恩人と対価
「さて皆、今日はここまでにしよう」
日が落ちかけた頃に俺はそう言って区切りをつける。
『先生、ありがとうございました!』
生徒たちの声が重なり、今日の授業は終了…。
と、その前に。カスティア御夫婦の娘で、最年少である11歳のターニャを無事家まで送り届けるのが俺の先生としての最後の仕事だ。
俺の最初の生徒であるターニャは、とてつもなく優秀だ。俺の教え方や接し方などを村に広め、俺の評判を上げて生徒を増やしてくれた恩人でもある。
だが別に色眼鏡で見ているわけではなく、とにかく11歳の子供とは思えない程賢しいのだ。例えて言うならば、1を教えると10吸収するような。
そして別に何をしたわけではないのだが、どうやら俺を慕ってくれているようだ。得体の知れないこんな男を。
勿論、今教えている生徒達には慕われていると感じているが、何故かターニャは最初から俺に懐いていた節がある。恩人の大事な一人娘であるターニャを邪険に扱うわけにもいかず、また理由もなく、そもそも俺自身ターニャを結構気に入っている。
ターニャの家に着くころには日没に差し掛かる為、安全の為に俺が送迎をしているというわけだ。
「先生、今日もよろしくお願いします!」
ターニャがにっこり笑って元気よくそう言ってくる。
「はい、こちらこそ」
俺も笑顔でそう返した。
「それでね、その時お父さんが…」
「あははは、それは困るねぇ。でも…」
ターニャは良く喋る子だ。今では俺にとって歳の離れた妹のような存在であり、妙に気の合う部分がある。ターニャを送り届けている間は、カスティア夫婦の漫才のようなやり取りを聞かせてくれたり、授業で分かり難かった部分を質問して来たり、会話は絶えない。
「リュウ先生は…」
「いや、私は…」
話に花が咲いていると、帰路もあっという間だ。家の庭先にダインさんの姿が見える。珍しいな、いつもだったらアマンダさんが出迎えに出て来るのに…。
「ただいま!お父さん!」
「……」
「お父さん…?」
ダインさんが反応しない。俺も声をかけることにした。
「こんばんは、ダインさん」
「あ、あぁ!お帰りターニャ!先生も、いつも送ってくれてありがとうよ!」
……?
何だかダインさんの様子がおかしい。
「ダインさん、どうか致しましたか?」
「いや、あの、その…」
「何かお困りですか…?」
「…先生、ちょっと上がって行かないか?」
「お母さんただいまー!」
ターニャに返すアマンダさんの挨拶の声は無い。
「ターニャ…お母さんは、まだ帰ってきていないんだ…」
まだ帰ってきていない?確かアマンダさんは隣の村に行くと言っていた。往復しても1時間程で帰って来れる筈だが、こんな時間になっても帰ってきていないのか。
「…先生、これを見てくれ」
ダインさんが紙切れを渡してくる。
「これは?……なっ!?」
紙切れの中に書いてあった内容はこうだ。
俺達は隣の村を占拠している盗賊団だ。
女は預かった。
返して欲しければ金貨200枚を用意しろ。
明朝、貴様らの村の外にある丘にて待つ。
用意できなければ女の命は諦めろ。
俺は内容を見て動揺し、うっかり紙を落としてしまった。そしてそれをターニャが見てしまう。
「え…何…これ…」
俺は急いで拾い上げるが、もう遅い。
「……」
俺は何も言えない。
「お母さん、誘拐、されたの…?」
ターニャは目に溢れんばかりの涙を溜めて、俺に聞いてくる。賢いこの子にはこの文が読める。意味も理解できてしまうだろう。
「村中かき集めたって金貨10枚分がいいところだ…。あぁ!どうすればいいんだ…!」
ダインさんが天を仰ぐ。
「お母さん、死んじゃうの…?」
「うぅ…ターニャ…」
ダインさんが跪いてターニャを掻き抱く。
ダインさんの目からは涙が溢れていた。
「先生…俺は…どうすればいい…」
ダインさんはターニャを抱き締めたまま俺に聞いてくる。だが俺の言葉は決まっていた。
「ダインさん、お金は私が立て替えます」
「え…!?」
ダインさんから主に驚きを多分に含んだ声が聞こえる。
「幸いにも私には蓄えがあります。得に使う予定の無いお金だったので恩人の為に使えるのなら満足です」
「そんな事言ったって先生!金貨200枚って言ったら王宮に仕えている近衛兵士の給料1年分ぐらいだろう…!?」
こちらを向いて声を荒げるダインさん。
「ダインさん、金額の大小はこの際無視して下さい。しかし私にはこの方法の他に安全にアマンダさんを助ける方法が思いつきません」
ダインさんはしばし俯いて考えると、顔を上げて俺を真っ直ぐに見つめてくる。
「…すまねぇ先生、元はと言えば俺の方から相談したのに。アマンダが誘拐されたって事実と要求された金額の余りの大きさに取り乱しちまった」
そう言って頭を下げてくるダインさん。
「顔を上げて下さいダインさん。お金の事は気にしないで下さい。これでようやく、私も恩が返せると言うものです」
「先生…。すまねぇ、恩に着る」
「だから恩に着てるのは私なんですって」
そう言うとダインさんは少し笑った。
「先生…、お母さんの事、助けてくれるの…?」
俺を不安げに見上げてくるターニャ。俺はターニャの前に屈んで、頭を撫でてやる。
「安心しなさい、ターニャ。お母さんは絶対助けるから」
そう言うと、ターニャは笑顔で大きく頷いた。
恩人の命が金貨200枚で買えるのなら、安いものだ。