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ファンタジー短編まとめ

森の中のメランコリア

作者: あきら

 都の喧騒から遠く遠く離れた険しい山の谷間、そこにある道をどこまでも進んで、やがて道とぬかるみの違いが分からなくなった頃に現れる小さな村。

 村中が外の人間と話さない年も珍しくない、そんな田舎。

 私は、その村に捨てられた。


 愚かだったのは母か、父か。


 数年ぶりにやって来た村の外の人間。村一番の長老ですら見たことがないという芸を売って生きる人々。彼らは村にやってきたのではなく、長雨のせいで崖崩れした道を避けて、避けて、避けた結果たどり着いただけの束の間の客人であったという。

 一行には異国の品と、笑いが止まらないほどの話術と、美しい踊り子たちと、そして竪琴弾きの男があった。

 その男が私の父。

 その男にひと目で心奪われた、田畑を耕す事と麻を編む事しか知らない少女が私の母。

 天気の回復を待つだけの数日の滞在だったというのに、私は産まれてしまった。

 隠すことなど出来ない。

 村は誰も彼もが知り合いで、家族で、身内で、全てが筒抜けだった。

 父親が村に居ないことなどすぐに知れる。

 たかだか赤子の一人くらい放っておいても勝手に育つだろうに、彼らは、その村の全ての人間は、産んだ本人さえも、外の血が入ることに怯えた。流れ者の血を受け継ぐものが居るのが耐えられなくて。

 無かった事にしたのだ。

 夏のよく晴れた夜に、この不始末が起きたきっかけの崩れた崖から赤子を、私を投げた。

 星が煌めいていて、赤子の魂も空高く上がったように見えた。


 何故目も見えぬ赤子が自分に起きたことを分かるのか。


 崖から落とされた私は森に抱きとめられた。

 心優しくもない、退屈嫌いの森の精達はその村に飽々としていて、一年と少し前に居た騒がしい滞在人達をとても気に入っていた。

 森の精は私に「彼ら」を期待した。

 面白くて、美しくて、笑わせてくれる存在を。

 姿見えぬ森の精達はそのために私を助け、育てた。

 だが、人の育て方とはずいぶん違う。口にさせるものは不思議の果実で、水苔の褥で暖め、風の言葉を何よりさきに教えた。

 そうして長じた私は朗らかに笑い、音楽に踊りに、それはそれは素晴らしいように見える娘に育った。

 望まれる姿をしていただけで、真実心の底から素晴らしかったわけではない。むしろ、人とは違う感性によって育てられた精神はどこか歪み、感情が欠落し、黒い塊へとなっていった。

 精霊たちはその姿とても満足した。

 歪な心さえも含めて愛した。

 彼らが欲しかったのは退屈を紛らわさせる事象であって、人の心を忘れた人間と言うのはその役目をうまく果たせていたのだ。


 十九年。

 二十年には足りない。

 母が父に会った年はとうに超えて、父が母に会った年にはまだ至らなくて。

 それだけの年月の間、村は一切変わること無く、赤子を捨てたことを忘れて存在していた。


 村は変わらないが、村を構成する人間は変わる。

 いつかの旅芸人を受け入れた長老は死に、新しい赤子が産まれる。

 子供を産めるような年の女は誰かの妻になり、やがて子を産む。

 ある少女は何も無かったかのように、いや、実際に村の住人達の中では「無かった」のだから、当然の用に村の中の男と結婚した。

 二人の間には七人の子供が産まれて、その内四人が死んだ。

 一番目の、三番目の、六番目の子供が生き延びた。

 本当の一番目は血を分けた弟妹が一人減る毎に笑った。森の精達が愛する琥珀色の瞳を輝かせて笑った。

 それは幼い弟妹たちが閉塞的でつまらない村の中で笑っている姿と形だけは似ていた。


 娘は父に似るもの。息子は母に似るもの。

 そんな人間(じんかん)の考え。

 そう考えるなら、もしかすると、私の姿はより父に近かったのか。

 この笑いは父より受けつがれしものなのか。

 弟の笑いは母のものなのか。


 森の精は許さない。

 私が人間に戻ってしまう事を。

 森の精は唆す。

 私がより道を外す事を。


――もっと面白い劇を見せて頂戴、と。


 ねえ、私どうしたと思う?


 簡単よね? 

 だって私は生まれた時だけが人間で、それ以外はずっと人間じゃなかったのだから。


***


 ある年の春先に大雨が降った。

 うつうつと続く長雨によって谷窪に溜まった水はやがて山から染み出し、岩を砕き、土を押し流して、崖を崩した。

 街道が再び開くことを待てない人々はその横にある獣道と差がない道を歩み、その中継として古びた村を訪れることになった。

 巡礼者に伝令に行商人に傭兵に、そして旅の竪琴弾きの娘に。

村に思いがけずにもたらされた手にしていた食べ物や、織物や、情報などは、数日の間村人を軟化させるに足るもので。

 中でもとりわけ輝いていたのは竪琴の音色に載せて人とは思えない歌を儚げな声で歌う娘。

 その声は絶妙なタイミングで音階を上げ下げし、微睡んだと思えば覚醒させ、聞き手の頭を揺さぶった。

 彼女が歌えば人の壁ができ、更には森からも小鳥や鹿や色々な生き物が集まった。


 その彼女に、歌ではなく彼女に、心酔した青年が一人。

 少年というには薹が立った、青年というにはあどけない微笑みを持つ男で、それはまるでいつかある少女の目の中に宿っていた光と同じだった。


 女は歌う。

 女が微笑みかける。

 女が手を差し出す。


 もはや歌詞の中身など聞こえていない青年は彼女の手を取った。


 止まない雨なく、いつしか村に太陽が昇る。

 一時の滞在人はぽつりぽつりと去っていき、最後の一人も村を離れた。

 儚い声の娘もまた村から消えていた。

 驚くほど自然に、まるで風の中に溶けていってしまったかのように、娘は誰にも気づかせずに消えていった。


 全ての異分子が消え表面上、村に固定化された静寂が戻ってきた。


***


 美しい人だ、出会った瞬間はただそれだけのはずだった。

 村には若者と言ってもそう数が居るわけでなかったから、美醜など気にもとめたことがなかった。もし、誰か一人だけ取り立てて美しい者、醜い者が居たとしても、そんなの腹の足しにもならない。きっとあまり意味が無いものであっただろう。

