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陽だまりにて待つ!  作者:
第5章 Trèsor――追憶のはざまで――
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Trèsor――Ⅱ(8)




 微かだがキイキイと金具の擦れる耳障りな音。

 鳴り続けるその音とともに、目の前で黒光りするサンドバッグがゆらゆらと揺れている。


 驚きで言葉を紡げずにいる翔を平然と見据えたまま、ケンジが軽く笑った。


「まあ、そんな大差はねえだろうけどな。ちっとはマシになんぞ。息切れとかバテ具合とかな」

「……」


 今年、二学期に入ってから覚えたたばこ。

 毎日というわけではないし、時々北校舎裏のあの場所で塚本らと会っている時に少しふかす程度のものだ。

 ケンジらの目の前で吸ったこともなければ校内でのサボり事情を詳しく話したこともない。

 それなのに――


「『なんでわかった?』って顔してんな」


 言いあぐねている表情そのものの翔を面白げに見下ろし、ボスライオンは悠然と腕組みをする。


「気持ちはわからなくはねえっつったろ。俺にだって若かりしころはあったんだよ。あと、気をつけてたつもりかもしんねえが、匂いがな」

「匂い……って――。……マジで? バレバレ?」


 たったあれだけの量でも服や体に染み付いてしまう、ということだろうか。


「他の奴らはどうか知らんけど、少なくとも親御さんには気付かれてると思うぞ」


「――」


 身近な人間にはバレて当たり前、と言わんばかりの物言い。

 当然のことながら完全に隠し通せていると思っていたため、またも大きく目を見開いてしまう。


 忙しい父親はともかく母親とは毎日朝晩顔を合わせている。あまりまとわりついてくることもなくなったが小学生の妹も同様に。

 最近のこの変化について直接問いただされたことも怪訝そうな顔をされたことも、もちろんない。

 いや――。

 「ない」と思い込んでいただけ……だったのだろうか?


「って、何おまえ? ビックリしすぎだろ」


 呆れたようにまたもやケンジが苦笑した。


「気付かねえワケねえだろ、親がよ」

「……」


 完全にバレているという前提で話が進められていく。

 実際のところどうかはわからないが、不思議と反論したい気持ちも湧いてこなかった。


「野放図……ってワケでもなさそうだし、それでも何も言われねえってことはよ。――――おまえ、よっぽど信用されてるんじゃねえ? 親に」


 しつこく軋み続けるサンドバッグをケンジが押さえに向かい、ようやく耳障りな金具の音が止んだ。


「――いいのかよ、このままで?」


 茶色い前髪の下から真っ直ぐに向けられた野性的な瞳。

 思いのほか静かで真剣な表情を目の当たりにして、ますます言葉に詰まってしまう。

 好きにさせてるようで彼なりに心配して青少年を見守っていてくれた、ということだろうか。


「……」


 あらたまって問われるまでもない。

 現実から目を背けているだけのこの状態で、逃げているだけの今の生活のままで――

 いいわけは、ない。

 それは自分が一番よくわかっている。

 わかっては……いるのだ。


(でも……じゃあ――)


 グローブの中、知らず握り込んだ拳に力がこもる。


 わかってはいるが、この現状をどうしたらいいのかということになると、とたんに目隠しをされたように答えが見えなくなってしまう。

 目指す到達点どころか取っ掛かりさえ掴めずにいるのだ。

 甘えくさったこの自分がどう変わっていきたいのかも……わからない。


 過去は変わらない。


 失ってしまった幼馴染の記憶も戻らない。

 犯してしまった罪が消えることはないのだ。

 罪ではないと、周りは言ってくれるけれど。


 だが、誰が慰めてくれようと、どんなに侑希()本人に気にするなと呆れられようと―― 


 自分だけは自分を許してはいけない。

 あの事故からずっと、そんな思いが淀んだまま自身の内に停滞し続けている。


 だから幸せな思いなんてしてはいけないし、こんな自分が誰かに大事に想われてもいけない。

 他人の過去を消してしまった自分が、これから先、良い思い出を積み重ねていくことなど決して許されないのだから。 


(じゃあ俺は……どうしたら……)



「何だ何だ? ずいぶん早えペースで進めてんじゃねえか、ケンジ」



 突然、サンドバッグを支えるケンジの後ろから豪快な声が響いた。

 そこにいたのは、背は低めだが体付きのガッシリした、短い白髪をすべてバックに流した初老の男性。

 他のトレーナーたちと同様にジムのロゴ入りTシャツを着ている。


「あ、船さん、ど……どもッス!」


 少し前まで横柄一辺倒だったケンジ()の背筋が一瞬にして伸びた。


 ど、どうもお久しぶりっす!

 おう、しばらく見ねえから死んだかと思ってたぞ。

 いやいや死ぬなら俺より先に船さんでしょ。っていうか俺けっこう来てますよ。

 なにいい? 俺のいない隙ばっか狙って顔出してやがったってか? ああ?


 などなど……和やかなのか張り詰めているのかわからない雰囲気の中で、一通り挨拶めいたものが繰り広げられた。

 聞けばなんでもずっとケンジを指導、サポートしてきたのがこの御仁――「船水さん」らしい。

 簡単にこちらの紹介もされたため、肩で息をしながらもペコリと会釈する。


「期待の新人でも発掘してきたのか? やけに気合入ってんじゃねえか」


 船水さんの感心したような表情と明るい物言いに、気合っていうかさっきまで単にイジメられてたんデスよ……とチクりたい衝動が微かに湧いたが、初対面でもあるしすっかりそんな気分ではなくなっていたため、とりあえず抑えて胸中に留めおく。


「いや、今日は単に気分転換っス。無理やりコイツ引っ張ってきたようなモンだし」

「やらせてみればいいじゃねえか。彼センスよさそうだしよ。――……ちょっとほせえけどな」

「そーなんスよ。いくらガキとはいえ、()()()すぎるんスよねえ……」


 師匠の隣に立ち並んで腕組みしたケンジに、眉根を寄せてしみじみと眺められてしまった。


「もやし!?」


「簡単に折れちまうんじゃねーか、ってほど細すぎんだよおまえ。もっと食って筋肉つけろや」

「お……折れねーし!」


 だからあんなにスイーツを食べさせようとしてきたのだろうか。

 が、これまで大ケガも大病もしたことはないし、言われるほど柔ではない。

 …………つもりだ。

 縄跳びと基本フォームとサンドバッグだけですっかり汗だくになり、息もかなりあがってはいるが。


「ほーんとかあ? じゃあまだ行けるか? バテバテみてーだし今日はもう終わろうと思ってたんだが」

「い、行けるし! 余裕だし!」


 しまった。

 明らかにとっくにバレてる嘘まで付け加えてしまった。

 そんな後悔まで想定内だったのだろう。ますます黒く不気味にケンジが微笑んだ。


「ほおおおう? んじゃ次、ミット打ちいくぞ」







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