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ツーリスト  作者: ノイ
3/3

03:天使

 心の中でエルドは後悔していた。

 次の国までの途中でいきなりスコールに降られたのだ。防水機能があるスーツでも激しい雨に降られればひとたまりもない。中のシャツまで水が染み込んで来て不快係数がみるみる内に高まっていく。

 こんな事ならば昨日まで止まっていた道中の宿でしばらく様子見をしていれば良かった、と思った時には既に遅かった。革靴の底から水が浸透し、靴下まで湿らせてきたのだから今のエルドはまさに濡れ鼠と形容する他無い。

 次の国まではまだかなりの距離がある。大木の下へ一先ず避難したエルドは何処かに雨宿り出来る場所は無いだろうかと地図を広げた。塗れた手で掴んだ地図は端からふやけるが背に腹は代えられない。風でも引いてしまえば一大事だ。

 地図と睨めっこすること数十秒、ここからすぐの場所に集落があることを知りそこへ向かうことを決意したエルドは荷物に浸水している箇所が無い事を確認すると大木の陰から飛び出した。


 集落には入り口も無ければ、番兵も居なかった。

 雨は先ほどよりも確実に弱まっていたが濡れ鼠のエルドにとっては何処かで休息を取る必要があった。しかし、雨のつぶてが視界を遮り建物の看板などをはっきりと読み取ることが出来ない。

 先ほどと同じように何処かの軒下で雨宿りをしようかと思った矢先、背後からエルドに掛かる声があった。

「あら! 何やってるの傘もささずに! そんな格好じゃ風邪引いちゃうわよ!」

 背後からは水たまりを物ともせずに駆け寄ってくる足音がだんだん近づいてくる。そしてエルドの前方へと回り込んで来た人物は、傘の下から驚いたような顔をして覗き込んで来た。

「あらあらあら……こんなに濡れて! 何処か行く宛はあるの?」

「それをこれから探そうかと……」

「こんなオンボロ集落に宿があるわけないじゃない! ちょっといらっしゃい!」

 苦笑するエルドの手を取った傘の人物はそのまま強引に引っ張っていった。雨に体力と気力を奪われていたエルドはなすがままだった。

 廃墟の集合住宅とも、集合住宅の廃墟とも表現てきそうなとにかく古く錆びた建物の中へとエルドは連れて行かれた。マンションのエントランスのようにも見えるその空間で傘を閉じた人物は心配そうにエルドの顔を見た。

「大丈夫?」

「えぇ、なんとか。 体が丈夫なことだけが取り柄でして」

「そう。 ちょっとウチへいらっしゃい。 シャワーと温かい食べ物くらいは用意出来ると思うわ! そうしなさい!」

「は、はい……ではお言葉に甘えさせて頂きます」

 ふん、と鼻息を吹きながら頷き返したその人物は懐から鍵を取り出すとエントランスから続いている通路を進んである部屋の前に立ち止まった。今は灯っていないがそこにはネオンの看板で「Bar 夏の夕暮れ」という文字が並んでいる。

「ささ、入って頂戴!」

 導かれるままにエルドは店の中へと入っていった。

 先行していたその人物はスイッチを押して店の中の照明を点灯させると、奥の方から手招きした。

「こっちこっち!」

 濡れたキャリーバッグをとりあえず入り口近くに置いたエルドは手招きされた方へと進み、顔を覗かせた。二つ程扉を潜ると入って来た店内の雰囲気とは異なる生活感のある部屋が現れた。恐らく此処は店と自宅を兼ね備えた場所なのだろうとエルドは予想した。

 見ると自分を導いてくれたその人物はある部屋の前で佇んでいる。そこから脱衣所らしき場所とシャワーが見えた。

「濡れた服は籠に入れておいて。 洗濯して乾かしてあげるわ。 シャワーはそこの赤いレバーで出るわ。 温度の調節が利かないから熱いかもしれないけど冷えてる体にはちょうど良いでしょ」

