夢現(ゆめうつつ)②
なっているというのは誰も父の死に立ち会えていないからだ。
この村には医者が常駐しておらず、連絡を受けて到着をする前に半日かかってしまったがその時間の経過が原因というわけではなく、それまでの健康診断で父の身体に異常が見つかっていなかったことと、念のため死体解剖でも特に異常は見つからず、原因には至らずそういう判断になったということだ。
一時は自殺、他殺の方向でも動こうとしたが息子である自分も含めて、怪しい事も物も見つからず、解剖の結果と合わせ、そう判断されてらしいが僕は納得が言っていないがそれを口にすることもしなかった。
何故かと言えば、不思議なことに父の顔色は穏やかで幸せに包まれているようだった。
僕にはまるで天国に登って行ったかのような晴れやか表情に見えたからだ。
葬儀に参列した村の人々も父の顔に仏さまのような穏やかな顔をしているねと口々に揃えたような台詞が行き交っていたのを覚えている。
この死には不審な点は存在しない。
いや、本当は存在する。
否定したい。
否定も出来ない。
肯定するべきなのか。
肯定する術もない。
どうにかしたいのか。
どうしようとも思わない。
どうにも出来ないといったほうが正しいのか。
もう一度覚えていることを一から整理してみよう。
あんな出来事を信じる人はこの世界には誰一人としていないと自分では思う。
僕自身、夢なのか幻なのかと今も頭の中では困惑している。
あの御神木の欠片は今も家の中にある。
特に隠すこともなく、古い仏壇の上に誰からも見える場所に置いてある。
しかし、葬儀の最中にも誰も気づくことはなかった。
父さんの話を聞いた後だと思うことは、気づこうとしなかったのか。
その話題に触れようとしかなったのか。
それもなさそうだだった。
その場所に視線を向ける人がいなかった。
見えていないのか。
見ようとしないのか。
それとも他の人の目には存在すらしないのか。
このことが後にあの黒僧さんの里を訪れるきっかけになるとはまだ自分でも思っていなかったが、神流しの御神木を拾ったことさえも運命の導きに過ぎないことだと信じられなくても、父とのあの出来事を経験したあとの現在ならそのすべてを受け入れる心の準備もいつの間にか出来ていたみたいだ。
まずはあんな出来事の話から始めてみようと思う。
御神木の欠片を拾った晩のことだった。
じいちゃんの話、父さんの気持ち、自分の思うこの世の話で父と二人で楽しいとも云えない不思議で神秘的なことについて話し合ったその夜は時計の針を見ると深夜一時を迎えようとしていた。
この村では深夜一時を過ぎると蠢くものが目を覚ます刻と言ってそれまでには眠りにつくのが習わしになっているのだが、久々にその刻を越えてしまっていて二人とも寝に入らなければいけないとお互いの部屋に戻ったときのことだった。
何故か玄関口のほうから風のようなノックのような叩く音だったのか、ただの思い違いだったのか、そんな音が聞こえた。
正確には寝ぼけていて、聞こえていなかったのかもしれない。
しかしそんなことは二度目の音で確かにノックの音だと確信した。
しかし、何かがおかしい。
こんな平成の時代にインターホン、ましてや緊急なら家の電話、携帯電話もあり、大声で起こすことも出来る。
実に現実離れしたこの違和感のあるノックに家を間違えただけだろうと、父もそのまま気にすることもなく眠りにつこうとしていた。
自分も今日の夜は風が強いのだろうと、二度目の音はしっかりと耳に響いたのにも関わらず、その夜は眠りについてしまった。
しかし、実際はその眠りでさえも何者かの仕業なのか、現実なのか、未だに困惑の中である。
そんな中途半端な具合の表現で言葉にも出来ないので夢の中の出来事として話を進めていこうと思う。
「真治お前いつ外に出ていたんだ。自分の部屋に寝に行ったんじゃないのか」
父の部屋は1階にあり、自分の部屋は2階にある。
