Trèsor――Ⅰ(1)
「いいか? 火、つけるぞ」
「おう」
うなずいてたばこをくわえた少年に、火のともったライターが近付けられる。
「あ……あれ?」
「いや、逆。もうちょい離せ。んでもっと吸う」
なかなか火がつかないたばこをくわえたまま訝しげに声をもらす彼に、ライターを持ったまま隣の少年が低い声で諭すように言う。
間もなく、細い先端からうっすらと控えめな煙が立ち上った。
「あー……やっぱ上手くつけらんねーわ」
一息ついて、煙を吐き出しながら早杉翔は唸った。
火がつくまで手間取った割には、ついた後の吸いっぷりはかなりサマになっている。
「けどよ、味はわかってきたろ? ウマいか?」
目の前にしゃがみ込んでいた別の少年が、はしゃぐようにわずかに身を乗り出してきた。
「や。なかなかマズい」
大げさに眉間にシワを寄せながら、それでも翔は吸うのをやめない。
その一致しない言動に、周りを囲む他の少年たちがにわかに沸いた。
「ま……昨日今日吸い始めたヤツに味なんてわかんねえよな」
火をつけてくれた隣の少年――塚本が、静かに笑いながら自身のたばこにも火をともす。
実に器用なその手つきに感心しているうちに、いつしか他の少年たちの手元からも細く白い煙が立ちのぼっていた。
「しっかし驚きだよな。高一にもなってたばこ吸ったことねー奴なんて俺初めて会ったわ」
さらには別の少年のそんなつぶやきに、「まったくだ」と彼らは面白がって同調しているが。
いやいや、喫煙経験ゼロの中高生が圧倒的に多くなっているという昨今、おまえらみたいなヤツのほうがレアだから……と心の声。
もらっておいて何だがこのたばこだってどうやって手に入れてるんだ?と思わず手元に視線を落とす。
親のものをくすねてきたか無理やり年齢ごまかして買ってきた、とかだろうか?
いや、高一のガキがノコノコ買いに行ったってバレるだろうし、普通(良識ある店員なら)売ってくれないだろうに……とかえって謎は深まっただけだったが、ここはもちろん空気を読んで言わないでおくことにする。
いささかムッとした表情を貼り付けて、ついでにちょっとばかり拗ねたような演技までプラスして。
「だって俺、おまえらと違って真面目だもんよ」
まあ……完全な演技とは言えない程度には本当に機嫌が傾いていたりしたのだが。
吸い始めて数日経つというのに、一向に火は上手くつけられないわ周りの連中には馬鹿にされるわで面白くないのも当然である。
「『真面目』ぇ!?」
「真面目な奴が授業フケてこんな所で一服なんてするかあ!?」
誰かのすっとんきょうな声が、またしても皆の笑いを誘った。
――――冬服への衣替え移行期間まっただ中の、私立藤川洸陵高校。
北校舎裏。
教職員が見回りに来ても(というか、そもそもめったに来ない)そう容易くは見つからない程度に奥まったこの一角に、五人の制服姿の少年たちが腰を落ち着けていた。
深みのある濃紺色のブレザーにグレーのズボン。左胸とネクタイには、ひと目で超有名私立高校の生徒であることが分かるエンブレムが施されている。
そんな、街中で悪いことなどできないはずの彼らが、何たることか校内で――密かにではあるが――喫煙に勤しんでいるのだ。
さらに悪いことに、今は授業中……なのである。
「そんで、今日も保健室経由で抜けてきたのか?」
そんな誰かの問いかけに、翔は得意気に鼻を鳴らした。
「ふっ。『薄幸の美少年』っていう肩書はもうバッチリよ」
「美少年だあ?」
「よーく言う……仮病野郎がっ」
「それだけ見事な口実作ってサボれる奴のどこが真面目だって!?」
「ふははは。悔しかったら男を磨いて、尚且つ教師陣に信用されるぐらいお勉強をしなサイ」
