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陽だまりにて待つ!  作者:
第5章 Trèsor――追憶のはざまで――
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Trèsor――Ⅱ(2)

 



「あ。翔くん、いらっしゃい」

「あ……ど、ども」


 やわらかな笑顔で目を細める彼女は、腰の位置で軽く絞られたようなラインのアイボリーチュニックに淡いブルーの細身パンツ、ノーアクセ――と今日もラフな装いだ。

 内面の素直さが出ている、というか素朴で優しい印象を周囲に与えるような。

 きらびやかに着飾るとか外見的な磨きをかけるといったことには無頓着なタイプなのかもしれない。

 近付かれると相変わらず仄かに爽やかな香りは漂ってくるが――


(ってヤメろ俺、変態くせえ……)


 エプロンを着けながら「どしたの翔くん? 変な顔しちゃって」と傾げる顔も、してるかしてないかわからないというくらいのごく薄いナチュラルメイクが施されているだけである。 

 おそらく同年代だろうにえらく違うもんだな……と、顔も服装も派手な奥のテーブルに座る女性たちをつい思い浮かべてしまった。


「ってか――いずみさんって、おいくつなんスか?」


「こら。女性に歳を訊くとは失礼な。二十六よ」

「……けどちゃんと答えるんだ?」


(ほう、ケンジ(あいつ)とは二つ違いか……。って、え? 俺の10コ上……!? こ、()()で?)


「『えっ、見えない!』って今思ったでしょう?」


「う……あ、えっと」

「どうせよく言われますー! 子供っぽい、って」

「あー……や、その……わ、若く見られるのは……い、イイコトかと――」


「悲しくなるからそれ以上言わないで。はいこれ、罰ねっ!」

「え」


 プンスカ怒っている(らしい)いずみの手から、目の前にコトリと置かれたのは真っ白で四角いプレート。


「パン、翔くんにもおすそ分け」  


 花型のレースペーパーを敷いた上に、大きめメロンパンに甘酸っぱそうな匂い漂う赤紫色のジャムいっぱいのタルト、名前はわからないが粉砂糖がこれでもかというほどまぶされた丸型のパンがトングを使って綺麗に並べられていく。


(パンというよりほとんどスイーツでは……? というか、一気にこんなに食うモンなのだろうか?)


 おそるおそるプレートを眺めていると、今度はクスクスと笑いながらいずみ。 


「コーヒーおかわりあげるから、ぜーんぶ食べてね」

「マ、マジで? こんなに……?」


 なるほど、確かにこれは「罰」かもしれない。

 少し前に「主食」で腹ごしらえをしたばかりなのだ。


「うん。……あ。もしかして甘いのダメだったりした? それかアレルギーとか――」

「あ、いやそれは大丈夫ですけど……。り、量が問題というか……」


「ご近所のパン屋さんからいただいたの。忘れ物届けたお礼に、って。すごくありがたいんだけどお店には出せないし。食べて?」

「は、はあ……」


 これは、ゆっくりでも消化するしかなさそうだ。


「遠慮してっとデカくならねーぞ。つか、おまえが『遠慮』とか気持ちわりいわ」


 覚悟を決めたところに、向かいからケンジのニンマリ顔が寄せられた。


「! べ、別に……っ、てか言われるほど小さくねーし!」

「けどデカくはなりてーだろ? もっと」

「そ、そりゃまあ……」

「んじゃ、ほれ。食え食え」

「……」


(身長は伸ばしたいけど、これじゃ横にデカくなれって言ってるようなモンじゃ……)