確かに自分が2階に上がる姿も見ていたはずの父が自分と今玄関で話をしているらしいが自分は現実的には2階の自分の部屋で眠りにつこうとしているのに何を言っているんだろうと変なこと言うなよと思いながらも違和感の原因かもしれないとこっそりと自分の部屋のドアを開け、2階から1階の見える場所まで下りてみることにした。
夢の中だから冷静な判断ができたのかは分からない。
少しの隙間から玄関が見えるんだが、父が一方的に会話をしている姿しか映らないし、父の声しか聞こえてこない。
いや、それ以前に、玄関に人影は見えない。
一体誰と話しているのか全くの見当がつかない有様である。
父の方はというと、すっかりと目が覚めたのか、その見えない誰かと淡々というよりはじっくりと語りあっているようだ。
このときの父の真正面の姿が見えるなら、青春ドラマの一場面のようにキラキラした瞳をしていたのかもしれない。
その前に、もし、そうだとしても会話の内容が変わってきていることに気付いた。
いつの間にか、その誰かが自分の息子ではないと分かっているのか、分かっていないのか不自然にその会話の中で飛んでしまっているようで自分の子供の頃の話をまるで同級生の友達にでも話すような口調で話し始めているのである。
これには違和感の謎を知ろうと覗き見をしていた僕も背中の全体が強烈にぞくっとするようなものを感じてしまった。
当の本人の会話はまだ終わらずに今度は早くして亡くなった母との出会い、別れ、息子である自分の話、これから先の心配事、そして最後に今日あった御神木の欠片の話まで話し終えたところで会話は止まった。
そして、何故か導かれるように父は靴を履くと玄関の鍵を開け、外へと出て行った。
そう玄関の鍵は閉まっていて空いてはいなかったという現実。
父には一体何が見え、誰と話していたのか。そして、どこへと出かけていったのか。
そう思い、そして、心配になって追いかけなければと思った瞬間にどうしようもないほどの眠気に取り付かれそのまま2階の階段を上りきったところでその日は朝まで起きることなく、僕は寝てしまったらしい。
布団の中と違い、寝心地の悪さと硬さで結局は体の微妙な痛さでいつもより早い目覚めとなった。
そういえばと思い、急いで1階に駆け下り父の部屋を見たが熟睡している。
自分が見たものはそれなら何だったのか。いや見えてはいないものだった。
それから息子と話をしているはずなのにいつの間にか違う誰かと話していて不思議に思わなかった父の行動から考えてみるとやはり自分のほうが寝ぼけていて見た夢でしかなかったのか、そんな風にも思える一日目だった。そう、この夢か現実かの出来事はその後も続くことになった。
そして不思議なことにこの夢か現実かは何日経っても同じ時間同じ会話、そして御神木の欠片の話をするとその後は父が外に出かけることで繰り返して終わってしまう面白みのないループでもあり深く考えてしまうとその出来事が現実であるならどう考えても父の行動は何かに取り憑かれているとしか言いようがない。
その何かに気付いてはいけない。
いや、気付きたくないという強制的に夢の中の話だと心の中に押し込めてしまわなければ父はもう少し人生を長く過ごせたのかもしれない。
でも、あの顔を見るとどちらにしても自分は何もできなかったのかもしれないとも思う。止めるべきでもなく、その術すら知らない自分が何かを出来るとも思えないが。
「それでも」
もう何度この言葉を口にしているのだろう。まるで覇気がない過去への言い訳を口にしながらまだ父の死にも現実感を持って向き合うことも出来ず、この場に存在していない自分が生きている。
「黒僧さん」
「いや黒葬さん」
あの里の本当の文字では多分こう記すはずである。
そして、悠久の変わらない時間がその里では流れているはずである。
招かるざる客である村の人間にも気付かなければ何も起こることのないはずが、気付いてしまったことにも気付いてしまうそんな開けてはいけない悠久の扉を開けてしまった自分を今更悔やむこともない。
その運命を受け入れるしか今の自分には道がないならその道を歩んでいくしかないのなら進むしかない。
そう自分自身でも何を考えて、何を言っているのか、その原因すら幻想なのか、現実なのか、やはり分かっていない。