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夢現(ゆめうつつ)  作者: 千波幸剣(せんばこうけん)
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夢現(ゆめうつつ)⑤


「里の掟を僕はまだ知りません。この村の掟もまだ知りません。もう二十三なのにどうして僕は知らないんですか」


「お前以外のものは誰も知っている。離婚して帰ってきた涼子でさえも生きている限り掟を守って死んでいくはずだよ」


「僕以外?」


「それが真治お前を守る唯一の方法だからなのだ」


「ええっ」


話をすればしていくほど、大きな山が現れてはさらに膨れ上がってゆく、そんな感覚に陥っていた。


「ここに来たまでは良かったのかもしれないですが自分がこれからどう生きていけばいいのか分からなくなりました」


「思いのままでいい。武治と生活をしていたようにお前の好きなように考えてすごしていけばいい」


「それは裏を返せば、聞くことについては教えてもらえても黒葬さんには近づくなということですか」


「そのほうがいい」


「どうしても行くと行ったら村の人たちに止められますか」


「それも叶わん。それも掟の1つだからね」


「子供の頃から不思議に思っていたことがあります。関東からも遠く離れたこの村の言葉はどうして訛りが無いんですか?」


「気付いていたかい」


「はい」


「でも、その答えを話すわけにはいかない」


「どうしてですか?」


「この村には口に出来ないことがたくさんあるが真治にだけは口伝出来ないことになっているからね」


「どうして僕だけが。その答えが里にあるというなら、僕は行くしかないということですよね」


「黒僧さんには行ってはいけない。運命の歯車が動き始めてしまう」

しまったと、口を閉ざした時には既に遅かった。


「僕はまだ小さい頃、この家に来たことを覚えていますか?」


「ああ、しっかりと覚えているよ」


クニ子は優しい目をして真治を見た。


「あの頃の僕もクニ子ばあちゃんに変なことを質問しましたよね。自分の中ではもう微かな記憶なので覚えていないんですが」


「違うんだよ。あれはお前のことを思って武治に頼まれていたから記憶を消す薬をお前に飲ませるために連れてこられたんだ。だからお前は覚えていないんじゃなくて、そうするためにここに連れてこられたんだよ」


「まだ信じられませんが、それならすべて納得がいきます」


やっぱりそういうことだったのか。


見えない壁を何度も剥がしてはその先に何があるのか見ようとしていたがいつもその先の景色には壁があるだけだった。


真治には幼い頃の記憶がいつも霧がかかった状態でしか思い出せなかった。


思い出さそうとするときはこの壁の夢ばかりを見て目が覚める。


それが今でも習慣になっていた。


その苦しさの原因も幼い頃にここを訪れた後に始まったことだったと、今思い出した。


「それで記憶を呼び戻せる薬はありますか。あるなら飲ませてください。僕はまず過去を取り戻さないと里に行っては行けない気がします」


そこには父と二人で仲良くも平凡に過ごしてきた真治の面影はなく、この体の中に何かを呼び起こされたように別の人格が目覚めた力強さがクニ子には真っ直ぐに伝わってきた。


「真治知らないまま、この村で生きて死んでいくことも出来るよ。知ってしまって苦しむより知らずに幸せを選ぶ選択もある。武治が最後までそれを守ろうとした気持ちは汲み取れないか?武治、賢ちゃん、村の人々すべての願いだとしても聞き入れることは出来ないか?」


真治が力強い口調になっていくのとは対照的にクニ子の言葉は徐々に弱弱しさで聞き取りにくくなっていた。


「父さんと話していたあの影の話には少し付け加えるところがあって、姿は見えないんだけど、確かに感じました。母のような暖かい空気を。そして、実際にこちらに気付いて目があったかどうかはしっかりとは分かりませんが、僕には、こちらに気付いたような視線を感じました。僕の名前を1度だけですが、呼んだ気もしました。その後、急に深い眠りに落ちました。あの日は今までに見たことも無かった心地よい温もりに包まれてこの村ではない景色と人々に見守られて無邪気に遊んでいる僕の姿を夢に見ました。その理由が分かるのもここしかないと直感で感じたんです」


「少し封印が取れかかっているんだね。お前のお母さんも酷な事をする。いや、母親だからその存在を消しきれなかったのも分かる。お前の見た景色は確かにここではない。幼い頃のお前の記憶の断片だと思うよ。それとね、今私は薬でお前の記憶を消したと言い切ったがあれも嘘だよ。この村の人間にそんなものを作ることが出来る人間はいない。居るとしたら里の人たちくらいだ。お前のことを思って、その運命を閉ざそうと記憶を消したんじゃなく、封印したのはお前のお母さんだったが、出会ってはいけない二人が出会ってしまったばかりにその封印が解けかかっているようだね」


