Trèsor――Ⅲ(1)
そういえば、朝どこかの番組で「今日の第一位は牡羊座のアナタ! 誰かのヒーローになれるかも!?」……なんて胡散臭い星占いが流れていた気がするが。
「――――」
まさか再びこんな場面に出くわすとは、誰が想像できただろう?
次第に小さくなる鈴の音をどこか遠い感覚の端でとらえながら、翔はドアを開けたまま固まってしまった。
「……まーたおまえかよ」
「っとに、いいトコでばっか邪魔しにくるよな、このガキ」
入口で目を見開き固まったままの翔を見、呆れ半分に笑う黒光りジャケット男と、もはやイラつきを隠そうともしない派手シャツ男。
入店するなり、例によってその二人がいずみを無理やり奥の部屋へ連れ込みそうになっている場面を目撃してしまったのである。
ざっと見た限り、彼ら以外に人の気配はなかった。
「しょ、翔く……」
助けを求めるようないずみのか細い声に、ようやく我に返ってあわてて彼らの方へと詰め寄る。
「ちょ――な、なな何してんスか!」
思いのほかすんなりと解放されたいずみの手を引き、思わず自分の背に庇っていた。
「怒んなよ。何もしてねーじゃん、まだ」
「そうそう。やけにタイミングいい誰かサンのせいでよ」
「あれじゃね? おまえもケンジがいねえ隙わざと見計らって来てんだろ?」
「……は? どういう意味っスか、それ」
聞き捨てならない言葉に、つい眉を寄せまともに食って掛かるような態度をとってしまう。
「可ー哀想にねえー。横から手ェ出そうったって無駄だよ?」
「そうそう。ケンジとこの女は深い深ーい絆で繋がれちゃってるんだから」
「そそ、血よりも濃いキズナってやつ?」
「――」
何やら意味ありげにニヤニヤと目配せし合う二人。
しっかり理解が及んでいないにしろ、腹立たしさがこみ上げてきた。
そんなことは――ケンジといずみが想い合っているだろうことは、わかっている。言われるまでもなく。
絆云々……までは知る術はないが。
そして当然、そんな彼らの間に割って入ろうなどと思うわけもない。
「だ、だったらなんでアンタらは、そんな……二人の邪魔するようなことするんスか?」
「ケンジにバレなきゃいいんじゃねえ?」
「そうそう。なあ? チクる気もさらさらねえよなあ、この女? 大事なケンジにメーワクかけたくねーもんなああ?」
見ると背後では、うつむいたいずみがますます辛そうに目を伏せている。
「だからほら、うっかりバラされたくなかったら俺らにもサービスしたほうがいいんじゃね? いずみちゃん?」
「なんならそのガキも入れて三人まとめて相手してくれてもいいけど?」
好き勝手な物言いと下卑た笑いに、驚きと怒りの感情が一気に振り切れた。
「あんたら……っ!!」
「しょ……翔くん、駄目っ!」
後ろからしがみつくように引き止められて我に返る。
余裕で笑いながら見下ろしてくる柄シャツ男に、なりふり構わず掴みかかる寸前だった。
「なんでッスか!? 絶対良くない、こんなんじゃ!」
二人組が立ち去った後、それでもケンジに言うな、といういずみの言葉に思わず声を張り上げていた。
何度も危ない目にあっていて、なぜ? この期に及んで彼女は何を言っているのだ?
