Trèsor――Ⅲ(3)
「すげーいいヤツで、見た目もとんでもなくイイし。勉強も運動もこれでもかってくらい何やらしても完璧で……。それでいて鼻にもかけねーって言うか」
「ちょっと待て。幼馴染クンの話じゃねえのかよ? 今はテメーの自慢するとこじゃねえだろ」
「だから、そいつの話だよっ!」
手のひらをかざして真顔で制してきたケンジに、つい必要以上にうがあっ!と唸ってしまう。
どうしてどいつもこいつも同じ反応をするのだろうか?
こんな自分と完璧人間な侑希が似ている、なんてあるはずないのに。
「とにかくっ……そういう、すげえ奴なんだわ」
「ほう」
「誰からも信頼されるし、人とトラブルなんて起こしたことねーし。…………俺が怖くて出来ねーことも、難なくこなしちまったり……さ」
少しだけ記憶を遡り、痛みをじわじわとえぐり出すように声を絞り出す。
そうしたところで決して消え去ってはくれないのだが。
「……」
「おまけに、誰が何しても許しちまうような……なんか浄化剤? みてーなヤツでさ。そいつの傍にいると、こんな自分もなんだかちっとはマシになっていける気がするっていうか……」
そう言いながら、彼の傍にいるどころか他の大勢からも距離をとってしまっているこの状況はなんだ……?と漠然と思ってしまっていた。
「で、そのとんでもなく素晴らしい幼馴染くんが? どうしたって?」
なかなか進まない話運びに笑いながらため息をもらし、やんわり促すようにケンジ。
こんな長い前置きでもしっかり耳を傾けてくれていたらしい。
「俺……そいつに、すげえ悪いことしてさ」
「悪いことって?」
「……」
気にするな、おまえのせいじゃない、と彼本人に加え周囲からも同様に言い含められてきたが。
大っぴらに話せる内容ではない気がした。
それとも単にこの人物の前で自分の罪を明かしたくなかっただけ……なのだろうか。
目を伏せて口を噤んでしまった相手にため息を一つこぼし、ケンジはゆったりと腕組みした。
「――で? その罪の意識に苛まれて、こうやってグダグダになってる、と?」
「グダグダ……?」
「まあ、生産性も発展性もねーわな」
はっきり言葉にされると、不思議にもすんなり納得できた。
(けど、グダグダ止まり……――それじゃ困る。そんな程度じゃ……)
幼馴染に及ぼしてしまった影響と取り返しのつかない状況を考えると、軽すぎる。
何の罰にも報いにもなっていない。
そう思うと、にわかに焦りのようなものが湧き上がってきた。
「なんか、自分を壊してえな……」
ほとんど無意識に発してしまっていた言葉に、ケンジが目を丸くして軽く仰け反ってみせる。
「物騒だな……」
とは言うものの、壊すことなどできないことはわかりきっている。
償いとして自身を傷つけたところで意味がないし、もし本当にそれをしようものなら、それこそ――
彼にも周囲にも二度とまともに顔向けできなくなるだろうことは明らかだ。
そうではなく、そういう物理的な痛めつけ方ではなくて――
「や……。たぶん、ちゃんと責めてほしいんだ……」
罪は罪だ、と。
しょうがなかったのだ、とただ許されるのではなく……。
その思いが、もしかしたらずっと、形にならないまま胸のどこかに留まっていたのかもしれない。
「何したんだか知らねーけどよ」
虚ろな目でさらに深く沈み込みかけたところに、ケンジの声が割り込んできた。
しょーがねえなあ、と言わんばかりにため息をにじませて。
「話聞く限りじゃ、その幼馴染くんは許してるわけだろ? おまえのこと」
「……」
「だったら、いいんじゃねえ?」
いい――……わけがない。
過去を消し、大事な思い出をすべて失わせておいて。
たとえ彼が何と言おうと自分自身が許してはいけない。
「本当に出来ること全部やったのか?」
「え……」
まるで心の声を読まれているかのようなタイミングで、ケンジが問いかけてくる。
笑いも呆れも含まない落ち着いた声音で。
真っすぐな目で見据えられて。
「それでも納得いかねえってんなら、これから先、出来ることしてくしかねーだろ」
「――」
「過ぎたことはもうしゃーねえし。未来で埋め合わせしてきゃいいだろって話だ」
目を見開いて固まっていると、わかるか、こら?とグリグリ乱暴に頭を撫でられた。
「考えることさえやめなきゃ、どんなだろうと『道』は見えてくる。絶対にな」
「アンタ…………すげえかも」
「おう、存分に敬え!」
当然だろ、とばかりに今度はドヤ顔で、腕組みした上に大げさに脚まで組み直している。
ようやく顔面に愛想笑いと引きつり笑いを貼り付けられたものの、そんな彼に正直驚きを隠せずにいた。
まるで視界がひとまわり大きく開け、彩度も増したような感覚。