「何から何まで本当にすみません……」

「良いのよ。 さ、もたもたしてると本当に風邪を引いちゃうわ!」

 と言うなりその人物は一歩下がって部屋と脱衣室との間にカーテンで仕切りをした。濡れて重くなったスーツやシャツを脱ぎ、籠に入れながらエルドは思った。

 何故あの「男性」は女口調なのか、と。


 シャワーを浴び、体を温めたエルドは用意されていたタオルで体を拭いて、こちらもまた用意されていたバスローブを羽織って出た。居住スペースの方に男性の姿が見えなかったので、店側へと顔を出した。

 看板が示していた通り、店内はバーカウンターになっていた。カウンター奥には酒の入ったボトルやグラスが綺麗に整列している。男性はカウンター外の足の高い椅子に腰掛けていた。

「どう? 少しは暖まった?」

「えぇおかげさまで。 何とお礼をすれば良いか……」

「お礼なんて必要ないわよ。 こんなご時世だからこそ助け合わなきゃね」

 こんなご時世、とエルドが何のことだろうかと疑問を思い浮かべるとそれに察したのだろう男性は「しまった」というような表情をした。

「ひょっとして貴方、旅人さんなのかしら?」

 こく、とエルドは頷いた。

「あらあらあらアタシったらついうっかり! そうよねぇ、旅人さんにはこのご時世なんて言っても分かるはずないわよね!」

「は、はぁ」

「それよりもそんな格好じゃまた風邪引いちゃうわね……着替えは?」

 一応キャリーバッグの中にあることはある。しかしそれもここに来るまででしっかり水に浸かっている。着ていたスーツよりかはマシであろうが、着れるかと聞かれればノーと答えるべきだろう。

 エルドは静かに首を振った。

 その意図は男性にも伝わったらしく、うーんと顎を手でなぞって考える素振りを見せた。

「困ったわねぇ……。 ウチに貴方が着られるような服あったかしら。 ちょっと探してみるわね」

 と、椅子から立ち上がった男性は居住スペースの方へと歩みを進めた。椅子に座って待つ事数分。その間、扉の向こうからは「これは…ちょっと生地が薄いし」とか「小さいわね」とか品定めでもするような声が聞こえてきたが、ようやく合いそうなものが見つかったらしい。

 嬉しそうな表情をした男性が片手に服を持って戻って来た。

「肌着は買ってまだ開封してないものが取ってあったからそれ使って良いわ。 で……こんなものしか無かったんだけど、着ないよりかはマシだと思うわ」

 男性が持ってきた服というのは何処かの軍服だった。緑色の迷彩柄で使い込まれているのだろうがしっかりと洗って状態を維持していたらしい。色あせてはいるものの汚れてはいなかった。

