Trèsor――Ⅰ(6)
彼女たちを見送った後、ケンジは神妙な面持ちで翔を含めた全員の前を通り過ぎ、店の奥のドアへと姿を消していた。
「結局なにがあったわけ?」
消えて間もないというのに、たいした遠慮もなく声もひそめずに、翔はストレートな質問を男たちに投げかける。
「あー」
「何……って――」
その問いかけにつられるように、初めからテーブルにいた四人も最後の一人――ヤスを促すように振り返った。
「……俺に言わすなよ。あいつらのことだ。……わかんだろ」
ヤスの言葉に、「ああ……」「やっぱり……」などと四人がため息混じりにうなずく。
……わからん、と翔の心の声。
まあ何にしても、あのガラの悪そうな二人が先ほど聞いた『十戒』モドキのうちのどれかを犯し、神の怒りに触れた、ということなのだろう。
一応納得はしてみるが、すぐさまあることに思い至る。
「けど代わりに謝るくらいだから、あの二人もあんたたちの仲間?」
『あいつらが悪かったな』と女性たちに、聞き間違いでなければ確かに彼はそう言っていた。
――――が。
思ったことをごく普通に素直に尋ねた翔に、なぜか五人の肩がピクリと揺れた。
「なにいぃぃぃ?」
「仲間だあぁ?」
「あんな奴らと一緒にすんじゃねぇっ」
「あれはケンジの人柄が出ただけだっ」
「――」
何やら凄まじい嫌われようである。
それでも、『あんな奴ら』と呼べるほどの付き合いが過去にでもあったのだろう。
どう見ても単なる顔見知りや店の常連客、といった類ではなさそうである。
ものすごい目で睨まれていたような気もするし……。
「ところでおまえは何なんだ?」
ようやくテーブルに加わったヤスが、ついと翔に視線を移してきた。
「ケンジが拾ってきたんだよ」
すかさず中の一人が代わりに応えてみせる。
「何だかんだ言ってホント面倒見良いよな」
「だよなー。本人ぜってー認めねえけど」
俺って拾われたのか……と微かに眉をしかめて首を傾げたところで、噂の当人が件の奥のドアから現れた。
「俺がどうしたって?」
パーカーを脱ぎ去り、オフホワイトの長袖Tシャツに店のネーム入り黒エプロンをつけながら、ケンジ。
先ほど見せた神妙な表情はすっかり消え去っている。
「うら。お前らガキに変なこと吹き込んでんじゃねーよ」
「ガ……ガキ?」
「おう」
ムッと顔をしかめる翔の頭を軽く小突き、ケンジは口元に笑みを浮かべながらカウンター内の調理場へと足を向けた。
「高校生なんてまだガキだろ。こっち来いよ。何食いたい?」
手を洗い、真っ白な布巾を用意して、調理の準備は万端である。
……らしい。
「――あんたが作んの?」
「おう。ナメてんじゃねーぞ」
思いきり目を見開いた翔に、濃い茶髪から覗く形の良い眉が自慢気に持ち上げられた。
◇ ◇ ◇
「なにーィ!? 金がねえだあ?」
数十分後。
すっかり空になったピラフセットの食器とそれを平らげた少年を前に、ケンジの突飛な声が店内に響き渡った。
「だってあんたが食わしてくれるっつーから。奢ってくれると思ったんだよ」
いけしゃあしゃあと翔。
もっともといえばもっともなコトをさらりと口にしてみせる。
しかも財布の入ったブレザーを学生鞄と共にロッカーに放り込んできたことなど、今の今まで忘却の彼方に押し遣っていたのだ。
遊び呆けようと思って出て来たわけではないため無理もなかろう、と言いたい。
あ、でも待てよ確か……とズボンのポケットを探ると、ジャラと硬貨の感触がした。
……百七十円。
当然足りない。
共に手のひらを見下ろしていたケンジが、くいと片眉を上げる。
「じゃあ食った分は働いてもらおうかあ」
「いーけど……。オーダー取り? 皿洗い? ――でも客なんか来ないじゃん」
禁句のような翔のセリフに、ケンジの頬がピキッと引きつり、背後の男たちがどっと沸いた。
「おー! いいトコ突くじゃん少年ー」
「何この良いコンビ」
誰かの声にひときわ笑い声が大きくなる。
「うるせえっ! 笑うなっ! 翔は掃除だ掃除っ!」
床モップを片手に、あらためて店内を見回す。
