悩みの種
最近は店に人が来たことで個人的にも毎日のモチベーションというものが向上しているのだが、現実問題来ているのは女の子ひとりだけなわけで、アイテムショップとしてやっていけるレベルではないことは何ら変わっていなかった。
今日は月に一度の発注の日なのだが、どうせ発注したところで売れないのだから取り寄せる必要などないような気がする。でも何も取り寄せないっていうのもどうなんだろう、なんて考えていたら玄関の呼び鈴がチリリンとほのかに鳴った。
鳴らすだけで一向に入ってこない彼女が気になり玄関先まで行ってみると、運悪く雨に降られたようで濡れた髪を不満げにすいていた。ローブもしっとりと濡れてしまっており少し身震いしたミルミルは空を見上げて指差した。
「今日はさすがに天気を気にせずにはいられませんでした。せっかくいろいろ考えていたのに雨のせいで意識が雨に持って行かれてしまいました」
「うわ、すごい濡れてる!! 直ぐに中に入って、ローブも乾かさなきゃ」
呑気に構えている少女の手を取って中に招き入れ、暖炉のそばに椅子を用意する。身に纏ったローブを脱ぐ姿は雫が伝う髪をかきあげて、脱ぎ去ったあとに首を振るう。思えばローブを脱いだ彼女の姿は初めて見る。メイド達が着るような襟元にフリルのついた白いシャツに、紺色のプリーツスカート。
なんでローブを羽織っているのかわからないくらい、中に来ていた服は彼女に似合っており純粋に可愛いのだ。ローブの影が落ちて黒髪だと思っていたが、ミルミルの髪は何物にも染まらない白銀に艶めいていた。白髪なんてここらではほとんど見ない。
「そっちは着替えなくて大丈夫?」
「はい、こっちは濡れていないので。着替えて欲しいなら今ここで着替えますけど」
「へ?」
「冗談です」
ひとり話の展開についていけない僕を放っておいて、ミルミルは髪を暖炉の温もりで乾かしていた。今のやりとりは僕が遊ばれただけというなんとも悲惨な事実だけが残ったようだ。
「なんだかローブを着ていないと恥ずかしいですね」
微塵も恥ずかしさが伺えないポーカーフェイスでそんなこと言われてもまるで説得力がないのだが、顔はそうでも体は正直、表情とは裏腹に体はどこか居心地悪そうにもぞもぞと不規則に揺れていた。
「その服、よく似合っていますよ」
「……あ、ありがとうございます」
なんだこれは。うまくいっているのかおせっかいなのかも微妙なところだ。
「どうしていつもローブをまとっているの? 特別な理由があったりするのかな」
「特別というほど特別ではないですけど。一番はこの髪を隠したいことですね、続いて体型を隠したい、服のセンスを隠したいなどなど」
自分の体をまじまじと見つめながらそう続けていく彼女。髪は言わずもがな、その色が本人にとってコンプレックスなのだろう。体型はといえば、それこそ今までローブに隠れて見えなかったが、今になってみてみれば非常に恵まれたスタイルであったことがよくわかる。背丈はそれほどでもなく、彼女の歳で言えば平均的な高さのように見える。体のラインがよく出るシャツを着ているせいか、襟のフリルを押し上げ自己の存在を主張する胸、プリーツスカートに覆われた甘美な曲線に繋がるウエストライン。同性から見れば羨望の、異性からは興奮の眼差しで見られることは間違いないグラマーさんだった。
でもそんなことを言おうものならまたよくわからない反応をされ、狐につままれたような気持ちになるだけなので、やめておく。
「服のセンスも可愛いし、髪の色だって綺麗だけどね」
「やっぱり普通がいいんです。確かに最初は嬉しかったりもしましたけど、苦労したことや大変だったこともいっぱいあったんです。総じて見れば、普通が良かったなぁって」
「そんなものなのかな」
「その点店員さんは普通でいいですね。このお店がちょっと普通とは言えない感じですけど、店員さんはすごく普通です」
