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陽だまりにて待つ!  作者:
第4章 点と線
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長い夜は未だ終わらず(1)

     



 意識が浮上して真っ先に感じたのは、わずかな頭痛と全身の倦怠感。

 やわらかな布団に包まれているらしいのに悪寒もする。額に乗っている何か冷えたもののせいだろうか……?

 自身の吐く息さえ心なしか熱く荒く、ようやくはっきりと違和感を感じて彩香はゆっくりと重いまぶたを持ち上げた。


 ぼやけた視界に映し出されるのは、蛍光灯に照らされた室内。

 どうやら自分のではないベッドの上に横たえられているらしい。


(え……いつの間に……?)

 

 見上げた天井もマンションの自室に比べるとやや低く、色も――……


「彩香ちゃん、起きた? 気分は?」


 次第に焦点は合ってきていたものの、思うように状況把握が進んでいなかったところに、聞き覚えのあるやわらかな声が降ってきた。

 目線を移すと、すぐ横には柚葉とよく似た面差しの穏やかな微笑みをたたえた女性。

 心配そうな顔でベッド脇に膝をついた高瀬千草である。


「……柚ママ」

 

 そうだ、見覚えがあると思ったら……何度か泊まりにきたこともある柚葉の部屋だ。

 おぼえのある暖かい色味の壁紙や家具が目に入って、懐かしさに思わず安堵の息をつく。顔を動かしたとたんに鈍い頭痛も走ったが。


(でも、どうして……。え、あれ……? 泊まりに来る約束なんか、してたっけ……)


 回らない頭でぼんやりと考えながら、そのまま足元よりもさらに先――部屋のドア付近へと潤んだ視線を巡らせかけ、


「――」


 わずかに見開かれた目が数秒間――

 瞬きもせず、そこにいたもう一人の人物に釘付けになる。

 

「!?」


 はっきりと認識するなり、思わずがばりと身を起こしていた。


「は……早杉さん……?」

「おう」


「な、な……なん……どこ……ど」


(なんでこのヒトが柚葉の部屋(ここ)に? どこからどうなって今ココ……? あ、あれ?)


 疑問は山のように湧いたが、意外な場所にいる意外な人物に対して口から出るのは荒い呼吸のみで、一つもまともな言葉になってくれない。

 いつかもあったなこんな状況……ということだけは、薄っすらと頭の片隅で思い出していた。


 というか――彼はなぜそんなに離れたところに座っているのだろう?

 しかも返事はしてくれたが、その表情はどことなく憮然としているようにも見えて……。


「ああほら無理しないで。おとなしく寝てなさい」


 軽い混乱に額を押さえたところ、困ったような千草に肩に手を添えられて枕に戻るよう促された。

 実際飛び起きた拍子にグラリと大きく視界が揺れたし、布団から飛び出てしまった腕や肩が異様に寒い。

 ここは大人しく従うことにする。


「本当にごめんなさいね? 雨の中、柚葉(うちの子)探して走り回ってくれたせいで……」


 布団をかけ直して額に濡れタオルを戻してくれつつ、何やってんのかしらあの子ったらもう……とわずかに怒りモードの千草。

 その言葉に、ぽつりぽつりと一つずつ、今日一日で起こった出来事やさまざまなセリフが緩やかに蘇ってきた。


(ああ、そっか……。そうだった……雨の中で、柚葉と沖田くんがやっと……)


 嬉しい気持ちとともに脳裏を駆け巡るのは、先ほど公園で目にした光景。

 記憶を取り戻した侑希にしっかりと抱きよせられる柚葉の姿。


 気付けば温かな気持ちとともに締まりのない笑みがどんどん込み上げてきた。

 本当の意味で再会を果たせた二人のことを思うと無理もないでしょ?と声を大にして言いたいくらいの。


 これが喜ばずにいられようか。

 すこぶる悪い体調に反比例して気持ちだけは晴れやかに……どころかぐんぐん急上昇といった感じだ。


(……で) 


 それはいいのだが。

 問題はその後だ。


(そこから何がどうなって、今ココ……? 確かあの後すぐ『ヤバい電池切れそう』って思って……。思って……それから――?)


