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陽だまりにて待つ!  作者:
第5章 Trèsor――追憶のはざまで――
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Trèsor――Ⅲ(4)






 ――『ちゃんと心配して待ってる人たちがいる。だろ?』



 先日のケンジの言葉を反芻しながら、翔は手元からやわらかく立ち上る湯気を見つめた。


 いつものカウンター席。

 両手で覆った真っ白なカップの中で、芳醇な香りを放ちながら深みのあるチョコレートブラウンの液体が揺らめいている。


 同時に、自身の中で湧き起こりゆったりとその波紋を拡げていくのは、懐かしく心地よい……あの場所の記憶――。





  『ほうーら、おいで。二人とも』



 右の膝はいつも特等席。

 左の膝はイトコの瑶子の。

 道着姿のまま正座の上に小さな自分らを座らせて、満面の笑みで頭を撫でてくれる祖父が大好きだった。


 いつもあたたかくて。

 稽古後のその空間が居心地よくて。

 物心ついたころから毎週、多いときにはほぼ毎日というペースで重い防具を担いで道場――母親の実家――に通っていたが、まったく苦にならなかった。



  『翔も瑶子もじいちゃんの宝だ』



 そう言って笑う声も手もいつも優しくて。



 でも――


 嬉しかったはずのその言葉があの事故を境に苦痛になっていた。



 だって……自分はそんな――たいそうな人間ではない。


 子供心にそういう感情を抱いてしまったのを憶えている。 


 故意ではないとはいえ友達を――ひとを傷つけて取り返しのつかないことをしてしまった自分が、祖父の宝物であっていいはずがない。


 大事に想われる存在でいていいはずがないのだから。



(だから……)



  『大丈夫。翔は自分でしっかり前を向ける子だ。じいちゃんいつまででも待ってるからなあ』



 ――――だから……まだ会えない。



 前を向くどころか、まともに顔を上げることすらできていない気がする。

 当たり前だ。

 まだ幼馴染()に対して何も……何の罪滅ぼしもできていないのだから。



(――『まだ』? なら、いつになったら俺は……)



 現状を――何かを変えようともしてないくせに「まだ」などと……。


 自分のツッコミながら聞いてあきれる。

 わかっている。

 何の目標も希望も無くただ逃げているだけなのだ、自分は。

 祖父の真っ直ぐな思いから、周囲の温かさから。

 幼馴染の気遣いからさえ。



 ――『そういう人たちに心配かけて泣かしてまでやんなきゃいけねえことなのか? このぐずぐずグダグダは』



 それもわかっている。ケンジに言われるまでもなく。

 意味がない。

 このままでいいはずがない。


 誰の期待にも願いにも未だ応えられず、ここでこうして立ち止まっている自分がこれほど情けない存在だったとは……。



(それでも……?)