すごく普通って言葉、僕的には良くないニュアンスを感じ取っちゃうけど、ミルミルにはそんな狙いは無いんだろう。あんまり進んで話すような子じゃないし、言外の意味は僕が汲み取ってあげないと。
「でも僕はちょっと変わったミルミル、全然良いと思う。むしろそういう綺麗なところに惹かれたりするもの」
「……口説いてます?」
「いやいや、そんなことないよ!! 気を悪くしたならごめん……」
「なんだ、口説いてないんですか。残念」
「え!?」
「冗談ですよ」
今日はずっとこんな調子だった。本当にお客さん来ないですねと言われて、君が来てくれるだけで僕の一日の彩りが鮮やかになるよなんて言ったら、冗談も誇張が過ぎると不愉快だと言われ、雨が止まないことを話題にすれば、だからって私をこの店に留め続けることはできませんよ、なんて言われた。
別にイライラはしないし、話していて楽しいのは事実なんだけど、どこか引っかかるところがある。もちろん、年頃の女の子なのだから、からかったりからかわれたりするのはコミュニケーションの一環なのは僕にもわかる。でも彼女のはそういうのとは違うような気がするのだ。
「そろそろ雨も弱まってきたことですし、帰ります」
持っていないというので、今日は傘を買っていくことにしたらしい。ローブはまだ乾いていないためにここにおいていくことになった。
「これでまた私に会う口実を作り上げましたね、見事です」
「それはどうも。今日はなにか収穫はあったのかな」
「そうですね、まだ意味は見つけられないですけど、久しぶりに嬉しいことはありましたよ」
「お、それはよかった」
「でも店員さんは関係ないですよ」
いつも通りの返し。何を意味するのかよく分からない突き放しや誤解を生む言い回し。ミルミルはこれが極端に多い。
もしかしたら、なにか気づいて欲しいことでもあるのだろうか。
いや、《聞くべきではない》だろう。さっき言外の意思は出来るだけ汲み取ろうと決めたばっかりだ。焦らずもっと時間をかけたほうがいい気がする。
「……一つだけ、今日私勢いで一つ嘘ついちゃいました。店員さんは気づいていないと思うので、また今度来た時に改めて話しますね」
そう言い残して、白髪の少女はパタパタと走り去っていってしまった。
彼女がいなくなると、途端に店の中が静かになる。当たり前だ、僕以外誰もいなくなるのだから。いつも来てもらって悪いから、今度は僕が行こうかな。いや、でもミルミルはここに来ることが目的なんじゃなくて、目的の一つにここに来ることがあるだけと言っていたな。ということは、僕の考えは大きなお世話でしかないのか。
だんだん仲良くなれてきてはいると思う。でもこのままだとその絆も天井打ちで限界が来てしまうような気がする。どこかで、彼女の行動の真意に気がつかなきゃいけない時が来るのだろう。それがいつなのかも分からないし、僕が気付けるのかも正直怪しい。
だけどそんなこと度外視して、僕が彼女についてどう思っているのかという問題も付きまとう。ここ最近、というか会ってからずっとだが、おかしな胸の動悸が留まるところを知らない。もしかしたら僕は彼女に特別な感情を抱いているのかもしれない、なんて思った時もある。
単に人と会わなすぎてミルミルとの会話に過剰反応している線もなくはない。というか、そうであれと思う自分がいる。なんだろう、男の変なプライドか、そんな簡単に好きになってしまっては武士の恥とか背中の傷とか人生前のめりぜよ的な葛藤があるのだ。我ながら馬鹿である。
今度、いや、明日だ。
もっとお互いの芯に迫る話をしよう。プライベートなことはお互いまるでわかっていないんだ。そういうことを話せばいいじゃないか。
ふと、商品発注リストに目がいった。
「…………」
そこで僕は、そのリストにある《白の花束or赤の花飾り》の欄にチェックを入れた。
「これは自費で仕入れて、プレゼントでもしよう」
そんなことを思いつつ、僕は誰もいなくなった店内でうつらうつらと意識を飛ばしていくのだった。