幼い頃ここに来たその次の日から父親にも村の人々にも本当に可愛がられて育ってきた自分の姿は鮮明に覚えているし、今も大事に可愛がられてきたと思う。


過疎化が進む村が多いと言う話もTVで見て知っているがそうだったとしても、何か変だなと感じることも大人に近づくにつれて増えてきていた。


この村の人たちには息子も娘もほとんどの家庭にいない。ましてや孫も見かけることすら無かった。


自分よりすぐ下がいなくて遊び相手もこの間出戻りだといって帰ってきた涼子姉ちゃんぐらいだった。


世間一般に考えると盆、正月だけでも帰ってくる人たちが居てもおかしくない時期にこの村では夏祭りも正月飾りの準備もなく、普段どおりに時間が過ぎていくのを不思議に思ったこともあったが、何故か自分の中にもその話題に触れてはいけないというよく分からない感情がふつふつとその度に沸き起こり、気付けば毎年その時期は自然と過ぎ去ってしまっていたのだった。


今ならその原因も確信がもてる。


あの影だった。


よく考えればあの影だった。


今どうしてこんな記憶が見えるように蘇ってくるのかは分からないがあの影が毎年のように来ていた。


父とあの影の深夜の雑談も父が死ぬ前に初めて見たわけではなく実際は毎年目にしていたのだと今なら言える。


「記憶が蘇りつつあるのかい」


「どうしてなのかは分からないんですがそんな感覚が今頭の中を駆け巡っている状態になっています」


「結局は駄目だったか」


力なく肩を落とすクニ子の姿を見て、真治の口から自然と感謝の言葉が漏れた。


「おばあちゃん、長い間、父同様に大切に可愛がってくれて有難うございました」


「真治、行かんほうがいい。何もかもまた自分自身で閉じ込めることも今もお前なら出来るはずだよ。私らは守りたくてお前を守ってきた。これからも人生を掛けて守って逝く覚悟は出来ている。それでも里へ行くか」


これがクニ子の最後の引止めの言葉になる。


クニ子自身もそれを感じていた。


「どんな宿命を背負っているのか自分では予想なんて全然出来ません。ただ、村の人たちが総勢で引き止めてくれるということはそういうことなんですね」


途中から真治はクニ子の家の外の異変にも気付いていたが気付いていない不利をしてクニ子との会話を続けていた。


「それに気付いていても行くと決めたならもう引き止められないね」


そういうと立ち上がり、ゆっくりと衣装ダンスの方へと向かっていく。


「真治少し待っていてくれるか」


足腰が悪いだけでなく、力の抜けきったクニ子の足取りは出迎えてくれたときよりもさらに遅くなり、すぐ目の前に見える衣装ダンスに辿り着くことでさえもスローモーションに見えた。


衣装ダンスに着くと一番下の段の引き出しを最後まで引っ張り出して、その空いた空間の中の奥に手をやり始めた。


「これは渡すまい。渡すような日は来ないと思っていた」


そこから一枚の紙切れのようなものが手に取るとクニ子はまたゆっくりとこちらに戻ってきた。


「これをお前に渡したくは無いが、里に行くなら渡さないといけないものだ。本当に手に取るかい」


ここにきてもまだクニ子は引きとめようとしている。


しかし真治の心にはしつこいという感情は生まれなかった。


ここまで必至に引きとめようとしているクニ子の執念にも似た愛情に涙がこぼれ始めていた。


「クニ子おばあちゃん。本当に有難うございました。本当に本当に」


その切れ端を受け取ろうとする前に真治は家の外へと出た。


ドアの向こうにはやはり村の人たちがいた。


そして、全員が全員というほど真治と同じように涙ぐんでいた。


「真ちゃん、おばちゃん、あんたを守りきれなくてごめんね」


「真治、お前、今でもまだ間に合う。頼むから行くな」


「武治のことを思うとな。お前まで行かせたくはないが自分で決めたなら行って来い。いつまでもお前の帰りを待っといてやる」


「あんたの変わりに誰が農作業手伝ってくれるんか。若い男はこの村はあんたしかいないのに」


色々な声が重なり真治の元に届く。真治は頭を下げることしか出来なかった。


その翌日に旅立つ事になったが真治は誰一人として村人の姿を見ることも無く里の入り口とされる場所へと辿り着いたときだった。


ふと後ろに人の気配を感じえると、横一列になって村人がこちらに頭を下げている。


真治も言葉を交わすことなく、前の日と同じように村人たちに頭を下げた。


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