「ダメよ。ゆっくり休んで?」


 冷静に今のこの状況に繋げようとした記憶と思考が、おっとりとした千草の声で優しくふつりと切られる。


「少しお熱が高いみたいだから、今日はこのまま泊まっていきなさい。すずちゃんには連絡しておいたから」


 鈴――鈴音すずねは母の名だ。

 今さらながら、気怠い全身に意識を向けると。

 濡れて冷えきった体はきれいに拭かれて、陸部バッグに入れておいた替えの白Tシャツに着替えさせられ、手足のあちこちにあった打ち身や擦り傷などもしっかり手当てされているようだった。


(って、あれ……? じゃあ早杉さんのシャツは?)


 借り物のカーキ色シャツがすぐ側に見当たらないことに気付く。

 翔を見ても、貸してくれた時と同様Tシャツにジーンズ姿。すでに代わりに返却されているといった様子でもなく……。


 まあそれは後で訊けば済む話か、と彩香は朦朧としながらも無理やり気分を切り換えた。

 どっちにしてもきちんとクリーニングに出してお礼もしなければ、と思っていたし。

 今はそれよりも――と気持ちだけでもかしこまって千草を見上げる。


「……ごめんなさい、迷惑かけちゃって」


「何言ってんの、こちらこそだわよ。お腹は? 空いてない?」

「あ……はい、今は……」

「じゃ後で持ってくるわね。ちゃんと何でも言うのよ? あ、携帯そこ置いといたからね」

「はい、すいません……」


 指された枕の横。手探りで固く冷えた感触にたどり着く。

 画面を確認すると、時刻はもう二十一時を大きくまわっている。

 決して早いとは言えない時間だが、なんとなく体感ではもっと深夜近くという気がしていた。

 今日一日でいろいろなことが――本当にたくさん起こりすぎたからだろうか。

 すでに止んでいるのか外の雨音は聞こえなかった。


「……柚葉は?」


 ふいに、先ほどから一向に姿を現さず気配すら感じさせない親友の動向が気になった。

 たとえ喜ばしいことがあろうがそれはそれ。やはり会いたくない、と思われているということだろうか。

 もしかして冷戦続行、仲直りなど論外という決断でもくだされてしまった……?


「ああ、何か忘れ物したとかで、侑くんと学校にね」


 明るい千草の声で、翳りかけた思考が一瞬で霧散する。


(『侑くん』と……)


 そうか、幼馴染ということは……と思わず口元がほころんでしまった。

 それはそうだ。千草も幼い侑希を知っていておかしくはない。

   

「そろそろ戻って来るころだと思うんだけど……」


 ちょっと遅いわねあの二人……そう続けて千草が掛け時計を見上げた時、ちょうど階下で電話が鳴りだした。

 あらあらあの子たちかしら、と心なしか嬉しそうに千草が立ち上がる。

 そのまま部屋を出て行きかけて――

 ふわりと微笑んで、ドア前に陣取る長身を振り返っていた。


「あと、頼んじゃっていいわよね、早杉くん?」


「…………うっす」


 気のせいだろうか。

 なぜかさらに憮然とそっぽを向く翔。

 そんな彼に、妙に含みを持たせたような余裕の笑みで「お願いね」と残し、たおやかな美魔女は満足そうにパタパタと一階へと降りていった。


 結果――

 ドアは開け放たれているとはいえ、翔と二人きりになってしまった。


(……えーと……。まあ不可抗力ってことで……)