 先ほどから何なのだこのカップルは……と、目の前で和やかに会話する彼らをついジト目で睨んでしまう。

 何だかんだ言って二人して太らせる気満々なのではないだろうか。


「っつーかまだこんなに余ってんぞ。確かにありがてえけど、どーすんだコレ……」


 まだいくつか入っているらしい紙袋を引きつった顔で覗き込んでいるケンジ。


おまえもう一個食う?」

「ムリ! あんた鬼か! ってか、いつものライダー兄さんたちにとっとけばいいじゃん」


 メロンパンにかぶり付きながらそう吐き捨ててやる。

 ここを訪れる度たいてい彼らは居る……か、あるいは後からゾロゾロとやって来るのだ。

 今日だって待っていればそのうち現れるだろう。


 と思ったが――。 


「いや、あいつらしばらく来ねえ。ヘタすると今週いっぱい」


「なんで? 兄さんたちツーリングにでも行ってんの?」

「そそ。四国まで行くんだと」


 おお、海を渡るのか……なんかいいなあ自由で、と考えながら淹れなおしてもらったコーヒーを口に含む。


「つーわけで。なんかすげえイヤだけど奥のあいつらにも分けてやっか」


 本当に嫌そうに顔をしかめて言いながら、ケンジがほれ、とばかりに紙袋をいずみの前に差し戻した。


 と――――。


「あ……えと、一件、電話しなきゃいけないトコがあるんだった。忘れないうちに済ませちゃいたいたから……ご、ごめんね。ケンジがあげてきて、くれる……?」

「ん? おう」


 謝りながら困ったように微笑んで店の固定電話機に向かういずみと、たいして気にも留めない様子で袋を手に奥のテーブルへ向かうケンジ。(いずみと違ってプレート無しなうえに素手……?)


 彼らの背中を交互に見送りながら、なぜかちょっとした空気の変化を感じてしまった。

 気のせいかもしれないが。

 理由なんてわからない。ただなんとなく違和感を感じてしまったというか――。

 それもいずみのほうに。


「……?」


 こちらに背を向けて受話器を手にしているため表情こそ窺えないものの。

 その細く小さな背中を何とはなしに目で追っていると。


「困ったなあ。それでもまーだ余ってやがんなあ。っつーワケでおまえもう一個追加な」

「!?」


 いつの間に戻ってきたのか、なぜかやや黒い意地悪そうな笑みを浮かべて真横に立っていたボスライオン。

 げっ……と思った時には、つややかな照りのまぶしいクイニーアマンが目の前に追加されていた。

 何も道具を持っていないところを見ると、やはり素手で……。

 いや、それはいいのだが――


「い、いやちょ……っ、さすがに食えねえって――」

「あん? なんだって? 足りねえ? 戻すとかしねえよなあ? おまえの食いかけのヤツにくっついちまったもんなあああ、それ?」

「!?」


 迫りくる謎の超迫力の笑顔。

 ……やめよう。何やらこれ以上の抵抗は墓穴を掘るだけな気がしてきた。


 こ、これは……アレだろうか?


(もしかして『俺の女、見てんじゃねーよ』的な……? 何か誤解された? ちょっと様子が気になっただけで、別にそんなんじゃねーのに。あのジジイめ……)


 胸中で意味のない弁解をしながらも、それでもこのワイルドな男も普通に妬くのだな……そういえば意外に「純」っぽかったし……と気付いた時にはほんの少しだけ溜飲も下がっていた。


 とはいえ、どう見ても明らかに完璧に許容量を超えているだろうこれら罪なきパンたちは、隙を見て持ち帰ろう……と密かに決意したのであった。







 ◇ ◇ ◇







「え……ボクシング?」


 数日後。

 ボス的存在のケンジが本当にケンカも強いのか、つい確かめたくなり、ツーリングから戻ってきた仲間たちにこっそり切り出してみると、思いもよらない単語が飛び出てきた。


「そう。ずっとやってたんだよアイツ」

「そこのヤスも一緒にな」


「……」


 ケンカ――ではなく立派にスポーツではないか。


「ああ。でも、やめてから結構経つよな? 確か」

「今はもうあいつもサポートする側? っつってたっけ? よく顔は出してんだろ? ジムのほう」


 思い思いに語った後、同意を得るように四人が揃ってヤス――ヤスヒロという名前らしい――に目を向ける。

 珍しくジャージ姿ではないヤスヒロが「ああ、まあ……」などとつぶやいて、ハイペースでグラスの水を飲み下していた。


(――やめた?)