入ってきて間もない時は例の騒ぎがあって気付かなかったが――
決して広いとは言えないものの、店内は小ざっぱりしていて妙に落ち着いた雰囲気を醸し出していた。
外観と同様、意識してまとめられたのであろう白と茶系の内装。
天井から側壁半ばまでが白、下半分は濃茶レンガ造りの様相を呈したもので、床は木目の鮮やかな薄茶をしている。
喫茶店やバーにありがちな薄暗い照明も、形はシンプルな球状だが比較的明るめのものが三つ天井に据えられていた。
――それと。
ゆったりとモップを動かし、「サボってるわけじゃねーぞ」的オーラを発しながら、翔はちろりとカウンターを窺う。
この落ち着いた内装にしっくりくるんだかこないんだかわからない、長袖Tシャツとジーンズといういでたちの茶髪バイク乗り店員。いや、雇われ店長と言っていたか。
カウンターの上に組んだ両腕に顎を乗せ、よっぽど暇なのか一滴一滴コーヒーが抽出されていくのをじっと眺めている彼は、言葉遣いや態度こそすごいものの、先ほどの二人から感じたようなガラの悪さ――悪人的な雰囲気などといったものは一切感じられない。
そして、そんな彼を見るからに慕っている、親しげに開店前から居座りつづけている男たち――。
「……」
思い立って、翔は雑談中の彼らのテーブルに歩を進めた。
もちろん、きちんと掃除はしているように見せかけながら。
「ここって何かの溜まり場なワケ? おにーさんたち何やってる人?」
「えっ」
突然の質問にぎょっとして男たちは翔を振り仰いだ。
「こっ、怖いもの知らずなガキだな」
「誰かれ構わずそんな質問してんじゃねーだろな?」
もし俺らがあっち系だったらどーすんだよ、などとブツブツ言いながら、それでもこんな思ったままに行動してしまう少年を心配してくれたらしい。
やはりこちらの男たちはお人好しの部類に入るようだ。
「一昨年まで走ってたんだ、俺ら」
壁際のソファーにもたれかかっているレザーパンツ男がにこやかに言う。
「……暴走族、的な?」
店の前に並んでいた単車を思い出して翔。
「んー、そんな悪そうなモンじゃねーけど」
「ただ走ってんのが好きだったんだけどな。でも群れて走ってるとかなりの確率でどっかのやんちゃな奴らにふっかけられたよな? 今にして思えば……なんでだろな?」
真面目に首を傾げているスーツ男に、人相が皆それなりによろしくないからだろう……と思ってしまったのは内緒だ。
っていうかスーツ姿ってことは仕事中じゃないのか? 昼休みか? 営業途中か? 職場に戻らなくていいのか?とも思ったが、それも言わないでおくことにする。
自分とてバリバリ授業中の学校から脱走してきた身なのだ。
「けど、ケンジに手ェ出させるわけにはいかなかったし……。あいつ自身もそういうのにウンザリして抜けてからは、みんな勝手にそれぞれ走ってる」
「ふーん……。でもここに溜まってるんだ?」
手出し云々にハテナマークが点滅しかけるが、彼らの表情が思いのほか穏やかでさっぱりした感じだったため、思わず自然に流してしまった。
「まあ……ケンジの人柄、だよな」
ヤスの言葉に、おう、とはにかんだように全員がうなずいた。
新鮮な微かな驚きをもって翔が再び口を開く。
「あの人、アタマだったの?」
「アタマっていうか――特別そんなのは決めてなかったけど、自然にみんなアイツを慕ってたよ。なんせあのキップだし」
「んだなー。面倒見いいし」
わかるような、気はした。
あえておどけたように付け加えてみる。
「あの茶髪だし? うん、まさにボス猿って感じする」
「ギャハハハハ、言うね、少年!」
「でもな、聞いて驚け。ケンジはな、ああ見えて――」
「? うん」
「二年前はパツキンだったんだぜ」
言ったスーツ男本人も含め、一瞬にして男たち全員が腹を抱えて笑い出す。
「おお……かっ飛んでたんだな」
呆れ気味につぶやく翔の背中をばしばし叩いて笑いながら、男どもは「だろー?」を連発した。
眼光鋭くただでさえワイルドなオーラを放っている上に金髪とは…………。
ボス猿ではなくボスライオンのほうだったらしい。
