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陽だまりにて待つ!  作者:
第4章 点と線
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長い夜は未だ終わらず(4)




「?」


 やはり何やら空気がおかしい。……気がする。

 朦朧と、だがしっかり部屋の端から端へと視線を巡らせて彩香は首を傾げた。


 二人を眺める柚葉まで少し困ったような微笑を浮かべている、この状況を明らかに妙だとは感じるのだが――――

 今はその判断にも自信がない。

 よって余計なことを言わず、そのままぼんやりと彼らを見送ることにした。

 こんな寝たままですみませんすみません……と心の中で謝罪を繰り返しながら。



「――とは言ったけど」


 ふいに、言いながら侑希が、ドア横に佇む柚葉の前でピタリと足を止める。


「ヤバい。俺帰りたくないかも」


「「「!?」」」


 柚葉を見下ろしたまま蕩けそうな笑顔で投下した爆弾発言に、三者それぞれの顔色でぴきりと固まった。


おまえは……。見てるこっちが恥ずかしくなんだろっ! 帰るぞおらっ」


 柚葉からベリッと引き剥がす勢いで侑希の首根っこを掴み、翔が呆れたように声を張り上げながら廊下へ引っ張っていこうとする。


「えー久しぶりの再会なんだからさー。ちょっとくらい……。昔一回だけ泊まったこともあるし。確かそうだよね? 柚」


「おまえはもう小さくて可愛い『侑くん』じゃねーんだよ、自覚しろっ! それでなくたってさっきからおかしいんだから、危なっかしくて置いてけるかっ」


「その『おかしい』って意味わかんないんだけど……」

「わかんねー時点ですでに普通じゃねーってことだろがっ。おら行くぞっ」

「ひどい……に何か言われた」

「ああああ!?」


 唐突に降ってわいたにぎやかで珍しい攻防戦に、気付けば柚葉と二人視線を合わせてクスクスと笑っていた。

 こんな空気も柚葉の笑顔を見るのも何日ぶりだろうと思うと、温かな感情が込み上げるとともにじわりと目頭が熱くなる。


「あ、いいよ、ここで。西野についててやりな」


 ついに帰る決意をしたらしい侑希(当然だ)が、見送りにと後に続こうとした柚葉を手のひらと笑顔で優しく制していた。

 何もかも緩みまくって蕩けそうな彼の中にも、とりあえず友人への気遣いや優しさといった理性的な部分が(いくらかは)残されていたらしい。


「おばさんたちにも挨拶していくからさ」

「うん」


 そして。

 名残惜しそうに数秒見つめ合っていたと思ったら。


「――」


 自然な仕草で手に取った柚葉の左手を、きゅっと握りこんでいた。


「じゃまた明日。あ、いや後で電話する」

「う……うん」


 もっしもーし! 他の人間見えてますかー? まだここに外野いますからねー!?


 ……と、もう少しで高熱を押して叫んでしまうところだった。

 それほどまでに今、あそこのドア付近は危険地帯――『二人の世界』と化している。

 ありえない小花が舞い、ほのかにピンク色の何やかやが漂っているように見えるのは、決して高熱だけのせいではないはずである。

 絶対絶対そのはずである。


(うわあ……うわあああ……何か遠慮なく垂れ流してるよあそこの二人……)


 見ているこちらが恥ずかしくなると言っていた翔の言葉が本当の意味で腑に落ちた。

 も、もしかして今後ずっとこんなのを見せつけられるのだろうか?