「いえ、服を貸して頂けるだけでもありがたいです」

「ごめんなさいね」

 着替えを受け取ったエルドは脱衣所へと引っ込み、袖を通した。ピッタリの大きさだった。

「あらピッタリね」

「自分でもびっくりしました」

「でもまぁこれで風邪の予防にはなるでしょ。 ……はい、これどうぞ」

 男性が手渡して来たのは中に茶色い液体を見たしたカップだった。匂いを嗅ぐとコーヒー独特の苦みがあった。

「遠慮しないで飲んで頂戴。 体の中から暖まるわ」

「……頂きます」

 適度に暖まった液体が喉を下っていくのが分かった。胸のあたりがじんと暖まっていく感触が分かる。カップの半分程を飲み下してようやく一息ついた。

「そういえばまだ名前を聞いて無かったわね。 アタシの名前はクロカワ。 貴方は?」

「エルドといいます。 先ほども言ったように旅をして回っています」

「雨に降られて大変だったでしょう」

「はい。 とは言っても、雲行きが怪しいのに関わらず外を歩こうとした自分の責任ですので……まぁ仕様が無いことかと」

「駄目よ、旅をするなら先の天気のことを気にしなくちゃ」

 エルドは苦笑して、

「肝に命じておきます」

 とだけ言った。

「しかし一体どういうことなのでしょう?」

 向かい、カウンターの中に入り自分のカップにコーヒーを注いだクロカワが息を吹きかけ冷ましながらエルドの方を見た。

「何が?」

「先ほどクロカワさん、おっしゃいましたよね。 こんなオンボロ集落に宿なんかあるわけないって。 その意味をずっと考えていたんです」

「あぁその話ね。 今すぐ教えたいのは山々だけど、少し長くなるわ。 じき夜になるし明日になってからたっぷり教えてあげるわ」

 クロカワはウインクすると店の奥の居住スペースを指差した。

「使ってないベッド……なんて都合の良いものは無いけど、ソファと毛布くらいなら貸せるわ。 今日はウチに泊まっていきなさい」

 今のところ理由ははっきりとは分からないがこの集落には宿と呼べるものが無いらしい。情けない話だが今のエルドが頼れるのは目の前にいるこのクロカワという男ただ一人だ。

 選択肢はクロカワの話を受け入れる、ただ一つしかなかった。

「……はい。 短い間ですが厄介になります」

「気にしなくても良いわ。 よくいるのよね、ウチの店まで飲みに来てそのまま酔いつぶれちゃう人。 そういう人は同じように泊めていってあげてるからもう慣れっこなのよ」

「そう、でしたか」

「まぁ、タダっていうわけにもいかないから、夜になってお店を開けたらちょっと手伝って頂戴。 体が丈夫なのが取り柄、なんでしょ?」

「それはもう、喜んで」


 夜になったが雨が止む気配は一向に無い。

 クロカワは黙々と開店の準備を始めているが、こんな天気で客は果たしてやってくるのだろうかと思わなくも無かったが、彼曰く、

「小さい店だけど常連さんはいるのよ。 そういう人達は適当なサイクルでお店に来るから開けないわけにもいかないの」

 との事だった。

 窓の外がすっかり暗くなった頃、入り口にあったネオンが点灯し店内にはバーの雰囲気にあうゆったりとしたBGMが年代物のレコードから流れ始めた。

 開店してみて常連客がいるのも何となく分かった。店はどこか懐かしく、心落ち着く雰囲気に包まれている。酒は種類こそ少ないがどれも銘柄と呼べるものが並んでおり、店主であるクロカワのこだわりが伺える。

 そして何よりクロカワ自身だ。開店して何人かがさっそく足を運んできたが、皆クロカワとの会話を弾ませている。クロカワの方も愛想良く、大将というよりは女将といった感じで客とスムーズにやり取りを進めている。恐らくそんなクロカワの人柄に惹かれる客達も少なからずいるのだろう。

 エルドに任された仕事はというとクロカワの指示を聞いて皿やグラスを用意するというものだった。広くは無い店だったので何処に何があるかはすぐに覚えることが出来た。

 更に少しすると、

「ねぇねぇエルちゃん、ちょっと料理やってみない」

 とクロカワが唐突に提案してきた。

 ちなみにエルちゃんというのはクロカワが勝手につけたエルドの愛称だった。客との応対で誰彼構わずちゃん付けで呼んでいるため、クロカワの癖なのかもしれない、とエルドは思った。

 愛称のことは兎に角、問題は料理だ。

 独り身で旅をしている以上、自炊する機会も何度かあったが人前に出せるだけの自信など無かった。

 だから辞退しようと思ったが、既に顔が赤い常連の一人が言った。

「おう兄ちゃん、味なんか気にしねーからやってみやってみ! 俺ァ、ここの店主が店始めたときから通ってるけれどよ、そン時の料理と来たら、なぁ!」

 と隣に座っているもう一人の連れに話を振った。

「どれもこれも薄味で酒に全く合わねーのさ! 皆して不味い不味い言ってたらクロちゃんてば妙に意気込んで、それから毎日俺たちは料理の実験台さ。 大丈夫だって兄ちゃん、不味いもんは食いなれてる! ものはチャレンジだよ、ハハハ!」

 笑いながら言うものだから少し押されてしまった。クロカワもVサインを出しているためやれるだけやってみようと覚悟を決めた。

 台所に立ち、エルドはチーズと黒胡椒、それから以前海岸付近の街で手に入れた海藻の塩漬けを乾燥させたものを取り出した。

 チーズを温めて溶かしている間に、海藻を食べ易い大きさに切り分ける。それを溶かしたチーズの中に入れて均等になるようにかき混ぜる。あとは一口サイズの大きさにして、上から黒胡椒を掛ければ完成だ。

