といずみのケガの具合を確かめにきたのだろう。
「あ、ああ……とりあえず血は止まった。しばらくは痛むだろうけど」
包帯の上から痛む指を押さえるいずみを横目で見ながら、手当てした者として代わりに応える。
「風呂とか仕事もちょっと気を付ければ……。まあ普通に過ごせると思う。傷が開いたりどうしても気になるようなら病院行ったほうがいいけど」
一通り説明を聞き終えたケンジが、スッといずみに視線を移した。
「今日はもういい。上がれ」
「え――」
(えっ?)
いずみ同様、思わず心の中で聞き返す。
「翔、時間あるなら送ってってくれねーか?」
「え……あ、時間は、ある……けど――」
今しがたの説明が上手く伝わらなかったのだろうか?
ちょっと気を付けて過ごせば大丈夫、と言ったたつもりなのだが……。
それともこんなガキの応急処置じゃ不安だとか?(それはそうだろうが)
「あ、あたし……大丈夫、だから」
そう。処置後、いずみ自身も仕事に戻る気マンマンでいたのだ。
「簡単なことくらいならできるから、ちゃんと閉店まで――」
「無理してぱっくり傷が開いたら大変だろ。いいから休め」
弱々しい懇願もピシャリと遮り、さらにはロッカーからいずみのものと思しき荷物を取り出しにかかっている。
「ケンジ……」
取り付く島もないほど一方的なケンジを、いずみと共にほとんど呆然の体で見遣る。
心配は心配だろうが、なぜここまで? という意識が拭い去れない。
こう言ってはなんだが、指の傷で何もそこまで過保護に――というか過剰に反応することはないだろうに。
心配を通り越して先ほどから彼女の目を見ようともしていないような気もする。
そう。ケガをしたいずみよりなぜか彼のほうが参っているように見えるのだ。
「何? 何? いずみさん帰んの? じゃ俺送ろっか?」
「いや、俺。俺俺俺が!」
耳聡く聞きつけたライダーたちまで、次々にドアから顔を出してきた。
「てか、ケンジ送んねーの?」
「バーカ、ケンジは店あんじゃん。だから俺様が責任もって送りますよっ」
「お任せを!」
やかましく寄せられるエスコート希望を聞いて、ああそうか……まだ店を閉めるわけにはいかないから代わりに送ってくれってことか、と今さらながら腑におちた。
が、そんなライダー仲間たち全員をスルーして、ケンジがいずみのカバンと上着を翔に手渡してきた。
「頼んだぞ」
「お、おう……」
シンプルながらやけに重さを感じさせる一言に、身の引き締まる思いがした。
◇ ◇ ◇
駅周辺はいつもそれなりににぎわっているのだが、週末だからか今夜はなおさら人出が多く感じられた。
これから帰宅や外食、デートに繰り出すのであろう家族連れやカップルの愉し気な笑い声がやけに響く。
そんな中を、決して軽いとは言えない足取りで黙々と進み行くいずみ。
もちろん心配ではあったが、特に何を言えるでもなく付き従うように翔は数歩後ろを歩いた。
「ねえ」
ふいに。
うつむいたまま前を歩いていたいずみがピタリと立ち止まったかと思うと、勢いよく振り返った。
「翔くん、ちょっと付き合ってくれる?」
「え……」
「うわあ、すっごいねー!」
数分後、駅近の大型ショッピングモール内。
その一画にあるアミューズメントコーナー――要するにゲーセンだ――のきらびやかなゲートをくぐるなり、いずみが文字どおり目を輝かせて歓喜の声をあげた。
「来てみたかったの、ココ。ひとりじゃ入る勇気なくて」
「ここ」というよりゲームセンター自体、今まで足を踏み入れたことがないのだという。
初めて目の当たりにするらしいカラフルで多種多様なゲームマシンの隙間を、興奮気味にキョロキョロ見回しながら進んでいく。
幼い子どものようなはしゃぎぶりを見て、思わず笑みがもれていた。
「あ。あれはなんか知ってる!」