 その向こうでは、ピンク色にすっかりあてられて脱力加減が半端ない状態になっているらしい翔が「勘弁してくれ……」と、げんなりと壁に取りすがっていた。


(ち……力いっぱい同感です……。う、嬉しいんだけど……これ、キツイなあ……)


 見るに耐えない光景から逃れるべく、もういいよ……と真っ赤な顔でさらに布団に潜りかけた時。


「――――うわ、やっぱダメ。玄関まで一緒に来て、柚!」


 切羽詰まったような懇願を口にするやいなや、握っていた華奢な手を強く引いて王子が歩き出していた。


「え……あ、ちょ……こ、ここれ……っ」

「ああ西野のタオルね。翔、ハイお願いねー。先行ってるよー」


「……ハイハイ」


 早くも姿が見えないばかりか言葉半ばですでに声がどんどん遠のいて行っている(気がする)のはどういうことだろう……。

 あれ? 友人への気遣いは? 理性どこ行った?


 どうやってか無事に受け渡しが成功していたらしいトレイを抱えて、やれやれとばかりに翔が再度部屋に入ってくる。


(す、すいません……あたしのせいで。お手数おかけしまして……)


 ここで再びの謝罪はさすがに重すぎるだろうか?

 喉の奥に押し止めたまま言おうかどうか考えあぐねているうちに、ベッド横にコトリとトレイを置いて翔が盛大に伸びをした。


「んじゃっ俺も行くわ。熱下がらんかったら明日の部活休めよ? あ――……や。下がっても休んじまえ」

「えー……熱あっても跳びたいです……」


 早杉さん(このヒト)の顔も見たいし。


「――どう罵倒してやったらその無茶なやる気失せっかな、おまえは?」

「う……わ、わかりました……休みますううぅ」


 卒業までの数ヶ月(いや違う、引退までの数ヶ月だ……!)ひっそり見さしてくれたっていいじゃないか。

 どうせ眺めてるだけだから。ちゃんとあきらめるから。……たぶん。


 わざとらしくシクシクと泣き真似(半分本気で悲しいが)をしていると。

 見下ろす翔の目がふっと安心させるように細められた。

 

あいつは引きずってでも病院連れてくから。心配すんな」


「あ、はい。すみません……おねがい、します」

「たぶんホントに大丈夫だろうけどな。――んじゃ、な」


「あ……は、早杉さん」

「ん?」


「あの、ありがとう……ございます。いろいろ……」


「おう。――――つか、こっちこそな」

「え……」


(あたし……何かしたっけ?)


 力強い後押しで侑希の病院行きを取り付けてくれたり服を貸してくれたりと、こちらが一方的に世話を掛けてしまっただけで、逆にお礼を言われるようなことは何ひとつしていない――と思うのだが。

 ぼんやりと宙に視線を彷徨わせたまま少しだけ傾けた頭が、大きな手のひらによってくしゃりと一撫でされた。


「たぶんわかんねーよ。いい。休め。じゃあな」


 そうして。

 おそらく無意識であるだろう例の穏やかで優しい表情でクスリと笑いかけると、今度こそ翔は部屋を出て行った。







「大……丈夫?」


 にぎやかな気配が玄関先から消えてすぐ。

 戻ってくるなり入り口で柚葉がおずおずといった体で声をかけてきた。


「うん……」


 回らない頭に呆れながらも、よかったもう話してもいいんだ……と今さらな安心感があらためて込み上げてくる。


「ごめんね……あたしのせいで熱、出させちゃって」

「あ……ううん。こっちこそごめん、心配かけて。……しかもベッド取っちゃって」


 付け加えた言葉にクスリと伏し目がちに笑い、柚葉がゆっくりと枕元まで歩み寄ってくる。


「……なんか、すごい一日だったね」 


「ん……そだね。……長かった」


 すぐ横に膝をついてトレイに手を伸ばす様子を眺めながら、今日一日もそうだったけれど……とぼんやりといろいろなことを思い返していた。

 

 今日だけの話じゃなく、柚葉にとっては本当に――

 ここにくるまで本当に気の遠くなるような年月だったわけで……

 