 皿に盛りつけたそれをカウンター越しから客に出す。

「どうぞ、少々味が濃いかもしれませんが」

 客二人は箸でチーズの塊を摘むと口の中に放り込んだ。

「おっ、中々いけるじゃねぇか。 チーズのコク、胡椒の香ばしさ、それから海藻の塩気が良い具合に合わさってる」

「イケるよ、これ」

 二人とも良い評価を残してくれた。つまみをぺろりと平らげると酒を煽って一息ついた。

「ところでよ、クロちゃん。 なんでまたいきなりこの兄ちゃんをバイトに使ってるんだ?」

「それがねぇ、この子ったら雨の中を傘もささずにぼーっと歩いてて。 それで何やってるのって心配になってつい声を掛けちゃったのよ」

「成る程なぁ。 でもよ、兄ちゃんが着ているその服、イツキの奴のじゃなかったっけか?」

 イツキという耳慣れない単語を聞いて誰のことだろうとエルドは思った。その正体をクロカワに聞いてみようと隣を見てみると、黒川は顔を俯けていた。

「イツキ、まだ見つかってないんだってなぁ……。 もう何ヶ月経つんだ?」

「二ヶ月ってところかしらね……」

「大丈夫だってクロちゃん! あいつのことだ、またひょっこり帰ってくるに決まっているさ!」

「そう……そうよね。 イッちゃんのことだもんね、きっと帰ってくるわ」

 そう言ってはいるもののクロカワの表情は浮かばない。ひょっとしたらあまり触れられたく無い話題だったのかもしれないと思うと、エルドは二人の客に話を振った。

「そういえば、どうしてクロカワさんは女口調なのでしょうか?」

「あーそれはな、兄ちゃん。 クロカワは男であることが嫌になっちまったのさ」

「男であることが嫌に、なる?」

 横を見るとクロカワは顔を上げてエルドの問いに答えた。

「アタシ達ね、こう見えても昔は兵隊さんをやってたのよ?」

「えっ」

 とは言うが全く予想出来なかったわけでは無い。イツキなる人物の軍服がしまわれていたこと然り、クロカワの体は常人よりも鍛えられていることは一目見て分かった。単純な筋力ならばエルドは敵わないだろう。

「で、来る日も来る日も戦争ばっかり。 それである日、男って戦うことしか出来ないのかしらーってふと思っちゃって。 そうなるともう男であることに嫌気が刺しちゃったのよ。 それだったら、戦う男の帰りを待って酒や料理で迎えることが出来る女の方がまだマシって思えるようになっちゃったのよ」

「そう、だったんですか」

「俺たちもさぁ、クロちゃんが兵隊辞めた後、小さい酒場開くって言って来てみればいきなり女言葉で話しかけられてよ。 びっくりしたなー、あれも」

「でも俺達ァ、背中を預けて戦った戦友同士だ。 口調は変わってもクロちゃんの内面で大切な部分だとか、本質だとかは全く変わってないって分かったんだよ」

「そう、だからアタシは結局男から逃げて女にもなりきれない半端者って訳。 ってこんなこと話してても仕方ないわね、もっと盛り上がる話しましょうよ盛り上がる話を!」

 とクロカワが強引に話題を転換したのは店主としてのあり方がそうさせたのだろうか。

 エルドは疑問を口には出さずに夜の酒場を手伝い続けた。


 翌日は物音で目が覚めた。

 エルドはソファと毛布を借りて睡眠を取っていたが野宿をする時よりは断然眠り易かった。毛布を引きはがしながら身を起こすと、店の方へと続く扉から灯りが漏れておりクロカワの背が見えた。