飛び交うブーイングをものともせず、翔は大口を開けて笑った。
「……まあ……」
間を置いて煙を吐き出し切ってから、それまで黙って聞いていた隣の塚本が乏しい表情のまま口を開く。
「真面目かどうかは知らねえけど、翔成績はやたら良かったよな確か。特に理数系……だっけか?」
「そっか。おまえら同じクラスか」
目の前の少年たち三人が揃って翔と隣の塚本とを見比べ出す。
「A組?」
「てか、塚本、組章つけてねーし」
男女ともにネクタイの色で学年は判別できるため、あとは所属クラスを表すアルファベット1文字の銀バッジを付ければいいだけなのだ。というか義務のはずなのだが。
翔のブレザーには付いているシンプルな【A】が、当然のように塚本の襟には見当たらない。
「付けてられるか、こんなもん」
涼しげに再びたばこを口元へ運びながら、塚本はもう片方の親指で翔の胸を指し示した。
まあなー、と結局はすんなりと同意して笑う彼らをよそに、翔はあらためて神妙な面持ちで隣を見る。
「…………つーか。教室でほとんどクチきいたこともない塚本がよくそんなこと知ってたな」
理数系やら文系やら――成績云々どころか、そもそも他人というものにハナから興味がない人物だと思っていただけに、正直かなり意外な思いにとらわれていた。
知らぬ間に注視されてでもいたのだろうか。
そんな翔の言葉にわずかに驚いた表情をしていたかと思うと、塚本がフッと表情を緩めた。
「……嫌でも耳に入ってくんだよ。あんだけ女に騒がれりゃ」
元々切れ長の目がさらに面白そうに細められる。
苦笑交じりの塚本の台詞に、周りの少年たちは何やらピンとくるものがあったらしく――
「って、あー! 翔かよ、A組のやたら女にモテる奴ってのは!?」
とたんに翔一人を取り囲み、詰め寄り始める。
「何!? 入学してからオンナ五十人は軽く泣かせてるっていう……奴か!?」
「俺の友達も彼女盗られたって言ってたけど、あれ翔のことかっ!?」
「翔のことだ」
人に見つかってはマズイはずの状況を忘れて大声で捲し立てる三人を諌めようともせず、塚本はけろりと親指を向けてきた。
「ちょ、ちょっと待て。その噂とんでもなく飛躍してるぞ。俺、誰かの彼女盗った覚えはねーし五十人泣かしたなんて記憶もねーぞ……」
半分本気で殺気を感じた翔がたじろぎつつ弁解を試みるも、
「んなこたぁ、どーでもいいんだよ!」
「そーだ! 問題はおまえがモテるってことなんだから!」
「ちきしょー! おめーみてーな奴がいるから、あぶれる男が出てくんだよ。フザけてんじゃねーぞ?!」
まったくその甲斐もなく、支離滅裂な理由でジリジリと迫られ――
「や、やめ……っ、うげーーーっ!!」
ブチ切れた三人に羽交い締めにされることとなった。
「つ、塚本ーっ! 見てねーで助けろー!」
「自分で蒔いた種だ。テメーで何とかしろ」
この話題に転じた張本人がよくも涼しげに言えたものである。
「俺が何したってんだーっ!?」
「何いいいい!?」
「まだ言うか!」
「女、独り占めしようったって、そうはさせねーぞ!」
「しようなんて思ってねーよっ!」
――――約三分後。
「……言っとくけど。俺そんなにモテねーぞ?」
ようやく解放されて、翔は締め付けられた首まわりをさすりながら未だ興奮の冷めやらぬ三人を恨めしげに見遣った。
「ぬぁにいいいいい!?」
「よくもいけしゃあしゃあと!」
「ま……っ、待て! 頼むからヒトの話を聞け! なっ!?」
一触即発の空気を肌で感じ、再度立ち上がろうとする三人をなんとか踏みとどまらせてホッと息をつく。
げんなりと密かに宙を仰ぎ見ながら……ではあるが。
「……だって俺の知ってるヤツでさ、ハンパじゃなくモテる男がいるんだって」