と疑問ばかりが駆け巡る。
悪びれもせずニヤニヤ笑っていた去り際の様子を思い返せば、こんなにも容易く怒りが湧く。
奴らのことだ。あれで終わるとはとうてい思えない。
「ごめんね……いっつも迷惑かけてるもんね翔くんに」
「そういう意味じゃなくて! イイわけないじゃないスか、このままじゃ」
ケンジにぶちまけるなりどこかに身を潜めるなりして、早いとこ対策を立てないと本当に危険だということがわからないわけでもないだろうに。
「奴らどんどんエスカレートしてる気がする。もし俺もあのヒトもいない時にまたあいつらが来たら――」
「優しいのね、翔くん」
「――――」
伏し目がちに微かに笑いを滲ませて言ういずみの言葉に、一瞬、頭の中が真っ白になった。
何を言われたのかわかるまでほんの少しだけ時間を要して――
(ああ、そうか……)
頭に血が上ったまま、不思議にも肩の力だけは抜けていく感覚。
「……いずみさんまで、俺をガキ扱いすんだ?」
そう。線を引かれたのだ、自分は。
こんな疑問も苛立ちも、本気の心配も……何もかも。
――――無難で有りがちな、「優しい」などというどうでもいい言葉で適当に蓋をされた。
「え? ごめ……そんなんじゃ」
(そうか……そう、だよな。最初からこんなガキに何言われたって……)
とたんにひどく投げやりなあきらめにも似た感情が渦巻く。
不思議にも笑いたい気分にさえなってきた。
おそらく今、とんでもない表情になっているだろうことを今さらながら自覚し、ついと背けるように顔を伏せる。
「だったら……言えば?」
「え……」
「こんなガキじゃどうにもならないだろうけど、あの人に言えばどうとでもしてくれるよ!」
「翔く――」
出口に向かいだしたタイミングで、軽やかに鈴の音が鳴った。
ちょうど入ってきた二人連れの客と入れ違いに、足早に店を後にする。
「翔くんっ!」
呼び止めるいずみの声は届いていたが、伏せた顔を上げることなく最後まで振り返ることもなかった。
速度を落とすことなく店の前の通りを突っ切り、駅への角を一つ曲がったところで、聞き覚えのある走行音が耳に届いた。
うなりを上げて駆けてくるのは黒のVMAX。ケンジだ。
いつの間にか足が止まってしまっていた翔の真横に、ケンジも静かにバイクを停車させた。
角を折れたらすぐ店だというのに、わざわざエンジンを切り、メルメットまで脱いで。
「なんだ、今日はもう帰んのか? 珍しいな」
まだそんな遅くねえじゃん、とケンジが意外そうに腕時計に目を落とす。
「そろそろ帰れ。ちゃんと勉強しろ」と言われてようやく重い腰があがる常日頃を思えば、至極当然な反応だ。
「しっかし今日も暑いなあ。これで十月かよ……。おまえよくそんな暑苦しそうなの着てられるな……。って、制服よりゃマシか」
薄手パーカーとデニムシャツの重ね着を指差し、変に感心したように含み笑いしてくるケンジ。
そういう彼も、暑いと言いながら無造作に長袖を捲っただけのスウェットトレーナーだ。
たいして変わらないだろうに、と思ったが今は重い口を開くまでには至らない。
クソ生意気な反論が返ってくるどころか、うつむいたまま一言も発しない翔にようやくケンジが何かを感じ取ったようだった。
「どうした? なんかあったか?」
「……あんま、さ」
ぼそりと掠れたような声が絞り出される。
「ひとりで出歩かねえほうがいいんじゃねえ……?」
「ん?」
(……やめろ俺……何言ってんだ)
「出たらすぐ戻るとか、んじゃなきゃ一緒に出るとか――」
「……おい?」
勝手な提案を掲げながらも顔を上げられない。わかっている。
関係ないから、だ。
もともとこんな心配をする資格さえ自分にはないのだから。
わかってはいるが、止まらない。
「アンタがしっかり見てやれよ! もっとちゃんと……! じゃないと――!」
「落ち着けって。何の話だ?」
「――!」
八つ当たりだ。
子ども扱いされ、心配も聞き入れてもらえず、単に無様に当たり散らしただけの……。
「翔!?」
自覚してしまうとどんな顔をしていいかわからず、ケンジの制止を振り切って逃げ出してしまっていた。