指差したのは、画面の前に大きめの太鼓がくっついたあの機種。
「やってみたい、けど……この指じゃ無理かなあ?」
「と思う」
左手親指の包帯を悲しそうに見るいずみに、一も二もなく同意する。
そんな、まともに両手を使わざるを得ないものを勧められるワケがない。
「じゃそっちのは? 隣の。それか……あっ、あっち! これならいけそうじゃない?」
嬉々として駆け寄っていったのは、モニター前に複数のカラフルなボタンが配置され片側はレバーになっているゲーム機。
隣のキューブ型やらピアノ型のマシンといい反対側の洗濯機型のアレといい、なかなか音ゲー機種が豊富な店のようだ。
「んー……でも」
確かに太鼓のバチよりは負担は少ないかもしれないが、だがしかし――
「いくよ? やっちゃうよ? やり方わかんないけど。同じ色を押せばいいのかな? えいっ」
「えっっ!」
考えているうちに、何たることかスタートさせてしまっていた。
初めてなのに何だこの勢いは……と思わず唖然とする。
「うわ……なになになに早い! え、あっ、待って待って……! きゃー」
いつ傷が開いて出血するか気が気でないこちらにはお構いなしに、たどたどしいながらもいずみが懸命にボタンとレバーを操作していく。
「あははは、全然ヘタ。でも楽しいー!」
スコアはガタガタだったが、屈託のない笑顔。
そんな全開の笑顔で見上げられ、わずかばかり心臓が跳ねた。
「けど上手いひとのも見たいな。翔くんもやってみて?」
「え……えっ、俺別に上手く……」
「いいからいいから。ほら、いくよ!」
「え、ちょ……っ」
突如強制的にコインを投入され始められた一戦は、横から驚きと歓喜の声援を浴びせられたわりには彼女よりほんの少し上のランクを獲得、というなんとも微妙な結果に終わった。
が、元より特別上手いわけでもなかったため、思わず本気でホッとしてしまう。
一応無傷な者としての体面は保てたという謎の安心感に襲われていると、いずみの興味はすでに次に移っていた。
「あっ、あれもやってみたい」
振り向いて指差していたのは、グロテスクなペインティングが施された大型ガンシューティング機。
ゾンビシューティングゲームだ。
使用するのは彼女にとっては見るからに重く扱いづらそうな銃型のコントローラー。
「あれもやめといたほうが。さすがに傷が……」
「え? しょうがないなあ、じゃ翔くんがやろう?」
「えぇ……?(なぜ?)」
……またもや反応し終える前にゲームが起動させられている始末である。
その後も、少しでもいずみの興味をひいたものがあればそちらへ向かい、やりたいとはしゃぐ彼女を何とか抑えつつ時には逆に無理やりやらされ、気付けば店内大半の機種を制覇していた。(スコアは別)
――これも面白そう! でもわかんない! どうやるの?
――ちょっとお腹すいたよね、あ、クレープ売ってる! 翔くん食べよう!
――向こうのレーシングゲームも見てみたい! ほらやってやってやって!
――あっUFOキャッチャーだ。
――プリクラ! 可愛いー! 撮ろう撮ろう!
思いのままにあちこち連れ回され、無駄に挑戦させられ、さすがに少々疲れてきた。
「はい、これ翔くんの分」と渡されたプリクラ――ネズミか何かの耳が盛り盛りで落書きされた、まつ毛ビシバシのきらきら眼な自分たちが写っている――を見た時には、一瞬気が遠くなった。
(何をやってるんだ俺は……)
「翔くん早く早くー! 次これやろう?」
(……けど)
少なからず無理をしているような気配はあるが、それでも。
今日一日思い詰めたような不安そうな表情を多く見せていた彼女が、きゃらきゃら笑って心の底からおもいきり楽しんでいる様を見ているうちに、ほんの少しのため息とともに自然な笑みがこぼれていた。
(まあ、いいか……)