「それでいてアイツ変なとこで小心者だからよ――」
「あーそれな、それそれ、もう最っ高!」
「やべえ……すでに腹筋が」
「?」
「アイツ、たった……た……たっ――」
「『た……』?」
「たった一週間で染め直しちまったんだよなあああ!」
「ぶ……っ」
ああ見えてそんな小心者な面もあるとは。
男たちの爆発したような思い出し笑いに、悪いと思いながらも一緒になって噴いてしまった。
「でぁーっはっはっはっは……も、もうやめてくれ~!」
「ぶひゃひゃひゃひゃひゃ……!」
や、やめてー死ぬー、などと叫びながらもはや歯止めも効かずそれぞれ笑い転げているところに。
「――楽しそうだな」
突然背後から割って入った低い声。
こんな面白ぇコト他にあるかよ、と男たちが未だ歪む笑顔のまま苦しげに声の主を振り返った先には。
「げっ、ケンジ!?」
ボス的存在である長身の青年が、腕組みしたまま仁王立ちで彼らを見下ろしていた。
薄ら笑いを浮かべながら、だがそうとうキているらしい。
間もなく到来する嵐を感知し、翔が素知らぬ顔ですっとテーブルの輪から一歩分離れる。
果たして、ウルトラハイパーハリケーンを伴った嵐が遠慮なく彼らに襲いかかった。
「食いにきたんじゃねーならとっとと出てけーっ! お前らのバイクが店の前にズラッと並んでるせいで客来ねーんだぞ! わかってんのか!?」
「そりゃねーだろ」
「ケンジのバイクだってあるじゃん」
「八つ当たりダメダメー」
恐れおののきつつも、すかさず飛び交うブーイング。
「うるせえーっっ!!」
「ハイハイ、じゃ俺ピザくれ」
「俺、コーヒー」
◇ ◇ ◇
まがりなりにも注文のあったミックスピザに取りかかりながら、ボスライオンが不機嫌そうに目を上げる。
「何笑ってんだよ、ガキ」
カウンターを挟んで向かい側に立つ翔を、軽く睨んできていた。
言葉どおり、先ほどからニヤニヤしっぱなしだったことを翔自身もあらためて自覚する。
「いや……なんかいいなって思ってさ。あんたたち」
予想外の言葉に一瞬面食らった顔をしていたケンジは、ゲホッと一つ咳払いをした後、うつむき気味にぼそりとつぶやいた。
「ふん……。けど、合わねー奴もいるぜ?」
「……ああ、さっき出てった?」
仲間たちに凄まじく嫌われていた、ガラの悪そうな二人を思い出す。
「うん、確かに……あの二人だけイメージ全然違うな」
でもまったく合わないなら店には来ないんじゃないだろうか、という気もするのだが。
無言で野菜やウインナー・ソーセージの上からチーズをまぶし始める彼を見ながら、翔が口を開きかける。
ふいに入口の鈴が快い音を立てた。
両手に大荷物を抱えた若い女性が一人、ちょうど店内に入ってきたところだった。
「あ、珍し。客だ」
「客じゃねーよ」
感心したように言う翔に、またもやケンジの片眉が複雑そうに持ち上がった。
言われてみれば確かに、若い女性が両手に複数のポリ袋を重そうに携えたまま、ふらっと茶を飲みに立ち寄るとはあまり思えない。まあ、まったくナシな話ではないだろうが。
それに先ほどライダーの一人が、誰かが買い出しに出たとケンジに伝えていた気もする。
それがあの女性のことだったのだろう。
「ごめんね、遅くなって。あ、ヤスさんたちも留守番ありがとう」
「いえいえ、またいつでもー」
「あ、荷物持つよー。ずいぶん買ったねー」
ヤスや荷物持ちをかってでたスーツ男にやわらかな微笑みを向けながら、小柄な女性が近付いてくる。
肩の上すれすれで切り揃えられた、軽く波打ってやわらかそうな髪。
飾り気のない白いスニーカーの上で、広がりの少ないロングスカートが動きに合わせて微かに揺れている。
従業員、ということか。
それか――
「奥さん?」
一応気を遣ってカウンター側に顔を寄せ、小声でケンジに尋ねてみた。
――――のだが。
「――」
どういうわけか、べしゃという音とともに一瞬にしてピザが大きく変形していた。
「……いーから黙って床磨けっ!」
一声叫んでせかせかとピザを元どおりに直し始めるケンジを横目に、へーい、と翔はモップ掃除を再開した。




