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陽だまりにて待つ!  作者:
第5章 Trèsor――追憶のはざまで――
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悪魔だったの!?(4)




 駆け下りたいのはやまやまだが、そこはやはり他人の家。

 そろりそろりと、だがなるべく急ぎ足で階段を下り、キッチンへと駆け込む。 

 

 そのままリビングと一続きになっているダイニングキッチンには、無垢材の大きめテーブルに椅子が四脚。


 四人家族なのだろうか。


 横目でそんなことを思いながら「失礼しまーす」とシルバーメタリックの大型冷蔵庫を開ける。

 幸いペットボトルのミネラルウォーターはあったが、もう残り少ない。

 他にすぐに口に入れられそうなものも――――見当たらない。


(一人の時はごはん、どうしてるんだろう? お弁当かな……)


 炊飯器も涼しげにキッチンカウンターの中段に鎮座している。お釜ももちろん空っぽ。

 が、米はあるようだ。


 とりあえず水を飲ませにいったん上に戻って、それから台所ちょっと借りておかゆでも作るか。

 あ、でも水分補給用に何か買いに出なきゃだから、その時に何かすぐにでも食べられるものを買ってきたほうが……。

 などと、ざっと脳内で段取りを組みながらグラスにミネラルウォーターをなみなみと注いだ。

 そこに食器棚の引き出しから発掘した長めのストローを挿し、急ぎ足で二階の部屋に引き返す。


 ――と。


 気のせいか、翔の呼吸が先ほどよりさらに荒く速くなっているように感じられた。


 これは、早々に何か胃に入れて薬を飲ませなければ。

 というか薬……? 薬はどこだろう。


「早杉さん、はいお水」


 今の彼は喋るのもかなり辛そうだし、勝手に家探しするよりは駅近くのドラッグストアまで戻って買ってくるか。

 確か黄色と青がまぶしいあの店の前通ってきたよね……と考えながらベッドサイドに膝をつく。


「一口でもいいから飲んでください。起きなくていいから。はい」


 そのために探してきたストローを口元に向けてやる。

 あっ、角度が微妙。曲がるストローも買ってくるか……という焦りは心の内だけに留めておく。


「面倒くせえ……」

「飲み込むぐらいしてください! 口開けてペットボトル突っ込んでほしいですか?」

「ひでえ……」


 耳はちゃんと聞こえているようでとりあえず安心はするものの、どの辺まで意識がしっかりしているのかはわからない。

 軽く笑ってくれる声もカラカラで、すぐに苦し気な呼吸音に取って代わるし、ほとんどうわ言のようなものなのでは?という気にもなってくる。


「あたしの口移しよりはマシでしょ! ほら早く!」


 その苦しさをすぐにでも和らげてあげたいのに、と思うと居ても立ってもいられなくなり、つい声を張り上げてしまった。


 と――。


「あー……そっちがいい」


「――」


 危うくグラスを取り落としそうになってしまった。


(び……ビックリした……)


 彼が朦朧としてゼーハー言いながら目を閉じてくれていてよかった、と今この瞬間ばかりは心底思ってしまった。(苦しんでるのに、ご、ごめんなさい……)

 今自分の顔はゆでダコに引けをとらないくらい真っ赤だろうから。


(お、おおお落ち着け。落ち着くんだ……!)


 必死で胸中沈静化を図りながら、それでもようやく顔を向けて開いてくれた口元へとストローを寄せてやる。


 つまらない冗談を言った自分も悪かったのだ。

 そう。相手は熱出し小坊主。

 何言ってるか本人だって恐らくわかってないだろうし、しっかり完治して目覚めた時には何も憶えていない、とかいうよくあるパターンに違いない。


 き、きっとアレだ。

 相手が自分だということさえ意識からすっ飛んで元来の女の子好きーなアレが顔を覗かせているだけなのだ。

 でなければ……そうだ、今一緒にいるのは瑶子だと勘違いされているとか――


(…………なワケないですね。図々しすぎました、ごめんなさい)


 勘違いされる要素なんてヒト欠片もないですねハイ……と項垂れて締めくくっている間に、熱出しイケメンは一口どころかグラス半分ほど吸い上げてくれていた。

 大きく息をついてゴロンと枕に戻る翔を見て、ようやく少しだけ安堵する。

 これで少しは落ち着けるかもしれない。


「えっと……じゃ、あたしちょっとだけ出てくるんで。何かあったら呼んでくださいね。あ……喋れなくても、コレ鳴らしてくれれば」


 薄っすら開いた目の前に軽く携帯をかざして見せてから、そっと枕元に置いてやる。

 こうなると、一昨日連絡先交換しておいてよかったと心底思う。


「あ、あとお水もここ、置いときます。頑張ってなるべく飲んでくださいね?」


 ヘッドボードの平らな部分にグラスを置くと、返事なのか呻き声なのかわからない短い声が聞こえた。

 すでに寝入るモードに入っているらしい様子に少しだけホッとして、彩香はそうっと立ち上がった。







 総合感冒薬(少しだけ熱に特化したもの)と熱冷ま○ート、レトルトのお粥(突然上がり込んだあげく台所使って勝手に何か作るなんてさすがに図々しすぎる、と我に返った)、その他諸々を買い求めて、再び超特急で早杉宅へ駆け戻る。