 自分たちにとっての美しいとは物語の中にだけ存在するもので、現実には全く意味のない、無いも同然の事だった。

 事実ある意味物語の登場人物だったのかもしれない。

 詩人、歌い手、名称は何でもいい。田畑を耕し、家畜を飼う、魚を捕る、そういった事以外の生業はこの村にはない。

 旅をする、ましてや女が、などということは正気の沙汰ではない。

 しかし、彼女は長雨の中の束の間の滞在人。

 外部の者を極端に嫌うとはいえ、我々は山賊ではない。人喰い族でもない。そう、客人を客人として数日間受け入れる程度の許容は持ち合わせているのだ。

 同じように若い、或いは幼い仲間たちは口々に彼女の美しさを褒めてそして去っていく。

 その場で一言言えば終わり。

 逆に自分は――その美しさから一時も目を離せないというのに、一言も彼女に関することを口にすることが出来なかった。

 思ったことを言えばいい。

 輝く黒髪を讃えれば、その冷ややかに感じるほど澄み渡った声を、明るい真冬の太陽の様なほほ笑みを、ああ、もう何でもよい。彼女の讃えるべき特徴など、次々に溢れ出してくるというのに、自分は何にも言えない。

 そうなのだ。見ることしか出来ない男を、彼女が見つめてくれるはずなどない。

 こちらを意味ありげに見ても、意味などはなく、あったとしても前で聞いていた見るからに自分とは違う……彼女とは別の旅人達であって、けして順番は回ってこない。

 回ってこないはずだった。

 彼女の手が間違いなく、自分の前に、触れるか触れないほどまで伸ばされた時、拒否など出来るはずなど無かった。

 他の誰でもない、この自分を、指し示したその幸福よ。

 なんて簡単な男なのだろう。

 あざ笑われているかもしれない。外の人間なら、彼女の手を拒まないで、かと言ってすぐに取るような無粋さなど無く、焦らし合い、楽しませられた。

 浮かれた田舎者よと笑えばいい。

 選ばれたと言う栄誉は他の何にも代えがたい、素晴らしきものなのだから。

 たった三日。

 長々と続いた雨が美しき娘をとどめて置けたのはそれだけだった。

 別れも告げられずに彼女はいつの間にか消えた。最初から居なかったように。痕跡一つ残さずに消えた。

 覆せない事実。

 この時の気持ちをどう表現して良いのか。

 あまりの空虚さに、心がひりひりと傷んだ。痛みを忘れようと他のことで埋めてみるけれど、足りない。いや、他のことを考えようとした瞬間に彼女が、胸の中に入ってくる。

 たかだか三日間だというのに、今までの人生全てと釣り合う以上のものであったのだ。


 だが、この事は気取られてはいけない。

 あくまでも忘れた振りをしなくてはいいけない。

 外の者は存在してはいけない。

 一生消えない場所に存在させてはいけない。

 三つ下の妹が不思議そうにに見上げてくる。

 幼い頃からの馴染みの少女が見上げてくる。

 母が不安げに自分を見た。

 忘れた振りをしなくてはならない。


 畑を耕す。山羊を追う。寝る。魚を捕る。寝る。ブタを絞める。水を撒く。木を切り倒す。寝る。果物をもぐ。餌を与える。寝る。寝る。

 村に変化はあってはならない。

 同じことほんの少しでもはみ出てはいけない。

 何十年も何百年も、自分の親が、祖父母が、先祖が、繰り返してきた日常を繰り返さないといけない。

――彼女は村にいてはいけない存在なのだ。

 そう、思った。

 彼女の存在は村にない。繰り返すべき正しい日常に彼女は居ない。外の臭いなど持ち込んではいけない。

 村は厳しい。

 少しでも手を休めれば、あっという間に食べ物がなくなる。子供は死ぬもの。老人は死ぬもの。本当に厳しくて、お互いが一瞬の気の緩みもなく助け合わないと生きていけない。

 自分も妹も友人も、全て生き延びたのは偶然。少しづつ減っていく年の近い仲間。

 見てはいけない。見てはならない。

 そんな自分をくすくすと森が笑った。

 それは風の通り過ぎる音だったのだ。

 けれどもどうしようもないほど人の声に聞こえて、恐ろしさよりもその声への好奇心が勝って、家を飛び出してしまった。そんな過去を思い出した。


 やがて充たされない気持ちは日々の生活を蝕み、村を愛した男は過去の物となり、次第に、表情の張り付いた人形となっていった。


***


 そっと手招きをする。

 その行為は大袈裟ではない。軽く、見えるか見えないかの瀬戸際で。届くべき人にだけ届けさせる。


 そして、村から一人の青年が消えた。

 森では一組のお人形がしあわせそうに笑っている。

 村を見守るように、村を崩れさせないように。


 どこかで笑い声が聞こえた。

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