Trèsor――Ⅰ(4)
再度バイクでひとっ走りするのかと思いきや、そこからは歩きだった。
どうやら予定外の経路を走行して一方通行の道に入ってしまったため、仕方なく手押しということらしい。
あーなんかスンマセン……と一応謝ってみたら「取って付けたような詫びも要らん」と鼻で笑われた。
すぐの角をもう一度だけ折れ、バイクを引いて進む茶髪青年の後に続くこと数分。
いつの間にかちょっとしたスナックや古いカラオケルーム、バーといった――夜にこそエネルギーに満ちあふれ出しそうな店がちらほらと視界に入ってくるようになっていた。
もともとそういう一帯なのか単に時間帯のせいなのか、えらく活気が無いな……と失礼極まりないことを考えながら辺りを見回して歩く。
さすがにいかがわしい店(どんな、と問われても困るが)や看板は目に入らなかったが、まあ――高校生が好き好んで立ち寄りはしないだろう、と誰もが思うような寂れた雰囲気が漂っている。
そんな決してにぎわってるとは言えない通りの中ほど――――三階建ての建物の前で、青年がようやく足を止めた。
どうやら目的地に到着したらしい。
(……喫茶店?)
店舗になっているらしい一階部分の正面に、濃茶の遮光ガラスが嵌め込まれた木製の頑丈そうな入口ドア。
外の明るさと濃い色ガラスのせいもあってここから店内を窺い知ることはできないが、通りに面した壁幅からすると中はそれほど広くはなさそうだと翔は推察する。
奥行きがやたらあって縦長に広い、というなら話は別だが。
ここで腹ごしらえを、というつもりで連れてこられたのだろうか。
ただ残念ながら、ドアノブに掛けられた赤いプラスチックのプレートが『準備中』であることを示していた。どうやら少しだけ待たされることになるようだ。
とはいえ、じきに昼だしそれほどたたずに開けられるだろう。
本来は授業を受けている時間帯だと思えばたいして不満も湧かない。
店の前がそのまま駐輪・駐車スペースとして使われているのか、出入口だけを避けたその建物の前に、『準備中』であるにも関わらず同じような大型バイクが三台並んでいる。
青年は迷うことなく入口から最も離れた空きスペースに自分のバイクを停めた。
横目で何気なくそれを眺めた後、数歩だけ進んで入口の前に佇み、翔はあらためて店の外観を仰ぎ見る。
濃淡がうまい具合に組み合わせられた木枠のドアと、濃いブラウンの外壁。
全体的に茶系でまとめられたその店の壁面に、大きくくっきりと彫られた真っ白な文字に目が留まった。
『Trèsor』
(ト、レ……? 英語じゃなさそーだけど"treasure"っぽい感じかな……)
勢いよく斜めに走り書きされたようなデザインの、おそらくは店名であるのだろう横文字を食い入るように見上げていると。
「何やってんだ? 入れよ」
ヘルメットとキーを手に青年が至近距離まで歩み寄ってきていた。
「え……だってまだ『準備中』って――」
「いいんだよ」
ドアノブのプレートを指し示しながらの翔の訴えを最後まで聞かずに、青年はおもむろにドアを開ける。
その拍子に清らかな鈴の音が重なって響いた。
内側上部に吊るされた、入店を知らせる合図のようである。
(ライダーどもの溜まり場、ってとこか……?)