 いつもなら彩香にとって「早く離れなければ!」と内心大騒ぎ大あわてとなるこのシチュエーション。

 起き抜けなうえに熱があってかえってよかったかもしれない……と薄ぼんやりと考える。

 必要以上に緊張感や罪悪感といったものに苛まれることなく、こうしてのほほんと夢見心地でいられるのだから。

 場所も個人宅の一室で、誰の(特に「彼女」の)目があるわけでもないし。

 今はとにかくゆらゆらふわふわと、良い気分だった。


 先ほどからにこりともしないイケメンが少しだけ気になるといえば気になる、のだが……。


 朦朧としながらもちろりとドア付近に座り込む翔に目線を向ける。

 チャラ男と見紛うほどの軽薄な笑みは、ほぼ初対面の人間に対しては標準仕様ではなかったのだろうか。

 実際病院で母――鈴音に対してもわりと気安く軽いノリで受け答えしていたような気がするのだが……。

 それも勝手な思い違い、だったのだろうか?

 


「憶えてっか?」


 ふよふよ温かな空気に身を委ねてちょっとした疑問に頭を悩ませている彩香に、ごく短く翔が問いかけてきた。

 ここに至るまで何があったか憶えてるか、ということなのだろう。   


「うん……あ、はい」


 もちろん憶えている。

 あんなに嬉しくて感動的なこと、忘れるわけがない。

 公園で寄り添って立つ二人の姿もはっきりと目に焼き付いている。

 沖田侑希がようやく柚葉のことを思い出してくれた――。

 熱にうかされつつもさらに怒涛のように幸せな気持ちが満ちてきて、思わず笑ってしまっていた。


(そして、思い出したということは……)


 にへら、と我ながらそれはそれは締まりのない気持ちの悪い笑みを浮かべていたと思う。

 思うが、本当にどうしようもなく嬉しかったのだからしょうがない。


「あのなあ……おまえ笑ってっけど、もう少しでマジで――」

「うへへへ」


「……うへへへ、って」


 眉をしかめて呆れ気味に何か言いかける翔の言葉も気にならないほど。

 心の底から安堵してしまっていた。

 良かった。侑希も柚葉も。

 本当に良かった。

 月並みだがそうとしかもう言いようがない。


 そして何よりも――


「良かったね。早杉さん」

「――」


 正直、彼がもうあんな苦しみを背負わなくてもいいのだということに心底ホッとしていた。

 ようやく罪悪感から解放されたのだと、もう辛い思いをしなくていいのだという事実がたまらなく嬉しい。

 本当は――それを声高らかに言う権利もないし、ともに喜べる立場でもないのはわかっているけれど。

 それでも言わずにはいられない。


「良かったね?」


 目を見開いたまま固まっている相手に、おやと思いながらも再び同意を得んと繰り返していた。

 熱と嬉しさのせいかすでに敬語もぶっ飛んでいることさえ、今の彩香には当然気付けるはずもない。

 

 なぜかめちゃめちゃ驚いた顔で見られてるような気がするが。

 あれ?なんか珍しく素直だな自分……とも思ったが。

 もしかして変なこと言ってるのか?とまで思ったが。


 気にしない。

 ま、いいか全部熱のせいにしとこう。

 こうして朦朧としたままであれば、いつまでこの格好いいヒトを直視してても怒られなさそうだし。

 そう考えると熱も悪いばかりではないな、などとつい呑気なことまで考えてしまった。


「まっったく、おまえはっ!」


「え……あたたた?」


 邪な思考がバレてしまったのだろうか。

 枕元までズカズカと移動してきた翔に、少々乱暴に額のタオルを押さえ付けられていた。


「こんな時までどーして()()なんだ、よっ」

「え? え?」


 逆にどうして?とぱちくりと瞬きを繰り返す。

 なぜ少し怒った感じになっているのか、わからない。「そう」って……「どう」?


(あ……でもヤバい。こんなんでも何か嬉しいかも……)


「つか、目離すとマジでろくなことしねーな」

「へ? ご、ごめんなさい……?」







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