 幼馴染本人はもとより家族の気遣いにさえまともに向き合うことができずに、こうして意味なく変に横道に逸れて逃げているだけの自分を――――

 そんな自分を、信じて待ってくれているなんて……。





「あ……っ」



 思考がさらに憂いの淵に沈みこみかけたタイミングで、カウンター内のいずみが小さく悲鳴をあげた。


「どうした!?」


 包丁を取り落とす音とともにわずかに前屈みになる小柄な体に、一緒に中にいたケンジがいち早く反応した。

 ハイスツールから軽く腰を浮かせて、何事かと翔も覗きこんでみる。


 どうやらジャガイモを剥いている際に、いずみが誤って親指を傷つけてしまったらしい。


「あ……だ、大丈夫。ぼうっとしちゃってて少し……切っただけ、だから」


 心配かけまいとあわてて首を横に振るいずみ。

 ぎこちないながらも笑みを作ろうとはしているが、言ってるそばから床に落ちた包丁の柄に一滴、また一滴と鮮血が滴り落ちていく。


「……少しじゃねーだろ」


 愕然と目を見開いて言うケンジの言葉に、重なるように「うわ、ざっくり」と誰かの声。

 フロア中央席にいたはずのライダーたち四人もいつの間にかカウンター前に鈴なりになっていた。


「刃物使う時は気ィつけろっつってるだろ」


 ケンジは怒りをあらわにしているわけでも決して声を荒げているわけでもない。

 ない、のだが――


「ご……ごめんなさい、ケン――」

「いい。とにかくそこ押さえろ」


 この雰囲気は何だろう。


 低く抑えられているにもかかわらず妙な迫力……というか緊迫感のある声。

 そしてどこか張りつめたような空気がこの場を重々しいものにしている。それはわかった。


「ヤス! ……はいねえのか。おまえら誰か手当て――」


 そして気付いた。

 その原因はいずみではない。

 何やら過剰なほど彼女を案じているらしいケンジのほう、だ。


「え、え、え……て、手当てっつったらやっぱりヤッちゃんだけど……!」

「今ジムだしー! うわ、血、血、血が」

「きゅきゅ救急箱! ケンジ、救急箱は? 消毒とか!」

「てか救急車じゃね!?」


 迫力はないが、あふれ出る血に恐れおののき異口同音にテンパり出す四人。



「あ。消毒ダメっす」



 下っ端は下っ端らしく(というか部外者だしただの客だし)大人に任せて成り行きを見守ろうと思っていたのだが、あまりのカオスぶりに思わず口を出してしまっていた。

 それなりに緊急事態だし、まあしょうがない。


「いずみさん、とりあえず手。心臓より上に上げとかないと」


「え、あ……あ、はい」

「んで振って。小刻みに……そう、そんな感じ」


 高校生が端からやんわりと、だが冷静にテキパキと指示を出す様を四人がポカンと見守るなか。


 同様に驚きで目を瞠っていたケンジが、ようやく我に返ったようにそっと息をついた。

 そしてゆっくりと、あらためて翔に向き直る。


「……向こうで手当、してやってくれや。出来るか?」


 親指で奥のスタッフルームを指しながら、ケンジ。

 謎の迫力と張りつめた様子はすっかり拭い去られ、わずかにホッとしたような表情が浮かんでいた。







 思ったほど傷は深くなかったらしく、十分ほどでほぼ血は止まっていた。

 向かいのパイプ椅子に座らせたいずみに、調理場から借りてきたラップを使って淡々と処置を施していく。


「……と。一応これで大丈――――あー……一応隠しとくか」


 少し思案した後、ガサゴソと簡易救急箱を漁る。

 本当はこのままでいいのだが、女性であることだしもしかしたら見た目が気になってしまうかもしれない。この後また店に戻るのならなおさらだ。


「翔くんすごい……。消毒しちゃダメなんて知らなかったよ」


 目隠しの意味で軽く包帯を巻き始めた翔の手元に視線を落としたまま、いずみが口を開いた。


「今まで普通に消毒液つけてカットバン貼って……で終わってたな」


「や……別に。状況によってはそれもアリだし……。ただ、こっちのほうが治りも早いっていうか」

「だからか。どうりでなかなか治らなかったワケね」


 合点がいったとばかりに微かに笑いをにじませて、いずみ。


 手当てという名目でこの部屋に追いやられてからこっち、ずっと無言で思い詰めたような表情だったのがやや気になっていた。

 少しでも元気が戻ってきたのなら、よかった。


「でも、本当にすごいのね、翔くん」


「応急処置だけは覚えさせられたから……。あ、親父、医者なんだ」

「そうなんだ。翔くんもお医者さんになるの?」


「…………わかんね」


 進む道を強いられているわけでも、あきらめられ放置されきっているわけでもない。

 思うようにしろ、と周りは見守ってくれているが……。

 「現在いま」さえまともに直視できずに逃げ回っている状態なのに、「未来」のことなどとうてい考えられるはずがない。



「翔くんと違って、やっぱり全然ダメだな、あたし……」



 ふいに、ぽつりといずみが口を開いた。

 翔のトーンダウンには気付いてもいないらしく、虚ろな目を包帯に落としたまま。


「え」

「またやっちゃった……。余計なことして、また無駄に心配かけて――。どうしてこうなんだろうね?」


「……」


「ホントもう……嫌になっちゃう……」


 自虐的に笑って顔を伏せようとしたとたん、手首にぽつと落ちる涙。


「!」

「あ、アレ……? どうしたんだろ……ご、ごめんね、あたし」


 自らの涙に驚き、あわてて何でもないように拭おうとはしているが、透明な雫はぽろぽろと止め処なくこぼれてくる。

 いずみもついには、無理に止めようとするのをあきらめたようだった。


 ごめん……ちょっとこのままでいさせて?と消え入りそうな涙声で告げた後、両手で顔を覆って泣き出してしまった。

 声を殺して、微かに肩を震わせて。



(いずみさん……)



 オロオロするばかりで、何も知らず何もできない自分がこのままここにいていいのだろうか。

 いたたまれず、席を外したほうがいいのか、ケンジを呼んでくるべきか、一通り迷う。


 が。

 見るなとも出ていけとも言われていないし、そっと身動きしただけで涙にぬれた不安そうな瞳で見上げられ、「も、もしかしたら……こんな自分でもいてやったほうがいいのかもしれない」と無理やり勝手な自己解釈に落ち着いた。


 小柄な体をさらに縮こまらせて泣いている彼女を今ひとりにするのも、何とも心許なく思えた、というのもある。

 ここ最近の思い詰めたようなあの表情がずっと気にかかっていた、というのが一番の理由だったのだが――。

 







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