「――彩香? どうしたの? 苦しい?」

「え」 


 替えの濡れタオルを手にしたまま柚葉が心配そうに顔を覗き込んできていた。

 気付いて横に顔を向けると、熱い滴がいくつも頬を滑り落ちて枕を濡らしていく。


「あ……あ、あれ? ……なんか……良かったなあ……って思ったら」 

「――」


 沖田侑希が――『侑くん』がようやく思い出してくれた。

 思い出しただけじゃなく心から柚葉のことを大事に思っているのが伝わってきて――もう手放しで嬉しいと思えた。


 すでにあふれさせてしまっているのに、喉の奥からさらに熱い感情が込み上げてくる。

 涙も嗚咽ももっと出せとせっついてくる。

 ああああもういいや、素直に泣いてしまえ、と開き直ることにした。


「ご、ごめ……嬉しくて……。良かったね柚葉。ホントにほんっとに……良かったね? すご……っすごく、待ったもんね……っ」

「彩香……」


 柚葉がどれだけこの日を待ち望んだかと思うと。  

 もしかしたら心のどこかでは本当にもうあきらめかけていたのかもしれないと思うと――。


 嬉しくて嬉しくて、あっという間に思いはあふれた。

 自分のことではないのに、こうも馬鹿になって泣けてしまうのはなぜなのだろう。

 けれども他にどうしようもなくて、良かったねとしか言えなくて……他に気の利いたことひとつ言えなくて。

 情けないけれど胸が熱くて苦しくてたまらなかった。 


「う……は、鼻水が……。ゆ、柚葉ティッシュくらはい……」

「ごめん……。ごめんね彩香……!」


 グスグス泣き笑いしていると、目に涙を浮かべて柚葉が声を上げた。


「……え?」

「ごめん。ほんとヤな奴だったねあたし……」

「え――なんで……柚葉が謝ってん……の?」


 当然のことながら、謝られる理由に心当たりがない。

 しかも『ヤな奴』などという表現から最も縁遠いのがこの親友ではないだろうか、と彩香は真面目に頭を傾げる。

 意識がない間に何かあった……? それともその前の段階で何か――?


「ううん、大丈夫……。もういいの」


 キョトンと見つめ返すばかりの彩香に思い直したように首を振り、柚葉が目尻を拭って明るく笑ってみせる。

 

 何かを吹っ切ったようなそんな微笑みを眺めながら、気付けばもう一度、ゆるゆると今日起こったことを思い返していた。

 そう言えば今日、他にも誰かに謝られたような気がしたのだ。

 誰だっただろうか――。


(いや……誰ということなく、何人にもそんなふうに謝られたような……。でも、なんでだっけ……)


 熱でもうかなり曖昧になっている記憶。

 やはり今日これ以上の考え事はするな、ということなのだろう。


「でも、あたしもすごく嬉しかったよ。彩香も良かったなあ……って」


 一息ついてタオルを替えてくれながら、柚葉がはにかむように口を開いた。

 新しい濡れタオルがひやりと心地良い。


「え?」


「彩香、今日いっぱい早杉先輩に心配かけたでしょ」

「あ……」


 車の前に飛び出してしまった件を聞いたのか、と思うとバツの悪い思いがじわじわと湧いてきた。


「あと急に目の前で倒れちゃった、って……。先輩、彩香のことすごく心配してくれてたよ?」

「……う、はい……ばっちり怒られました」


 そうか……憶えてはいないがやはり、と電池切れ寸前で途切れたままだった記憶に思いを馳せる。

 飛び出しの件ばかりではなく、さらに無駄に心配かけるようなことをしでかしてしまっていたらしい。しかも目の前で。

 それじゃああの怒りモードも納得だわー……とバチあたりにも薄い笑みがこぼれてしまった。

 

(……あれ? で――その後……どうなった、の?)


「怒るほどものすごく心配してくれたってことでしょ」


 ふと思い至った疑問に軽く目を瞠る彩香に、当然でしょとばかりに柚葉。


「だから……ほら。あきらめる必要なんてないんだってば」


 ずっとそう言ってるでしょ?

 そう微笑んで近付けられた親友の顔はこの上なく優しかった。







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