 ソファから降り、毛布を綺麗に畳み店の方へと出た。

 クロカワは床のモップ掛けをしている最中だった。

「あらエルちゃん、おはよう! 昨日はよく眠れたかしら?」

「えぇ。 掃除中ですか?」

「そ。 時間がある午前中にやっておかなくちゃならないのよね」

「顔洗って着替えてきますから、何か手伝えることがあれば遠慮なく言って下さい」

「助かるわぁ。 昨日結構盛り上がっちゃったから洗い物が済んでないのよ。 頼めるかしら?」

「任せて下さい」

 顔を洗って借りた軍服へと袖を通して頼まれた洗い物に取りかかる。起きたばかりの体に冷たい水は目覚ましに丁度良かった。

 洗い物が終わった頃にはクロカワの方も掃除を済ませていた。

 それから二人は朝食を取り、カウンターを挟んで向かい合う形でコーヒーを啜っていた。

「そう言えばこの集落のこと知りたがってたわよね」

 カップをテーブルの上に置き、エルドは頷いた。

「良いわ、教えてあげる。 まぁこの集落がここまで落ち込んだ経緯を説明するためには……やっぱり戦争のところからかしらね」

「戦争?」

「えぇ。 今でこそ落ちぶれた集落だけれども、昔は立派な城壁を構える大きな国があったのよ、この場所には。 でもね、当時のこの国を治めていたのは軍だった。 武力を以て国民を管理し、そりゃあもう好き放題やっていたわね。そしてその国はある日突然戦争を起こしたの」

「戦争……となればやはりここから程近い国を相手に?」

 候補として思い浮かんだのは本来エルドが目指していた国だった。地理的にもこの集落から近く格好の標的のようにも思える。しかしクロカワは首を横に振った。

「違うわ。 この国が戦争をした相手は人間は無かった。 ……私たちはアレを『天使』って呼んでいたわ」

「天使……」

「おとぎ話に出てくるような光の輪と白い翼を持った人型の生物。 人間と同じように言語によってコミュニケーションを行える非常に知性の高い存在だったわ。 彼らはアタシ達が暮らす世界とはまた別の次元を行き来出来た」

「何故そのような存在と戦争を?」

「天使達には人間とは比べ物にならないかなり進んだ技術力があったから。 別の次元を自由に移動出来るのもその技術の産物によるものだったし、当時の軍は目が眩んだんでしょうね。

 天使達は別の次元で暮らしていたけど、軍は無理矢理こちらの世界へと引きずり出す装置を何年もかけて開発していた。これはアタシの予想だけど、戦争以前からこの国は天使達と多少の交流があってそこから技術の一端を知り得たんじゃないかって思ってる」

「そして天使達をこちら側に引き摺り下ろしたこの国の人々は戦争を始めた?」

 クロカワが頷いた。

「天使達をこちらへ引き摺り下ろすのは奇襲に近かったから、初戦は人間側が勝っていたわ。 でも人間側に明確な敵対心があることを悟った天使達は攻撃に容赦しなくなっていった。 高い技術力をそのまま軍事に転用して人間達を圧倒したわ。

 アタシや昨日の客二人なんかは開戦から少し経った頃に兵役を課せられて半ば無理矢理連れ出されたようなものだけど、もうその頃には全然敵わなくなってた。 敗戦を繰り返して広かった国土は奪われ、人も沢山死んだ。

 半年もしない内に人間側は降伏したわ。 戦争の終わり頃、数少ない人間の拠点だった集落の名残が此処、っていうわけ。 どう、おとぎ話みたいでしょう?」

「そんなことありませんよ。 旅をしていて異種族との戦争の話を聞くのは珍しくありませんし、納得が行きました」

「そう。 やっぱり旅をしている人間は価値観が違うわね。 アタシなんか天使と戦争って聞いて作り話でもしているのかと思ったわ」

 コーヒーカップを握ったままクロカワはふふと笑った。

「クロカワさん、もう一つお聞きしたいことがあるんですがよろしいでしょうか」

「何?」

「この服の持ち主、イツキさんという方のことです。 昨日のお客さん達が話をしているのを聞いて気になったんです。 お気に触らなければ話して頂けないでしょうか?」

 イツキ、という名前が出た途端クロカワの顔にまた陰りが刺した。

 やはり駄目だろうか、とエルドが半ば諦めに近い感覚を覚えると、

「ちょっと待ってて」

 とクロカワは言い居住スペースの方へと歩いていった。コーヒーを飲みながら待つこと少し、クロカワは手に何かを大事そうに持って戻って来た。

 カウンターの上にそっと乗せられたそれは一通の便箋だった。

「手紙?」

「そう。 これはイッちゃんがいなくなってから暫く経った頃に送られてきたの。 イッちゃん……イツキはアタシと同じで兵役を課せられた戦友だった。 何度も同じ戦場を走った仲よ。