 正確に測ったわけではないが時間にして二十分弱といったところか。 

 ん? なんか自分、部活中よりいい動きをしてるのでは?と思ってしまった。


(ま、まあしょうがないよね。好きなヒトが大変な状況だときっと誰でもこんなもの……)


 誰に向けるともなしに言い訳をしながら二階左側のドアをそっと開ける。

 部屋の住人は出掛けた時と変わらず――どころか、思いのほかぐっすりと眠りこんでいるようだった。

 そんな様子にホッと一息つき――――かけたものの。


 すぐ傍まで歩み寄って初めて、汗がすごいことに気が付いた。

 額も首回りも、おそらくは服の下も――かなり汗ばんでいるものと思われる。

 やはり暑すぎたのかもしれない。掛け物のチョイスを間違えたか。

 拭いてあげるなり着替えさせるなりしないと、このままでは濡れた服でまた身体を冷やしてしまう。


(き……着替え――あ、あたしが? む、ムリ! ……せめて拭いてあげるとかなら……。いや、でも自分なんぞが――そ、そんな……いいのだろうか? 今からでも瑶子さんに助けを求め――――るなんていやいや絶対もっとムリだ! 逆に怖い嫌だ死ぬ)


 どうしたものかと唸りながら必死で考える。


 そうだ。どうしても困ったら連絡するように沖田侑希に言われたのだった。

 一緒に居る柚葉に電話して彼に代わってもらうことも考えたが、今は一分一秒が惜しい。

 祈るような気持ちで画面をタップすると、彼への電話はすぐに繋がった。


「あ、沖田くん? よかった、すぐ出てくれて。ごめんね邪魔して。あのさ――」


 心底ホッとして、かくかくしかじか翔の汗の処理をお願いした。

 ……のだが。  


『ええ? やだよ気持ち悪い』


 身も蓋もない言葉で朗らかに拒否られた。


(気持ちわる――って、大事な幼馴染兼友人じゃないんかい?!)


 どういうことだ、これは?! 侑希()はいったいどうなってしまったのだ! 柚葉以外の人間はどうでもいいということかっ!?


「ちょ……沖田くんヒド――!」

『ああごめん。そういう意味じゃなくて。西野が拭いてあげればいいじゃん。男にされるより翔だって絶対そっちのほうが喜ぶって』


「い……いや、そんなはずは……。いくらなんでもあたしごときがさすがに――」

『あれ、電波状況よくないなあ。聞こえなーい。じゃあねー、そういうことで頑張ってね』


 爽やかにプツリと通話が切られると同時に、堪忍袋の緒が切れた。


(こ……この悪魔王子がああああ!! いくら親友の彼氏でも許せんアイツ!!)


 いや落ち着け、ヤツへの報復についてはまた後であらためて考えるとして。

 逆巻く怒りと炎をどうどうどう……とどうにか鎮める。

 幼馴染に頼れないとなると、もう自分でやるしか……。

 そう、今はとりあえず差し支えない場所の汗を拭いてやらねば。


 先ほど目にしたクローゼット内のチェストからフェイスタオルをひっぱり出し、急ぎ翔の傍へととって返す。


「し、ししし失礼します……」


 手始めに額からこめかみ、頬や顎、首まわりへとやわらかいタオルを押し当てて水気を拭き取っていく。

 起こしてしまわないようにと、なるべくそっと細心の注意を払って。


(あ、でも胃に何か入れて薬飲んでから眠ってくれたほうが、本当はいいのかも……)


 そう思うと、目が覚めてほしいのかほしくないのかわからなくなってきた。

 まあ起きちゃったらそうしよう、と心に決めて続行するも――

 すぐに壁に突き当たってしまった。


 襟ぐりから拭けるのはここまで――頑張っても首までが限界で。

 鎖骨から下(うっ!)はどう考えてもスウェットをたくし上げてじゃないと無理そう――。 


(うっ……うわあああああぁぁ!)


 この腕にお姫様抱っこされたのか!この肩やら胸やらに密着してしまったのか!と思うと謎の興奮と動揺が目眩や熱となって襲ってくる。


 ――が。


 いくぶん和らいだように見えるものの、依然苦しげな呼吸と汗ばんで紅潮した翔の顔が、あっという間に正気に戻してくれる。 


「……」


 自分ごときのつまらない動揺でこのヒトの具合を悪化させてしまってはいけない。

 彼だってきっとものすごく嫌だったろうに、倒れた自分を運んでくれたというではないか。


(い、いやっ……あたしはっイヤなわけじゃなく……っ。変態なわけでもなく! ただひたすら申し訳ないというか、分不相応なのにごめんなさいというかっ! で……でもこのままじゃ――)


 折れてへたりこみそうになる心を必死で支えながら、ぐったりと眠り込む大好きなヒトの顔を見下ろす。



 後でどうからかわれようと罵倒されようと、たとえすっかり呆れられて嫌われようと。

 今度は自分が彼を助けなければ。

 今できる精一杯のことを、このヒトにしてあげなければ――――。


 そう自らを奮い立たせ、きゅっと唇を噛みしめて彩香は再びタオルへと手を伸ばした。








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