上手く言えないしそんな気がするだけかもしれないが、今まで何をしても何を聞いても動かなかったこの感情がじわりと熱を帯びたのは確かだ。
この人物のおかげで――
「……」
そう思うと、ふいに――というかあらためて引っ掛かりを覚える問題がひとつ。
そんなきっぱりはっきり豪快で清々しい人物が、いずみとの関係をうやむやにしているように見えるのは…………やはり気のせいなのだろうか。
「アンタはさ、思い悩んでることとか……迷ってることとか、ないワケ?」
先ほどの二人の様子を思い出しながら、つい尋ねてしまっていた。
「あるぞ」
「そこは威張られても……」
今しがたの説得力に早くもヒビが入り始めた気がする。
が、何か悩みや迷いがあるとすんなり認めたことは少しだけ意外だった。
「けど、問題がねえイコール必ずしも幸せってことにはならねーだろ」
「……そうかな?」
「現に俺はこんなだけどイイ奴らに囲まれて幸せだって思えるし。こんだけグダグダしてっけど、おまえもちゃんと周りに愛されてる」
「――」
「ちゃんと心配して待ってる人たちがいる。だろ? にじみ出る育ちの良さっつーのかな。見てりゃわかる」
事故のことなどおくびにもださず、変わらず気さくに接してくる幼馴染。
何度約束を破ってもあきらめずに誘いをかけてくる瑶子。
何も言わず見守ってくれている両親……そして祖父。
あらためて思い返せば、なんて恵まれているのだろう? 自分は。
それなのに……こんな――
「そういう人たちに心配かけて泣かしてまでやんなきゃいけねえことなのか? このぐずぐずグダグダは、よっ」
「でっ」
超高速で飛んできたデコピンに思わず悲鳴をあげてしまっていた。
痛いところを突いてくる彼の指摘も、物理的にあたったデコピンの位置も的確すぎて、自分がどんどん情けない存在になり下がっているような気がした。
「……ってえ」
というか、いつの間にかまた話をすり替えられている。
己のしょうもない懺悔から、ケンジといずみの話に上手いこと切り替えられた、と思ったのに。
これはダメか?
一枚も二枚も上手な大人からは、結局どうやっても聞き出せないということだろうか。
はあーあ、と深々と吐かれたため息にどう思ったのか、笑いながらケンジが立ち上がった。
「ちょっと発散しに行くか? 久々に」
「……え?」
久しぶりに連れていかれたボクシングジムは、前回以上に人が入っていた。
ケンジとのバトルを覚えていてくれたらしいトレーナーや練習生数名から歓迎を受け、ウォーミングアップを終える。
姿勢の確認と復習ということでシャドーに入ったとたん、ケンジが目を丸くした。
「頭イイヤツって要領もいいんかな?」
もうこんだけ形になってるってどういうことだ……と、あからさまに面白くなさそうに眉をつり上げている。
(ぜってーいつか倒す、って言ったじゃん)
腹の中でしれっと舌をだし、鏡にうつるフォームを確認しながらテンポよく拳と足は動かし続ける。
実はあれから、騙されたと思ってやってみろと言われたトレーニングメニューを日に2、3セット必ず行うようにしていた。
面倒くさいことは嫌いだが、負けたままにしておくのはもっと我慢ならないのだ。なぜかこの相手には特に。
ネットを漁って密かにフォームや動きの研究などもしていたことは、さすがに内緒にしておく。
(もう『もやし』呼ばわりさせねーし!)
「まあ、行き詰まったり悩んだりしたら、とりあえずこうして体動かせ。いつでも相手してやるしよ」
「……だから、か」
「ん?」
「だからアンタ、一応ボクシング続けてんのか」
プロを目指すのはやめた、と仲間たちから聞いたが。
「あ?」
「悩み多きジジイだから、そりゃ体動かさねーと、ってことか」
「てっめえ……」
「ってか、なんで悩んでんの?」
「――え」
「スパッと解決すりゃいいんじゃねえ?」
それがこの人物の最大の特長ではないのか。
いつ、誰に対しても、そうしていたはず。
――いずみ以外には、だが。
「それとも何? 恋愛事に関してはもうホントに奥手奥手でしょーがなくて何もできなくなっちまう、とか? まさかなあ……。アンタともあろうものが、なあ?」
ボス猿ともあろう者が、まさかさすがにそれはないだろう、とは思うし思いたいが。
「…………」
翔の突然の饒舌ぶりに呆気にとられていたケンジが、眉を寄せ憮然とすること数秒。
「――大人にだっていろいろあんだよ。ガキは自分の心配だけしてろ、もやし」
半開きの目で小バカにしたように人差し指を突き付けられ、爆発した。
「て、てめ……っ!」
結局言われた一言によって、次のミット打ちとスパーリングで必要以上に鬱憤を発散することになり、翌日の筋肉痛はまたもや避けて通れないものとなった。