すでに停められていた他のバイクといい、『準備中』の札をものともせずに図々しく押し入るさまといい。
目を丸くしながら彼の後に続いて店内に身を滑り込ませたとたん――
「おっ、またケンジが何か拾ってきた」
いらっしゃいませの挨拶でもすみません準備中ですという店員の言葉でもなく、若い男の素っ頓狂な声が浴びせられた。
もちろん、今ここまで連れ立ってきた青年の声ではない。
「制服じゃねーか、それ? 高校生?」
「あっらららー?」
「こんな時間にフラフラしてるっつーことはサボりだなあ? 少年」
次々に発せられる聞き覚えのない声が明らかに自分に向けられているものであると悟り、翔は店の奥に視線を巡らせた。
思ったとおりそれほど広くはない店内には、調理場を兼ねたカウンターの他に五、六組のテーブルセットが所狭しと壁際に据えられているだけである。
店の中央にほど近いテーブルに、青年と同年代らしき四人の男が腰を落ち着けていた。
きっちり髪までセットした営業スタイルのスーツ姿だったり、黒髪ロン毛のレザーパンツだったり、ヨレヨレ感たっぷりなトレーナーだったり、気合の入った刈り上げだったり……と服装や髪型は実にさまざまである。
他に人影も――客も店員も――見当たらないことから、声の発信源はやはり彼らだったのだろう。
「お、そうだケンジ」
おお、すごい個性だな……とついまじまじと男どもを眺めていると、そのうちの一人が思い出したように口を開いた。
「いずみさん買い出し行くっつってさっき出てった。時間までに戻らなかったら先に店、開けとけってさ」
目の前の茶髪青年が、おう、と応じながらゴツイ腕時計に視線を落とす。
「んー……じゃ開けとくか」
ちょっと早えけど、と言いながら再びドアを開けて青年――ケンジは赤いプレートを裏返した。
その行動と、開店前からちゃっかりテーブルに陣取っている親しげな男たち(客?)を見比べ、翔ははたとケンジを見上げる。
「――あんたの店?」
「おう。あ……いや、正確には俺の兄貴の店だけどな」
俺はただの雇われ店長、と言いながらケンジが店の奥に向かってつかつかと歩き始めた。
やはり――というか思った以上に奥行きはありそうな造りだ。
カウンターと客席を越えたさらに向こうに、トイレともう一つ、別の部屋へ続くドアが見える。開店前の準備やら何やらでその部屋に用があるのかもしれない。
彼の背中から何気なく再度店内に視線を巡らせかけた、そのタイミングで――――
「あ、け、けけケンジ、ほら……っ!」
突然大声を上げてスーツ姿の男が立ち上がった。
それもなぜか――ケンジの行く手に立ちはだかる形で。
「え、え、エプロンっ、エプロン……ほらっ。持ってきといてやったぜ!」
「お? お……おう、サンキューな」
意味不明な迫力に首を傾げながら黒っぽいエプロンを受け取り、ケンジは再び奥の部屋へ向かうべく男の横を過ぎ去ろうとする。
「あ!」
「ちょ、待っ」
「ヤバ……っ!」
今度は他の男たちも腰を浮かせて各々何かを口走っていた。
なぜなのかはわからないが、それも一瞬だけ。
「んあ? 何か言ったか?」
要領を得られず四人を振り返るケンジ。
先ほどよりも少しだけイライラが前面に出てきたようである。
まあ、傍から見てると当たり前にごく普通の反応だよな……と思いながら翔は観察を続けた。
が――。
一瞬の動揺を見せたにもかかわらず、彼らは何ごともなかったかのようにソファーや椅子に座り直し、それぞれあさっての方向を向き始める。
「……何だあ?」
怪訝そうに眉を寄せながらも再度歩き出そうとしたケンジを、「あ、あのさ」とまたしても一人が引き止めた。
「だから何だよっっ」
さすがにしびれを切らしたようにケンジが彼らを振り向いた。
茶髪から覗く鋭い目線にたじろぎながらも、彼らは互いに顔を見合わせ何やらおかしな笑いを浮かべ始める。
「…………い、いずみさん、遅くない?」
「そ、そそそういえばそう、だよなあ」
「何かあったんじゃねーか? ちょっと……し、心配じゃね?」
「そうだ、迎えに行ってやれよケンジ! なっ?」
「俺らテキトーに店番しとくからさ」
不自然さをプンプン醸し出している彼らに何やらピンとくるものがあったらしく、ケンジがため息混じりに呆れたような視線を向けた。
「――――なーに隠してんだ、おまえら?」