 あれは人間が天使側に降伏してから間もない頃だったかしらね。 その頃になると天使は完全に人間との関係を断って忽然と姿を消していたの。 その夜はとても腫れていてイツキは流れ星を見たの。 でもその流れ星は空で燃え尽きる様子は全然無くて、この集落のすぐ近くに落下した。

 落下した先を見ていたイツキは現場に一番乗りすることが出来た。 でもその流れ星は宇宙から落ちて来たものでは無くて……姿を消した筈の天使だった」

 ピク、とエルドは自分の目の上の辺りがピクリと動くのを知覚した。

「かつて戦っていた相手がすぐ側に落ちて、イツキさんは一体どうしたのですか?」

 やはり攻撃したのだろうか、と思ったが答えは違った。

「匿ったのよ。 自分の家に。 人間側から仕掛けたとはいえ、天使は沢山の人を殺した。 戦後ともなるとその悔しさを発散させる場がなかった人間には天使への怒りが積もっていくばかりだった。 そんな中で流れ星が天使だと知れたら何をされるか分からない、きっとそう思ったのでしょうね。 どうしてイツキが天使に同情したのかまでは流石にアタシも分からないけど。

 で、イツキはどうにかして天使が居た場所に帰れないか色々試した……けど結局駄目だった。 そうこうしている内に軍の残党が、イツキが天使を匿っていることを嗅ぎ付けた。 この手紙に書いてあったけど、どうやら天使をこちら側の世界に落っことしたのは軍の残党だったようね。 開戦時に使った装置のデータが残っていたんじゃないかしら。 とにかく、人間は二度も天使をこちらの世界へと落とした」

「軍は以前の過ちを反省していなかった?」

「どうでしょうね。 もし軍の残党が復興のために天使を落としたのだとすれば……。 志は立派かもしれないけど、結局やってることは開戦の時と一緒ね。 考え方は正しいけどやり方を間違えてしまった、そんな感じかしら。

 イツキも天使をどうにか逃がそうかと思ったけど、追いつめられてしまった。 その時、天使があることをして窮地を脱して二人とも上手く逃げたんだけど……何をしたか分かる?」

 少し考えたがエルドの中で答えが出る事は無かった。

 クロカワはコーヒーを一口啜ると答え合わせをした。

「天使であることを止めたのよ」

「天使であることを……止める?」

 ということは天使ではなくなる、ということだろうか。エルドは別の言葉に置き換えてみるがいまひとつピンと来ない。

「天使、っていうのは翼と頭の上の輪以外は頭があって腕があって足があって……って感じで殆ど人間と同じ姿形をしていたの。 だからその天使は自分の輪を砕き、羽根を千切って、人間になった」

「そんなことが簡単に出来るものなのでしょうか?」

「アタシはその現場にいた訳じゃないから何とも言えないわ。 でもただ一つ言えるのはそうしてイツキと天使は逃げ切ることが出来ている。 軍の残党が求めていたのは『天使』であって『人間』では無いわ。 捕らえる目的が無くなってしまったのかもしれないわね。

 その後、イツキは軍残党の追跡から逃れるためにこの集落から遠く離れた国へと旅立っていった。 イツキがこの手紙をくれたのは集落を出てから暫くしてからのことだったわ」

 便箋を開いたクロカワはエルドが見やすいように広げて彼の方に向けた。

 そこには今クロカワが話した通りのいきさつがこと細かに書かれていた。宛先はクロカワの元に送られるように記されているが、差出人はイツキの一文字しかない。どの国のどの場所から送られて来たのか全く分からなかった。

「イツキが居場所を教えてくれないから会いに行く事も出来ない。 だからアタシは変わらないこの場所にいることにしたの」

 何処となく寂しさを感じさせる表情のクロカワはカップをテーブルの上に置いてその縁をなぞった。

 エルドは昨夜、開店前の準備に意気込むクロカワの台詞を思い出した。

「小さい店だけど常連さんはいるのよ。 そういう人達は適当なサイクルでお店に来るから開けないわけにもいかないの」

 もしかしたら、クロカワはイツキがいなくなった日からずっと待っているのかもしれない。共に戦った戦友と、彼が助けた元天使が落ち着いて酒を飲めるこの小さなバーを開けて、何時帰ってきても温かく迎えられるように。

