夢現(ゆめうつつ)③
それならと村で一番長生きをしているクニ子ばあちゃんのところへと自分は自然に足を進めるしかなかった。
「こんにちは」
インターホンは生きているがこの家の住民には無用の産物でしかない。
何故なら、この家の中には90を過ぎた耳の遠い老人が二人で暮らしていて結局はピンポーンと大きく部屋に響くその音には反応できない人たちが生活を営んでいるからだ。
とはいっても、だからと言って自分の声が聞こえているとも思えない。
ドアに手を掛けてみると鍵は掛かっていないらしくすんなりと玄関の中へと入らせてもらった。
あとはトイレなり、用事なりでこの玄関にいる自分に気付いてくれればいいんだけどなあと半分は諦め加減でその玄関の中で座り込むことは出来ずに、やはり声を出して呼んでみようとしたときに運良く部屋から背の低く少し背中の曲がった高齢の女性がぼちぼちという音でも聞こえてくるかのようなスピードでこちらに気がついて歩いてくる。
「こんにちは」
耳が遠いことを知っていた僕は意識して大きな声で話したがそれでもやや聞き取りにくそうな表情をしている。
「誰だったかな」
「賢治の孫の真治です」
「おお、賢治さんところのお孫さんだったかい。大きくなったね」
高齢の人だから、呆けてもきている可能性もあるだろうと予め予想して、父の名前を出すよりは、じいちゃんの名前を出したほうがが分かりやすいだろうと思ったが多分正解だった気がする。
「賢治さんはお元気かな」
「それがもうじいちゃんが亡くなって二十年は経ちます」
「もうそんなになるんだね。あんなことがあったなんて今でも夢のような出来事にしか思えないけどね」
「あんなこと?」
いや、待て待て、うちのじいちゃんはこの村では珍しい出来事らしいが交通事故で死んだ話を小さい頃に聞いたことはあるんだけど、あんなことって一体何なんだろう。
というか、交通事故で不運に死んでしまったこと自体が作り話だったってことなのか?となると、ますますあの時の父の会話、行動の奇妙さが頭に浮かぶようになったと同時にあの時、何もいなかったはずの中に一瞬だけ見えたように見える黒い影のような者は見えた様にではなくやはり見えていて存在していたものだったのかもしれないと思い始めると身震いしてしまっていたと同時に脱力感に襲われ始めた。
「いや、待て待て、交通事故事態がこの村ではあんなことかもしれないしな」
そんな僕のことも気にせずにクニ子ばあちゃんはあんなことについて話し始めた。
「真治は賢ちゃんが黒僧さまに行って帰ってきた話を聞いたことがあるか」
「詳しくは知らないです。父からは道に迷って黒僧さまにじいちゃんが送ってもらって村に帰ってきたということは聞いていますがそれ以上は知りません」
「話さんほうがいいか」
知らないと素直にいってしまったのが原因なのか、クニ子ばあちゃんは、その先を話すのを、急に躊躇うようになってしまった。
「大丈夫です。覚悟は出来ています」
ふと自然と口をついた言葉だった。
「本当に大丈夫か真治」
クニ子ばあちゃんはまだ話すか話さないか躊躇していた。
「僕ももう大人です。その真実を知る必要があります。この先もさらに人生いろいろなことを経験していく年齢なので大丈夫です。話してください」
いや、正直な所、覚悟なんて全く出来ていなかった。
出だしのじいちゃんの死についての話の件で実はすでに心身ともに怯えていた。
とはいえ、親父も死んだ今となっては、もうこれ以上と惑うこともないだろうというもう独りの自分の心の声も聞こえていてあんなに立派な台詞が出てきたのかもしれない。
「知らないといけない年齢になったということか。それじゃあ話すとするかなあ」
それでもそこからクニ子ばあちゃんはなかなか話そうとしなかった。
沈黙が長く続いた。
何秒なのか
何分なのか
実はまだ一瞬のことなのか
何時間も経っているのか
ここ最近の一連の出来事の流れと同じく、時間の早さが推し量れない自分自身の感覚の異変についてどうしようもないと認めていた。
そんなままに刻々と時間だけが過ぎていく。
「よろしくお願いします」
と言いながら、その流れの中でゴクリとのど元が鳴る。
勝手に自分自身に気合を入れてその話に耳を傾ける準備をした。
「まず話の出だしが違うんだよ。あの話の根がね。あの日は本当はこの私も合わせた村の子供たち6人で遊んでいたんだよ。その1人が何を思ったのかもっと山の奥に探検に行こうと言い出したんだけどねぇ、黒僧さまのことがあるから誰も賛成しなかった。怖いもの知らずのその子は引き止める声も構わず森の奥へと入ってしまってねぇ、影も足跡さえも見えも聞こえもしなくなってしまったんだよ。それを心配になって探しにいくと言ったのが賢ちゃんだった。森に入っていったのはいつも喧嘩をしていたライバルのような子で幸三といって、今もこの村におるあの元気なじいさんだ」
「ああ、あの」
確かにこの村の中で一番の働き者で八十を越えた今でも孫と一緒に稲刈りやら山菜取りやら獣狩りやら何にでも顔を出してる足腰も強い頼りになるじいちゃんという印象のある人だった。