 ヤスヒロの様子にやや引っかかりを覚えながらも、ケンジがすでにボクシングをやめていたという事実に意識のほとんどが向かう。


 祝日の今日は珍しく全部のテーブルが埋まっている。

 ケンジもいずみもオーダー取りに調理に片付けにと目まぐるしく動き回っていた。

 こちらの話にまったく注意を払ってはいられない忙しそうな様子にわずかにホッとしつつ、翔はあらためて五人の会話に耳を傾ける。


「アレだろ? 一応プロ目指してたんじゃなかったっけか、ケンジ(あいつ)

「そうそう、高校入る前から言ってたもんなあ」


 プロボクサー志望だったバイク乗り? ……の雇われ店長?

 どんどんケンジに対するイメージや肩書めいたものが増えていく。


「んだから、なおさら一般人相手に暴力沙汰とかアウトで――ほら。いざこざ多い走りから抜けたんじゃねえ?」


 スーツ男とロン毛男のやり取りに、「ん?」とすかさず違和感を抱いてしまった。


「なら、なんでボクシングやめたの?」


 頻繁に暴力沙汰になるような走りから手を引いたのなら、ボクシングをするうえでもう障害は何もない――のではないのか?


「んー……アレ? なんでだっけ?」

「さあ。それ聞いてねーかも」

「そういや俺も」


「なあヤス、なんで?」


 再度全員に話をふられ、先ほどからめっきり口数の減っていたヤスヒロがあわててグラスを口元に運んだ。


「ま、まあいいじゃん、その話は。――――あ……っと、俺もう行くわ」


「おー、これからジムか」

「またなー、ヤッちゃん」

「トレーナー頑張ってねー」


「おう」


 軽く笑いながら席を立つヤスヒロに、気の良い仲間たちの明るい声が飛ぶ。

 あわただしそうなカウンター内に軽く手を振って帰る旨を伝えている横顔も、足取り軽く出口へと向かうあまり背の高くないその姿ももうすっかりいつもどおりではあった。



「――」



 ……のだが。


 彼らの中で最もケンジに近そうだし、おそらく一人だけ何か知っているのだろう。

 なんとなくだが、そんな気がした。


「って、あああああ! 何気なく見送っちまってからナンだが、そうかヤス時間か! 手伝わそうと思ったのによ」

 

 すでに別な話題で盛り上がりかけていた男たちの上に、カウンター向こうからケンジの焦ったような声が飛んできた。


「しょうがねえ。翔、ちょっと来い。エプロン(これ)着けてそれ持ってってあそこ拭いてきてくんねーか? んで、戻ったらこっち洗え」

「えー……」


 忙しいのはわかるがちょっと人使いが荒くはないか。

 しかも指示語が超テキトーに聞こえるのは気のせいだろうか?

 まあ一応世話になってるし(?)いいけど、頼み方ってモンがなー……と思いながらノロノロ腰を上げる。


「晩飯もつけるぞ」

「! おっしゃ」


 そういうことなら、とゲンキンにもスピードアップして向かう翔の背後からライダーたちの豪快な笑い声が響いた。


「珍しく大入りで忙しそうだもんな、ケンジー」

「ギャハハハ」


「うるせえ、『珍しい』は余計だ」


「俺らも何か手伝ってやろうかー?」

「ありがてえだろおお?」

「ビール一杯でいいぞー?」


「いや、いい。おまえらだと絵面的に良くねえ」


「な、なぜだ?」

「ひでえ……ケンジ」


 誰かの物悲しいつぶやきと大げさにガックリとテーブルにへたり込む男たちの様子が、それほど広くはない店内の笑いを誘っていた。







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