「イツキさんは、またこの場所に帰ってくると思いますか?」

 エルドの最後の質問にクロカワは一瞬驚いたような顔をしたがすぐに笑顔になると、

「えぇ、もちろん」

 懐かしむような表情で言った。


「晴れて良かったわ」

「スーツも洗濯して貰って本当になんとお礼を言えば良いのか……」

「昨日お店で働いてくれただけでも十分よ。 それに新しい顔が久々にこの集落にやってきて話も弾んだしね。 ちょっと気持ちが楽になったわ」

 見送りはバーのある集合住宅の廃墟の前までだ。

 クロカワは今夜も店を開けなければならない。

「……機会があれば、また来て頂戴ね?」

「えぇ、是非とも」

「そうそう、この街の外れにイツキが助けた天使の落っこちて来た跡があるの。 良かったら出発する前に見てみたら?」

「興味深いですね、そうしてみます」

「じゃあ、またね。 エルちゃん」

「クロカワさんもお元気で」

 別れを告げたら後は立ち去るのみ。

 エルドは雨の上がった集落の出口へ、クロカワは自分の店へと足を向けた。


 雨が上がって分かったことだが、本当にこの集落は廃墟の集まりのような場所だった。

 辛うじて通りと呼べそうな場所を挟む形でボロボロの住宅が幾つか並んでいた。だが人々の目までは死んでいなかった。

 見ると新しい住宅を建てるための工事を行っている場所もある。

 それでようやく実感した。この街は復興のために一歩ずつ進んでいるのだと。

 暫く歩くと古びた住宅街を過ぎ、人の気が少なくなるのと入れ替わりに背の高い草が目立つようになってきた。

 下草はやがて巨木となり、集落を出て森の中に入り込んだことを示した。

 時刻は日が傾き始めた夕方で、木々の根元からは影法師が伸び始めていた。そんな森を少し歩くと突如視界が開けた。

 森の中に現れた広大な空間は巨大な窪みとなっており、隕石が落下して出来るクレーターの形そのものだった。

「此処が、天使の落ちて来た場所……」

 天使を助けたイツキという男も、今自分がこうして立っている場所からクレーターの下を眺めたのだろうか。その時がどうかは知らないが、今は抉れた地面があるだけで他には何も無い。

 僅かにではあるが下草がポツポツと生え始めていた。

 その時だ。

 ポゥ、とクレーターの中心部分が淡く光った。

「?」

 目を凝らしてみると、白い光が輪郭のはっきりしない人型をしていることが分かった。

 だがそれはただの人型では無く、頭の上には光の輪を掲げ、背中からは巨大な翼が生えている。

 そう、それは紛れも無く。

「……天使」

 天使の形をした少女の影はエルドに気が付くと、音も無くすぅっとクレーターの中心から縁まで登ってきた。エルドの真正面に到達すると雪よりも白い顔を真っすぐに向ける。

「イツキサン……イツキサンハ……ドコ…………? アナタハ……イツキサン……?」

 天使が何の比喩でもない白い目でエルドの瞳を覗き込んだ。

「私は彼ではありません。 彼は以前、此処にいましたが…………今はいない」

「……、」

 天使がまたすぅっとエルドの傍から離れた。そして僅かに顔を俯かせると森の奥へと消えていった。

 しばらくエルドは天使が消え去った方を見つめていた。

 あれは一体何だったのだろうか。

 クロカワの話を思い出す。

「だからその天使は自分の輪を砕き、羽根を千切って、人間になった」

 その天使は輪と羽根を取り去って人間になったと彼は言っていた。

 ではその輪と羽根……、彼女が人間になる際「人間になりきる事の出来なかった部分」は一体どうなったのだろうか。もし、輪と羽根が意思を持ち、自分を助けてくれた人間を今も探し続けているのだとしたら。

 考え事はそこで止めてエルドは元来た道を引き返した。目指すのは集落の出口だ。

 足を動かしながら考えるのはこの集落で出会ったバーの店主と、先ほどの天使のような影だ。

 戦う男からの脱却を願い、それでも女になりきれなかった者。

 人間になろうとしたが故に捨てられてしまった天使の部分。

「……どちらも半端者」

 そして、恐らくは自分も。

 今度こそ考え事を止めてエルドは次の国を目指した。


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