「それがね、賢ちゃんが森に探しに行ったと時を同じぐらいに幸ちゃんの方は少し行きとは違う場所からだけど、ひょっこりと出てきたんだ。よく話を聞くと、すぐ近くの木の上からこっちを覗いていたらしく、賢治が探しに来る姿を見て独りで行くのは危ないと思って木から降りて止めようとしたらしいが間に合わなかったみたいでね。みんなで森の少し深いところまで行って一斉に賢ちゃんの名前を叫んではみたが、どれだけ時間が経っても出てくることも帰ってくる気配すらなかった。気がつけば夕方で日が暮れてきていて、それで急いで村の大人たちに報告して、村中の人で探してもらったんだけどねぇ、その夜は結局、帰ってこなかった」
「すいません、すごく厚かましいんですが話の先の前にお茶もらえますか?というか、自分が淹れるので、お茶の葉はどこにありますか?」
よくよく考えてみると今日は畑の仕事をさぼっただけでなく、何も食べても飲んでもないままにここにきたことを今更ながらに気がついた。
「気がつかなくてごめんねぇ。お茶の葉はあそこの戸棚の赤い入れ物の中にあるから。お湯はポットに沸いているのを使えばいい。湯飲みは戸棚のどれでもいいから使い。あんまり使ってないのもあるから埃があるかどうかまず見て、先に洗ったほうがいいかもしれん。年取ってきて、お客さんもあまり来んし、足腰も動かなくなるとお茶入れるのもしんどくなってきてねぇ、ありがとねぇ」
「いえ、急にお邪魔して、お茶まで自分から申し出てしまってすいません。父の葬儀も終わって、どうしても気に掛かることがあって。それで、お邪魔させてもらったら、さらに詳しい話を教えていただけそうなのでこれくらいのことはさせてください」
TVで見るイマドキという名のゆとり世代の二十代はこんなに改まったりして年配の人と話す人はどれくらいいるのだろうか。
25歳でこういう感じのキャラも現代風で言えばイケテナイのかもしれないが、外見がイケメンだとしても、この村では全くもって無意味でしかない。
僕はこの村で二番目に若く、一番は中学2年生の男の子になる。
20代以上で自分の次に若いといえば34歳の人にまで年齢が上がる。
結婚に失敗して離婚して帰ってきた人で僕にとっては結婚や恋愛の対象にならない。
向こうにとっても都会で過ごしてきた人なのでこんな小さな村の弟のような僕は眼中に入らないだろうと思うし、対象に入っても困る。
話を元に戻すと、この村に住んでいる限りはしっかりとした口調で年配の人にも思いやれる若者であるべきで、そうすることで何事もなく平穏に過ごしていける。
古い言葉で郷に入ったら郷に従えというものがあるが、僕にとっては生まれたときから暮らしてきたこの村の暮らしそのものが郷だったに過ぎない。
しかし、この村もこの村の暮らしそのものを僕自身は嫌いということはなく、寧ろ好きだ。
世間一般という言葉の物差しの中にある流行や、大都会という街の中で大勢の視線を感じて生きていくことは多分僕は向いていない。
のんびりとした肩の凝らない僕自身のペースで生きていたいと思うからだ。
TVの中の世界に住んでいる人達は僕の想像以上の多忙さと、毎日の駆け引きの中で絶えず変化をしながら生き残っていく術を探しているように感じてみえる。
しかし、スローライフという言葉も目立ち始めてきた。
自分が普段当たり前に思える田舎暮らしに憧れる人たちが増えてきているらしい。
そう思うと人は環境によって、左右されるというのもあながち嘘じゃないのかもと思いながら3人分のお茶も注ぎ、急須の中に注いだ一杯目のお茶も飲み終えた所で話の続きが始まろうとしていたがあることが気になって仕方がない。
この家に住むもう一人の住民は一言も口を開いていないことに気がついてしまった。
寝たきりで目も耳も悪く、僕がお邪魔していることにも気付いていないかもしれないとクニ子ばあちゃんは言うとまたその続きを話し始めてくれた。
「帰ってこなかったという事で村中が大騒ぎする事件になろうとしていたが、朝方早くに森の方から今までに聞いたこともない風の音がしたんだよ。地震でも起きているかのように山が揺れて鼓動しているようだった。私も子供ながらに何が起きているのだろうと思いながら身体は硬直していた気がする。全身全霊が恐ろしいものが来ていると感じていた風の音は、地鳴りのような音になり、耳を澄ませば四方八方から音が聞こえてくるようになった。そして、どんどん村へと迫ってくる。何がやってくるのか分からないまま、いつの間にか怖くて目を閉じていたら、急にその音は止んでしまった。気がつくと山側の入り口には賢ちゃんが意識を失ったまま倒れこんでいた。正確には、すやすやと気持ち良さそうな顔で眠っていたと言うのを村の大人たちが話しこんでいるのを又聞きした。私は動けないままだったからね。それから村では賢ちゃんの処分についてこの村始まって以来の住民会議を始めだした」
「黒僧さんから戻ってきた子供をどうするのか」
「戻ってこれたからには神さまの使いとしてこの村の宝のように大切にしかければならない」
「この子は男の子だから間違って入ったからには今度は女の子の生贄を祭らなければならないということだろう」
「何もなかったことにして今までどおり暮らしてみてもいいのではないか」
「黒僧さんから帰ってきたとも限らないんじゃないか。山にはいろんな神様や物の怪がおるし」
会議のことを子供だったクニ子ばあちゃんが知っていることに疑問を持った僕は素直に聞いてみた。
「何故か子供たちも会議に参加しなければいけなかったんだよ」
子供たちにしてみれば、大人の会話を聞いているだけで怯えて泣いてしまっていた子もいたが村人全員参加のこの会議は子供であっても、途中で帰ることは許されなかったらしい。