「翔よりもか?」
「俺なんか全然メじゃねーよ」
「――――」
わずかな驚きで、塚本までもが微かに目を見開いた。
「成績は良いし、足は速えし、性格は良いし、んで見栄えまで良いし? もう、とんっでもなく女が寄ってくるんだコレが。それでいて、そんな自覚だけはあんまナイって言うか……」
も、お手上げですわ、と翔は軽く肩をすくめてみせる。
「おまけにマジですげえイイ奴でさ……。誰が何しても許しちまうような……」
わずかに伏し目がちに言い放った最後の台詞に、塚本以外の三人がうぐぐと顔をしかめた。
「ホントにそんな男がいんのかよ……。か、完璧すぎる……」
「どんなに性格良くても、やっぱかわいくねーな」
「どこのどいつだそれは! 洸陵の奴か?」
「あ、いや。1コ下でまだ中学――」
「年下かーーーーーーっ!? 余計かわいくねーなっ!」
異口同音で遠慮なく叫び散らす三人をよそに、隣でコンクリートにたばこを押し付けながら、けどよ、と塚本が口を開いた。
「俺から見たらそんなに変わりねーぞ、翔とそいつ。似てんじゃねえ?」
「――『似てる』……?」
微かに目を瞠る翔を見据え、抑揚の少ない声で静かに続ける。
「似てるよ。話、聞いてる限りじゃな。自分のこと言ってんのかと思ったぜ」
んだよなあぁ結局は自慢だよなああぁ?と引きつり笑いを浮かべながらまたもや何かのスイッチが入ったらしい三人に構わず、塚本は淡々とさらに言を継いだ。
「――だからわからねえ。そういう翔がなんで突然こういうふうにヤケ起こしてんのか」
「――――」
沈黙はほんの数秒。
鋭く、あるいは驚いて返されるだろうと思われた翔の視線は、一瞬ひどく何気なく塚本を捉えた後、再度ゆっくりと伏せられた。
「……別に……ヤケ、起こしてるわけじゃねーよ」
「……」
反応を窺うように無言で翔に視線を当てたまま、塚本がゆったりと煙を吐き出す。
「でもよ、そういや最近だよな、翔がここに来るようになったのって」
目の前で別な少年が他の二人を見返った。
「ああ、びっくりしたよなあん時は。見るからに真面目そうな奴がいきなりフラッと通りすがって……。あのまま密告られてもおかしくねーと思ったのに『俺にも一本くれる?』だもんな」
「……」
「何かキッカケとかさ、あったんじゃねえ?」
「心境の変化か?」
「アレだ、あんまりモテるその完璧男にブチ切れて、イイ子でいるのがメンドーになったとか?」
「…………そうかもな」
塚本の視線を未だ横顔に感じながら、膝上に頬杖をついたまま翔は静かに苦笑した。
目線はコンクリートに落としたまま――。
表情を隠す長めの前髪がさわりと風に揺れた。
「……けど。もともと大した人間じゃなかったってだけの話だよ」
自嘲気味に口の端だけを上げる翔に何を思ってか、結局塚本は口を開こうとはしなかった。
間もなく、敷地内一帯に響き渡った厳かなチャイム。
三時限目の授業が終了したらしい。
「……じゃ、俺行くわ」
ほとんど吸っていないたばこの火をコンクリートで押し消し、億劫そうな表情を残しながらも翔は立ち上がる。
「おう」
「まったなー」
「何だおまえ、四限出るのか?」
「どうすっかな……」
伏せ気味の曖昧な笑顔のまま、軽く答えてみせる。
「……んじゃ、またな塚本」
「ああ」
すでに歩き出していた翔が、後ろ姿のままひょいと片手を上げた。
その姿がじゅうぶんに遠ざかって東棟の向こうに消えかかったころ、塚本がポツリと口を開く。
「…………心ここにあらず、だな」
「んあ?」
残りの男子生徒たちがキョトンとそれぞれの顔を見合わせるなか。
塚本は何ごともなかったかのように何本目かのたばこを取り出し、器用に火をともしていた。




